大判例

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千葉地方裁判所 昭和63年(ワ)1670号 判決

原告

亡佐藤三郎承継人

佐藤壽恵子

右同

佐藤晃一

右訴訟代理人弁護士

守川幸男

藤野善夫

山本高行

安田寿朗

山田庄一

山本英司

被告

前田建設工業株式会社

右代表者代表取締役

前田顯治

右訴訟代理人弁護士

桑田勝利

被告

住友石炭鉱業株式会社

右代表者代表取締役

百瀬雄次

右訴訟代理人弁護士

成富安信

高見之雄

被告

三井鉱山株式会社

右代表者代表取締役

河原﨑篤

右訴訟代理人弁護士

平岩新吾

松崎正躬

牛場国雄

被告

株式会社青木建設

右代表者代表取締役

青木宏悦

右訴訟代理人弁護士

中川幹郎

大川隆康

和田良一

河本毅

右訴訟復代理人弁護士

狩野祐光

主文

一  被告三井鉱山株式会社は、原告らに対し、その余の被告らと連帯して各一六五〇万円(後記各二一八〇万二八八八円の内金)、その余の被告らは、原告らに対し、連帯して各二一八〇万二八八八円及び右各金員に対する昭和六〇年二月一四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告三井鉱山株式会社は、原告らに対し、その余の被告らと連帯して各一六五〇万円(後記各二七五〇万円の内金)、その余の被告らは、原告らに対し、連帯して各二七五〇万円及び右各金員に対する昭和六〇年二月一四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告ら共通)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

(被告株式会社青木建設)

3 仮執行逸脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  はじめに

まず、第一に本件訴訟は、じん肺発生における企業の加害責任を問うものである。後述するように、じん肺は、我が国で最も古くから発生し、死に至る不治の病であるため、人々から恐れられ、罹病者のみならずその家族をも不幸のどん底に落とし込んできた忌むべき歴史を持つ。ところが、人類が宇宙への進出をも果たそうとする現代においてもなお、この病は、その勢いを失わないばかりか、昭和五二年から同五七年にかけては、労働省によって、年間二〇〇〇名以上(昭和五四年には二八一九名)の労働者が、療養を要する重症患者に新たに認定され、治る希望のない闘病生活に入って行った。この人数は、昭和五九年以降、年間一四〇〇名ないし一五〇〇名程度に、現在においては一二〇〇名前後に減少したものの、決して少なくない数字である。

じん肺発生の原因は、労働者が作業過程において、粉じんを吸入するという極めて単純かつ明白なことにあり、したがって、その防止も、粉じんを発生させない、吸わせないということに尽きるのである。粉じん作業を抱えている企業が、この義務を守りさえすれば、じん肺は、急速に絶滅するはずであるが、現実は、全く逆の方向に進んでいる。

そこで、本件訴訟は、じん肺発生企業の重大な責任を問うとともに、そのことにより、じん肺防止とじん肺が発生した場合の補償の道筋とを明らかにするものである。

次に、本訴訴訟は、加害企業の集団責任を問うものである。

後に述べるように、じん肺は、ある程度の期間にわたる吸入粉じんとその蓄積の結果、重症の段階に至る。そして、その過程において特徴的なことは、じん肺罹患者の多くが、単一の使用者や事業主の下での粉じん作業の結果発病するのではなく、複数の粉じん職場を転々としながら、それぞれの事業主のもとで順次粉じん労働に従事し、各々の時期の粉じん労働による粉じん吸入の積み重ねと蓄積とによって発病している、という事実である。粉じん労働者のほとんどは、典型的な肉体労働者であり、粉じん労働をいったん離れても、他に技能もないため、再び粉じん労働に就くことを余儀なくされることが多い。複数の事業主の下を転々と渡り歩くうちに、重症のじん肺に罹患していくのである。他方、事業主の方も、「自分の所で発病しさえしなければよい。」「自分の所だけでじん肺に罹患させたのではない。」という安易な考えからか、劣悪な労働条件の改善を怠り、雇い入れた労働者のじん肺が、進行していくのを防止するための適切な措置を採ろうとはしない。このように、複数の事業主の下での粉じん労働が共同作用して重症のじん肺患者を発生させることから、個々の加害企業が互いに責任を押し付け合い、自らの重大な責任を回避し、じん肺を発生させる原因の除去を怠り続けているのである。

本件訴訟は、右のような現実に照らし、加害企業の共同責任を正面から問うものである。加害企業は、じん肺罹患に原因を与えた場合、その粉じん作業の前後あるいは寄与の程度いかんを問わず、加害企業全体として共同して連帯責任を負わなければならないのである。

2  当事者

(一) 故佐藤三郎

佐藤三郎(以下「三郎」という。)は、昭和三年一二月二三日、長野県北佐久郡で出生し、昭和一八年三月、長野県浅科村立尋常高等小学校卒業後、義勇隊訓練所に入所し、昭和二〇年四月、南満陸軍造兵厰徴用となり、終戦後は、父と共に、家業である農業、養蚕業、園芸等に従事していたが、昭和二七年五月、被告前田建設工業株式会社(以下「被告前田建設」という。)に入社し、以後、別紙一「粉じん作業経歴表」(以下「経歴表」という。)の記載のとおり、約三二年間にわたり、被告各社との間で労働契約を締結し、あるいは使用従属の労働関係に入り、粉じん作業に従事してきた。

その結果、三郎は、昭和六〇年二月一四日、じん肺法によるじん肺症管理区分四の決定を受けた。

(二) 被告ら

(1) 被告前田建設は、昭和二一年一一月六日に設立された、土木建築工事その他建設工事全般の請負等を目的とする資本金八八億三四六五万〇三〇〇円の株式会社である。

(2) 被告住友石炭鉱業株式会社(以下「被告住友石炭」という。)は、昭和二年六月三〇日に設立された、石炭その他鉱物の採掘、加工、売買及び鉱産物加工品の売買等を目的とする資本金五〇億三二七九万七二五〇円の株式会社である。

(3) 被告三井鉱山株式会社(以下「被告三井鉱山」という。)は、明治四四年一二月一六日に設立された、鉱業、砕石業及び砂利採取業並びに石炭等の販売業を目的とする資本金一一六億二九九九万〇五〇〇円の株式会社である。

(4) 被告株式会社青木建設(以下「被告青木建設」という。)は、昭和二二年五月二一日に設立された、建設業、建築の設計、工事監理に関する事業等を目的とする資本金四一八億二〇三七万六三一八円の株式会社である。

3  三郎の従事してきた粉じん労働の実態

(一) 被告前田建設

(1) 三郎は、昭和二七年五月から昭和二八年二月まで、被告前田建設が施工する富山県婦負郡細入村大字庁掛所在の北陸電力株式会社神通川第一発電所工事(第二工区)に従事した。三郎は、被告前田建設の下請である木下班(そのトップは木下鹿造)に所属し、被告前田建設の指揮のもとに、右工事に従事したものである。

(2) 右工事の内容は、導水路トンネル工事、調圧水槽工事、水圧鉄管路工事、発電工事、放水路工事である。三郎が従事したのは、主に調圧水槽工事であり、一部導水路トンネル、水圧鉄管路工事にも従事した。

調圧水槽は、神通川に面した山の斜面中腹に造られるもので、直径約二五メートル、高さ約四三メートルの円筒形のものである。

調圧水槽工事の作業工法は、斜面表土の掘削と水槽部の掘削土砂運搬用の作業用横坑及び竪坑の掘削を行い、上部から水槽部分を掘削していくものである。作業用横坑は上下二段に分けて設置し、上部に竪坑二本、下部に竪坑四本を設けた(なお、作業用横坑及び竪坑の掘削は、トンネル工事に分類される。)。調圧水槽本体の掘削は、地上から掘り下げるかたちをとり、表土及び軟岩部においては人力で掘削するものの、下部(深部)に下がるほど硬質の岩層となり、削岩機三、四台を用いて作業を行い、発破作業をしながら昼夜工事を行った。

(3) 三郎の業務のうち、トンネル工事の一般的な方式は、底設導坑先進掘削方式であった。この方式は、トンネル断面の一部(底部)をまず掘削し(導坑)、その後、上部(中割、次いでその上の頂設)、側部(大背、次いでその下の土平)を順次切り広げるものであって、各部分ごとに、①削岩(削岩機による、ダイナマイト装填用の小穴の穿孔)、②ダイナマイト装填、③発破(ダイナマイトによる爆破によって、導坑断面の岩石を破砕させる。)、④換気(爆破後直ちに、エアホースと呼ばれる硬質ゴム製の送気管から、圧搾機=コンプレッサーによる圧縮空気を、発破断面(切羽)に吹き付け、粉じんと発破によって発生した煙を後方に送り出し、又は拡散させる。)、⑤ずり出し(破砕した砕石を坑外に搬出する。)、⑥支保工建込(完全覆工までの間、地山のゆるみを防止するための仮設の構造物である支保工を組み立てる。当時は木製であった。)の各工程が繰り返され、最後に、周囲にコンクリート等が打設される(覆工)。三郎は、右作業工程のすべてに従事した。

(4) 三郎が従事したトンネル作業は、多量かつ高濃度の粉じんが発生し、これを大量に吸入する危険性の高い作業である。

まず、第一に、前述したトンネル工事工程は、いずれの段階の作業についても、そのほぼ全部で粉じんを発生する(その状況は、後記(5)で詳述するとおりである。)。

しかも、第二に、トンネル工事においては、これらの多量の粉じんを発生する作業が、直径二、三メートルという小さな閉鎖された場所で行われる。直径二、三メートルの工事中のトンネルは、人間が二人も並べば肩が触れ合うほど狭い。また、開通前のトンネルは、外気との接触は入口のみであり、空気は流れを失い、どんより淀んでいる。そのような小さな閉鎖された場所で粉じんが発生するのであるから、いったん発生した粉じんは、トンネル内にもうもうと立ちこめ、どんどん溜まっていく。削岩している切羽やずり出し中の現場等のその地点だけが粉じんで覆われるのではなく、トンネル全体が、各作業から発生する粉じんで溜まり、高濃度の粉じんに覆われる粉じん作業現場なのである。

したがって、トンネル作業現場は、有効な粉じん対策が講じられない限り、高濃度の粉じんにばく露される、労働者の健康にとって極めて有害な作業現場なのである。

(5) トンネル工事の各作業における粉じん発生状況は、以下のとおりである。

① 削岩作業

削岩は、通常削岩機二台で行われる。削岩機は、その本体の先に六角形で中空の「のみ」が取り付けられ、そののみの先にはビットが付けられている。その刃は、空気圧によって、高速で回転し、かつ、打撃する仕組みとなっており、高速回転と打撃により、岩を削り、穿つ。

一台の削岩機が一回の削岩で、長さ1.3メートルないし1.5メートルの穴を二〇本ないし二五本開ける。この間の所要時間は、一時間半から二時間位、作業困難な所ではそれ以上かかる。

削岩の始めは、のみの先の刃が岩盤面を削ってしまい、固定しない。そのため、補助者が、のみ先が岩盤の一点からずれないよう、深さ二、三センチメートルの穴が開くまで削岩機の先端を手で持って固定する役割を果たす。

削岩により岩に穴の開いた分、言い換えれば、削岩機二台四〇本ないし五〇本分の岩が削られて粉じんとなる。削岩機は、削岩中、削られた岩の粉じんがのみ先にたまり、のみの回転が悪くなるのを防ぐため、終始圧縮空気をふかして、のみ先の粉じんを吹き飛ばし、舞い上がらせながら作業する。

ところで、直径二メートルないし五メートルのトンネルの中で、削岩機を用いて一時間半ないし二時間も削岩することによって生じる粉じんの量は、すさまじいものである。また、上向きに削孔する竪坑においては、まさに全身に粉じんを浴びるのである。

なお、削孔作業での削岩機は、湿式ではあったが、湿式として使用するための給水管が現場に引かれることもなく、いわゆる空ぐりの状態で作業が行われた。

② 発破

削岩が終わると、開けられた穴にダイナマイトをかけて爆破し、岩石を崩落させる。削岩が終わってからダイナマイトをしかける準備に約三〇分かかる。ダイナマイトをしかけ終わると、約一〇〇メートルから一五〇メートル退避する。トンネルを掘り始めてまだ入口付近という場合を除いては、トンネル外に退避することはしない。トンネル外まで退避すれば、切羽に戻るまで時間がかかり、作業能率が落ちるからである。ダイナマイトを爆破後、約一〇分で切羽に戻る。

発破により、切羽の岩は砕かれて土砂になり、すさまじい土煙を巻き起こす。発破時点は、視界が零になるくらいの粉じんである。そのすさまじい粉じんの中を、エアーをまき、粉じんを吹き散らしながら切羽に戻るのである。

③ ずり出し

発破で岩石を崩落させると、次は、崩落し堆積した土砂・岩石(ずり)のトンネル外への搬出作業である。ずり出しには、人がスコップで土砂をトロッコに積んで搬出する手積みと、ロッカーシャベルという機械を用いる機械積みとがある。被告前田建設においては、当時は、手積みが行われていた。

ずり出しにかかる時は、そもそもトンネル内は、発破による粉じんがもうもうと立ちこめている。その上に、発破により崩壊し堆積した土砂を、いわば再度掻き混ぜるような作業である。土煙がもうもうと巻き上がる中での作業である。

(6) なお、調圧水槽本体の掘削においても、上部が開いているからといって、粉じんが滞留することがないとはいえない。

(二) 大和土建株式会社ないし村上建設株式会社

(1) 三郎は、被告前田建設に引き続き、昭和二八年三月から昭和三八年三月まで、経歴表記載の期間及び場所において、大和土建株式会社(昭和三四年に村上建設株式会社と名称変更。以下「村上建設」という。)に勤務した。

村上建設における粉じん労働の実態と防じん対策及び換気の方法は、ほぼ被告前田建設の当時と同様であった。もっとも、削岩機は、昭和三〇年ごろから湿式となったが、十分な効果はなかった。

粉じんの体内侵入防止対策も、ほぼ被告前田建設のそれと同様であったが、昭和三〇年ごろからは、ようやく、当時の国家検定合格品である「サカエ式防じんマスク」(乾式と湿式の二種類があった。)の乾式のものが支給されるようになった。

(2) 村上建設は、昭和四二年、倒産した。

(三) 被告住友石炭

(1) 三郎は、昭和三八年六月に被告住友石炭の試用鉱員として採用され、一週間簡単な教育を受け、二週目には試用掘進夫として弥生礦地下二七〇メートルレベルで坑道掘進作業に従事し、三週目から本掘進現場に配属され、四名で一つの組を作って坑道掘進作業に従事した。その後、昭和三九年六月に本鉱員として採用された。その後、昭和四五年一〇月から奔別鉱業所で同様の作業に従事し、昭和四六年九月まで経歴表記載のとおり勤務した。

三郎の従事した作業は、石炭層を坑道断面の真ん中に位置するようにしながら、坑道を掘り進む、沿層坑道掘進であり、その作業工程は、被告前田建設におけるトンネル工事(ずい道工事)とほぼ同じであった。なお、技術の進歩に伴い、坑道掘進はトンネル断面の一部分ずつではなく、全断面で掘進する方式となり、また、支保工建込は、鉄製の支柱が使用されることがほとんどであった。

(2) 三郎の勤務していた炭坑は、地下八〇〇メートルないし一三〇〇メートルの位置にあったから、高温(三〇度ないし三八度)、多湿(七〇パーセントないし八〇パーセント)であった。

また、石炭採掘現場は、建設現場と異なり、削孔中、又は他の機械(ピック及びオーガー)で掘り進んでいく際、坑道切羽から常にガス(一酸化炭素ガスなどを含む。)がシューシューと発生し、度々山鳴りと共にこれが突出し、その際、粉じんが大量に発生した(これを「山はね」ともいう。)。このようにガスが発生するので、爆発防止のため、常時各坑道に、まるで雪が降ったように石灰が大量に散布された。その結果、切羽から湧出する炭じんや土砂、岩石粉などの炭じん、火薬、油煙のみならず、石灰による粉じんも多量に発生した。

(3) 被告住友石炭の沿層坑道掘進における粉じんの発生状況は、以下のとおりである。

① 削孔

被告住友石炭における削孔では、岩盤に約三〇本の穴を開けるが、この作業中には、目のふち、耳、衣類が、石炭と岩石の粉じんで汚れて真っ黒になるほどであった。

被告住友石炭においては、削岩機は、湿式のものが用意されてはいたが、削岩機で岩盤に穴を開ける際、湿式だと、削岩機内部の部分部分に水が入り、常時注油している油が薄まって削岩機の回転が悪くなり、作業が遅れると、ノルマを消化することができず、次の番方に迷惑がかかる上、出来高払いのため金にならないなどの理由で、実際には湿式としては全く使用されていなかった。

② 発破

発破は、穴にダイナマイトを装填して行われる。ダイナマイトをスムーズに装填することができるように、装填前に、削孔した穴の中の岩粉(くり粉)を取り除く作業を行う。これは、削岩機のL字型中空パイプ(ドレンパイプ)で穴内に空気をふかして中の岩粉を吹き出させるという方法で行われるが、この時にも大量の粉じんが発生する。

発破の際には、人間及び機械、器具を四、五〇メートル後方まで退避させる。しかし、発破直後には、爆風とともに大量の粉じんがその退避した場所にまで流れてきて、必然的に作業者は大量の粉じんにさらされることになる。

しかも、発破数分後には、先山(リーダー)である三郎が、爆発個所の点検に、粉じんの中を手探りで切羽に向かう。万一、発破の際の振動で切羽の天盤が抜け出し崩壊するようなことがあれば、坑道掘進がストップしてしまうからである。このときの粉じんの量は、すさまじく、一、二メートル先の人も見えないような状態である。

③ ずり積み

発破直後の粉じんがもうもうと立ち込めた中で、次のずり積みの段取りの作業が行われる。

一番先に行われるのは、視界がよくなるように、油煙、浮遊粉じんを後方に排出することである。この作業は、削岩機に使用するエアーホースを用いて切羽に向けて強力にエアーを噴出させたり、風管を使用して送風したりして行われる。エアーホースは発破前から設置してあり、風管は発破後に設置される。そうすると、ガスや粉じんが徐々に坑口方向に排出される。このときは、マスクを着用していても、咳の発作のように激しく咳き込むほど粉じんがすさまじい。また、このようにして粉じんを排出しても、粉じんが単に拡散するだけであって、完全に排出されることはない。

このようにして視界がきくようになると、次のずり積み作業にかかる。破砕したずりは、昭和三九年ごろからは、ロッカーショベル(積込機)を使用し、グランピー(ずり積込車、容積二トン)に積み込むのである。このとき、粉じん防止のために、ずりに対する散水をしても、地熱のために、積み込んでいるうちに乾いてしまうような状態であって、余り効果はなかった。また、各坑道の上部にビニール製風管を横につないで通し、電力式又はエアー式のブロアー(大型扇風機のようなもの)で風を送って換気していたが、ずり積込み作業中には、バケット(ずり積込用のショベル機)の反転作業が絶えず行われ、その時、送風している風によって粉じんが舞い上がる状態であったから、粉じんを若干薄めるだけで、十分に換気することはできなかった。

④ 支保工建込

石炭採掘終了まで坑道を保持し、それを支えるのが支保工である。H型鋼製で種類はいろいろあるが、被告住友石炭で使用されていたのは、R型で二本継いで一基となる。坑道に入れる間隔は、1.2メートルから1.3メートル程度である。支保工間には雑木丸太、板材をわたしてトンネル周囲を押さえる。この作業を中途半端にすると、地山の崩壊を招き、この中に空洞ができてガスが充満し、ガス爆発の原因となるため、これは、非常に重要な作業である。

(四) 被告三井鉱山

(1) 三郎は、昭和四六年九月末から昭和四七年一月一五日までの三か月間以上、少なくとも実質的に三か月間、被告三井鉱山の芦別鉱業所において石炭採掘作業に従事していた。

三郎は、芦別鉱業所に採用された遅くとも一週間後から、「三番方」として坑内での作業に就いている。三郎の業務は、海抜地下約二〇〇メートルないし四五〇メートルの石炭掘削現場での採炭作業であった。

採炭作業は、①山固め材料の用意、②石炭層の穿孔(オーガーという穿孔機械による、火薬装填用の小穴の穿孔)、③火薬装填、④発破、⑤木材及び鉄柱による山固め、⑥炭流し、⑦石炭積み込みなどの各工程の繰り返しであった。

(2) 被告三井鉱山の作業場においては、炭じん爆発防止のため、多量の石灰が散布してあり、これが、穿孔中、発破中及び石炭積み込み時に拡散し、常時、下部坑道から吹き上がってくる風のために、高濃度の粉じん、炭じんとともに石灰も舞い上がり、坑内に充満した。三郎は、このため、身体が真黒になったり、真白になったりし、真黒い痰が出た。

(3) 被告三井鉱山の採炭作業における粉じんの発生状況は、以下のとおりである。

① 穿孔

穿孔機械(オーガー)は、乾式であり、掘進坑道用削岩機ほどではないが、多量の粉じんが発生した。

② 発破

発破による粉じんの発生は、被告前田建設や被告住友石炭の場合と同様、すさまじかった。

③ 石炭積み込み

発破後一、二分から開始する石炭積込み中には、散水設備が作動し、水を噴霧したが、採炭車のすべてに散水できたわけではなく、残った粉じん、炭じんなどが斜坑を吹き上がった。

粉じん防止対策として、各坑道の上部に設置した入気用及び排気用の大型ブロアー(大型扇風機のようなもの)で常時換気していたが、多量の粉じん、炭じん及び石灰粉が常時発生していたから、これらによるばく露を防止することは困難であった。

(4) なお、被告三井鉱山は、三郎は採炭や掘進などの直接作業にはほとんど従事していなかったと主張している。原告らは、これを争うものであるが、たとえ、三郎がその就労期間のすべてについて直接作業に従事しなかったとしても、石炭採掘の坑内においては、坑内に浮遊する粉じんを吸入しつつ作業をすることは避けられない。そして、じん肺の原因となるのは、粉じん、それも肺胞内に吸入される一ミクロン前後の目に見えない浮遊粉じんである。被告三井鉱山では、防じんマスクを装着するのは目に見える粉じんが多いときに限られていたことからみても、直接作業でないからじん肺罹患の危険が少ないとは到底いえない。

(五) 被告青木建設

(1) 三郎は、昭和四七年一月から昭和五九年七月まで、経歴表記載の期間及び作業所において、被告青木建設に勤務した。なお、三郎は、直接の労働契約は、被告青木建設の下請企業である村田建設株式会社(以下「村田建設」という。)の間に締結したのであるが、勤務した作業所は、被告青木建設のものである。三郎は、当初の一年一か月間、長野県の農業用導入路トンネル工事に従事した以外は、主として、神奈川県内の各作業所で、上下水道のトンネル工事(シールド工法を含む。)に従事してきた。

その作業工程は、シールド工法以外のトンネル工事の場合は、①削孔、②ダイナマイト装填、③発破、④換気、⑤ずり出し、⑥支保工建込であり、三郎は、職長として、各作業個所の人員配置、作業指示、資材機械の注文、現場への設置、元請との打合せなども行ったが、定配置人員のため、作業員が休業したり、作業が忙しいときなど、トンネル内掘進などの現場作業にも従事し、また、職長として、不安全個所の点検、作業の進行状況の確認などにも従事したから、結局、一日に三、四時間は入坑していた。

粘土層など土質の軟らかいところでトンネルを掘る場合は、シールド工法がとられた。三郎が従事したこの工事は、主に関東地区の都市部で行われ、勤務形態は通常のトンネル工事の場合と同様、昼夜で二交代である。三郎が従事したのは、上水道及び下水道トンネル工事が主で、地下鉄工事の応援に行ったこともある。この工事では、町の中にまず作業基地を確保し、その中の一定の場所に、用途、又はトンネルの規模によって異なるが、深さ一五メートルから三〇メートルの立坑を掘削築造する。この掘削が終わると、次の本工事である横式のトンネルを掘削しながら一次覆工、二次覆工と進み、最後に立坑内に四角又は円筒形のマンホールを構築して、この工事は完了する。

シールド工法の工程を詳述すると、以下のとおりである。まず、立坑工事は、交通量の多い国道や県道など、主要道路の沿道わきで行われるが、この立坑掘削の作業順序は、①機械による掘削、②H型桁枠の組立、③土止壁防護、④階段の設置、⑤開口部転落防止棚、⑥立坑底コンクリート巻立及び排水設備、⑦トンネル坑口掘削、⑧トンネル掘削シールド機設備等である。三郎は、右①のシールド機による掘削作業の際、同じ坑内で現場の切羽や後方のレールの整備を行っていた。これと並行して、地上にずり搬出用の配管設備、又は門型クレーン等が設置される。これらの工程の中で、電気溶接及び酸素アセチレンガスによる鉄骨の溶接、溶断の作業がある。次に、横式のトンネル掘削の本工事であるが、その場合の作業工程は、ダイナマイトによる爆発の方法を採らずに、鋼製の掘削装置をセットした円筒型のシールド機械で全断面を掘削し、数メートルの掘削ごとに鉄製又はコンクリート製円筒(セグメント)を構築し、一次覆工を行う。この工程でも、トンネル内切羽及びその後方で、鉄骨を酸素ガスによって切断したり、電気溶接したりする作業があるほか、トンネル掘削終了後に、シールド機械を解体する作業がある。最後に、コンクリート打設(巻立)作業であるが、これは、永久にトンネルを保持するため、セグメント(支保工)の下に鋼製のアーチ型枠をリング型にセットしてコンクリートを二〇センチメートルから二五センチメートルの厚さで巻立て、トンネルを補強するものであり、①型枠組立、②コンクリート打設、③型枠脱臼(型枠を縮めること)、④型枠ケイレン(セグメントに付着しているモルタル又はコンクリートを動力回転ブラシで取り除く作業)と整備、⑤型枠セットと油噴霧であり、毎日この作業が続行される。なお、以上のほか、トンネル内部をコンクリートで固めた後にクラックをV字型に削って塗り固める補修工事があるが、これについては、他の専門会社が行った。

三郎は、シールド工法が採られた場合においても、職長として、通常のトンネル工事の場合と同様の職務に従事したが、前記同様の現場作業にも従事した。

(2) 被告青木建設における通常のトンネル工事での粉じんの発生状況は、以下のとおりである。

① 削孔

通常のトンネル工事を行う場合の削岩機は湿式であったが、岩盤に最初に穴を開けるときは泥水がかかるので、削孔「のみ」が五センチメートルないし一〇センチメートルぐらい入るまでは、乾式で行う。この作業は、一つの穴について約一分であるが、一発破に際し一つの切羽につき約三〇本(少なくとも約二〇本)の穴を開けるのであるから、多量の粉じんが発生した。削岩機は、坑外に設置してある圧搾機から、鉄管で圧搾空気が送気され、これを動力として回転する。同時に削孔穴を作るのみ(ロケット)を削岩機の先端に取り付け、のみ尻に打撃を与えながら回転させ、削られたくり粉を穴の外に排出する仕組みになっている。

② ドレンパイプと火薬装填

ダイナマイトを込める前に、削孔穴の中に残ったくり粉を穴の外に吹き飛ばす作業がある。これは、火薬をスムーズに穴の中に挿入するための仕事であり、径二〇ミリ、長さ二メートルぐらいの中空鉄管でL型にできているドレンパイプを使用して、エアーを送りながら穴の中を掃除する。乾いていれば、くり粉が粉じんとなって吹き出され、飛散する。

③ ダイナマイト装填と発破

爆破準備として、削岩機やロッカーショベル等の機械、エアーホース、照明器具を、坑道後方約四〇メートルの場所に後退させる。

三郎は、坑内にいるときは、掘削進行第一が被告青木建設から指示されているので、その推進に全力を尽くした。火薬取扱有資格者がダイナマイトを装填し、電気発破の準備を終えると、発破を行う。そして、発破後三分ないし五分ぐらいで爆破が完了したことを確認した上、リーダーの掛け声で一斉に次の工程にかかる。三郎らは、元請である被告青木建設から工期をやかましく言われているため、発破後短時間で作業に取りかからざるを得なかったものである。

④ 粉じんと油煙の排除

発破直後の切羽の状態は、もうもうとした油煙と粉じんが立ち込め、狭い所に押し込められた形で停滞している。そこで、ずり積み機に使う直径約八センチメートルのエアーホースを、一人が切羽に向けて吹き付ける。視界が煙で極端に悪いので、もう一人が照明をともして足元を確認しながら切羽に前進する。エアーホースを番線でレールに固定し、強力にエアーを噴出させ、ガス、粉じんを短時間で排出させる。

また、掘削と並行しながら、送風管を取り付けて粉じんを排出することもある。このエアーホースと送風管は、トンネル工事においては、両方使うことも、片方だけ使うこともある。途中で設置した送風管をその後取り外し、四〇〇メートルないし五〇〇メートル掘削して、粉じんが多くなったのと、排気できなくなったのと、空気がだんだん汚染されてきたのとで、喉とか目が痛くなったから、また取り付けるということもあった。

このように、エアーを噴出させたり、送風管で粉じんを排出すると、五、六分ぐらいで粉じんや油煙が通り過ぎていき、視界がきき作業ができる状態になっていく。しかし、粉じんや煙が見えなくなっても、眼がちかちか痛む状態が残る。これは、粉じんをゼロにするわけではなく、あくまで拡散したり薄めたりするにすぎないのであって、かえって、細かい粉じんをかきたて、長時間これを浮遊させることになる。原告は、これを吸入した。

⑤ ずり出し

発破後、ずり出しまで色々な仕事があるが、特に注意しなければならないのは、切羽先端の地山の状態である。爆破の振動や軟弱な地質だと、天井が抜け出し、崩壊するからである。一番怖いのは、水の突出である。地山の安全を確認した上、ずり積み機の運転を始める。そして、他の作業者は、積込車の用意とか、切羽周囲の浮き石落とし等手分けして行う。

ずり積みが始まると、バケットの反転動作で粉じんがまた舞い上がる。砕石が湿っていれば少ないが、発破の熱で乾いてしまうので、新たな粉じんが発生する。散水をしながら積込みをするが、一時的なもので、浮遊する粉じんは、作業が終わらない限り絶えない。

⑥ 支保工建込(一次覆工)

トンネル掘削後、二次覆工(コンクリート巻立)まで地山を木材及び鉄材で囲って保持するのが、一次覆工である、支保工建込である。R型の鋼製枠を組み立て、その回りを矢板と丸太及び継ぎボールトを使用し、一メートルから1.3メートル間隔で建込を行う。

以上これまでの順序が一工程で、掘削終了まで毎日片番二工程で、昼夜で四工程の作業が、いかなる事情があろうと工期を守る絶対条件で続行される。

⑦ コンクリート巻立(二次覆工)

一次覆工の後、二次覆工として、コンクリート巻立作業がある。これは、トンネルを永久に保持するための工法である。

(3) 被告青木建設におけるシールド工法のトンネル工事での粉じんの発生状況は、以下のとおりである。

① 立坑工事の中の、電気溶接及び酸素アセチレンガスによる鉄骨の溶接、溶断の作業

電気溶接は、じん肺法施行規則二条別表第一の二一にいう「金属を溶射する場所における作業又は屋内若しくは船、タンク、車両、箱桁、ダクト、煙道、水管、坑等の内部において金属アークにより溶接する作業」に当たる(なお、アーク溶接とは、電気溶接の一種で、両電極間又は電極と工作物との間にアーク放電を行わせ、その熱で金属を溶接することをいう。)。そして、掘削が深くなるに従い、狭窄した場所となり、溶接、溶断作業でもうもうと立ちこめる煙を吸い込むことになる。

② シールド機械による掘削作業

シールド機械による土砂の掘削抽出作業については、発破を行う場合に比べれば、粉じんの発生は少ないが、粉じんがないわけではない。被告青木建設の職場は、最終粉じん職場として、そこで、じん肺の認定がされたのである。

③ 横式のトンネル掘削の本工事の際の、鉄骨を酸素ガスによって切断したり、電気溶接したりする作業

横式のトンネル掘削の本工事の工程でも、各所で鉄骨の溶接作業が毎日行われ、その煙が坑内に充満し、一〇メートル先も視界がきかないことがある。これを毎日吸入して作業するのである。シールド掘削機は、油圧式によって推進したり、回転するが、複数の油を使用するので、どこかで漏れた油が坑内の鉄骨鉄筋を主に使用しているシールド工事用資材に付着する。この油に切断バーナーの火が付いたときは、煙の濃度が高くなって充満するのである。

④ トンネル掘削終了後に、シールド機械を解体する作業

トンネルの大きさにより、シールド機の大きさも違い、日数は一〇日から大きなものになると一か月を要する。トンネル掘削終了の際のシールド機械の解体は、昼夜兼行で二か月ほどかかったこともあり、機械内外部に機械油が付着しているため、鉄骨の酸素ガス切断による燃焼で油煙はすさまじかった。送風管による排気設備が設けられ、二台位のブロワーで油煙を排出するが、三郎の着用しているマスクは、内側も外側も黒くなり、翌朝まで口から黒い痰が出た。神奈川県寒川作業所では、大型機械を二台解体するのに作業日数二か月を要し、三郎は、毎日、一日中現場にいた。被告青木建設は、掘削終了時点で、機械を回転させて油を抽出したり、油を拭き取ったりしなかったのである。

⑤ トンネル内部をコンクリートで固めた後にクラックをV字型に削って塗り固める補修工事

右工事は専門の業者が行ったものであり、三郎は、直接これに関与しなかったが、右工事の際には、粉じんが発生してこれがトンネル内に充満し(なお、換気装置は設置されていなかった。)、その後の清掃・整備作業中も粉じんが浮遊していた。一本のトンネル内で行われる作業であるから、結局、三郎も、粉じんを吸い込む危険にさらされたのである。

4  三郎のじん肺罹患とじん肺管理区分四の決定

(一) 三郎は、被告前田建設勤務時代から被告三井鉱山勤務時代を通じ、身体頑健であった。

(二) 三郎は、被告青木建設の下請である村田建設に勤務していた時代も、しばらくの間は自覚症状はなく、夏休みには長野県の浅間山や八ヶ岳にも登ったりしていたが、昭和五四年ごろから風邪をひきやすくなり、また、昭和五五年横浜市瀬谷区阿久和作業所の現場作業立坑(深さ一八メートル)の螺旋階段を一日何回か昇降するとき、息切れしてせき込むようになった。三郎は、最初のころはどうしてこのような状態になるのかわからず、職務上仕事を続けていた。

三郎は、同年五月ごろ、元請である被告青木建設の依頼で、健康診断回診車が現場事務所に来たので、健康診断を行ったところ、胸に陰影があると指摘され、要診断ということで、元請労務担当者の指示で横浜市長津田厚生年金病院で診断を受けた。その結果、再度胸の陰影を指摘されたが、この後、被告青木建設からは何の連絡も受けていない。その後、現場が変わり、昭和五六年一月一三日(この時期は、阿久和作業所との掛持ち作業中)、青井作業所で回診車による健康診断を行ったところ、要直接撮影と指摘され、同年八月にも同様の指摘をされた。このとき、三郎は、被告青木建設からの指示もなかったので、これがじん肺症であるということが分からず、また、じん肺法のことすら知らなかった。

三郎は、昭和五八年一月一七日、相模川作業所における工事中、寒川病院で一般健康診断を実施した際、やはり肺の汚れを指摘され、要精検、要加療、要注意と指摘された。

三郎は、同年一〇月には、風邪をひいて八日間位咳と痰が続き、休養しようとしたが、被告青木建設から、工事期間厳守を強く指示されていたことと、三郎の立場上の責任もあって、無理を重ねた。

しかし、三郎は、この間、風邪をひいてつらかったときや階段を昇るとき以外の現場作業及び日常生活には支障がなかったこと、被告らに勤務してきた期間、一貫してじん肺に関する安全教育がされてこなかったことから、じん肺症の恐ろしさについての知識がなかったこと、当時職長として重要な地位についており、また、労災患者が発生すると、元請、下請とも工事受注にまで影響すると指示されていたことから、三郎自ら症状を申し出ることもできない状態であった。

むしろ、被告青木建設からは、各診断結果について、特段の指摘も注意もなく、かえって、三郎は、現場かけもちを強いられたりした。

(三) このような経過を経て、三郎は、次第に身体がきつくなり、また、工事が途切れ途切れになったり、被告青木建設の上役とのトラブル等も原因として重なり、退職を余儀なくされ、昭和五九年七月に被告青木建設を退職した。

(四) 三郎は、退職金も支給されず、その後約半年間失業保険で生活したが、この間、同年一二月上旬、風邪で二週間も寝込み、咳、痰、ぜんめい等に苦しんだ。この時黄色の濃い痰が出たのと、両指先の裏面の皮膚がむけていくのに動転し、じん肺に罹患していた友人の紹介によって、同年一二月二六日、東京都港区にある医療法人社団港勤労者医療協会芝病院(以下「芝病院」という。)の海老原勇医師(主治医)の診断を受け、レントゲン撮影、肺機能、心電図、採尿、採血等の各検査の結果、右同日、じん肺症と診断され、労働不可能と指摘された。同医師は、その際、「これまでよく辛抱できたなあ。」と驚いたほどであった。三郎は、これがじん肺であるということがはっきりと分かり、目の前が真っ暗になった。

(五) じん肺管理区分四の決定

三郎は、昭和六〇年一月九日、神奈川労働基準局長に対し、前記診断に基づき、じん肺法一五条の規定によるじん肺管理区分認定の申請をし、同年二月一四日、じん肺管理区分四の決定通知を受けた。

5  じん肺の病像

(一) じん肺の疾患としての特質

(1) 進行性

じん肺は、進行性疾患である。

進行性とは、単に粉じん職場での就労が継続すると、その間にじん肺の病変が進行するという意味にとどまるものではない。より重要なことは、粉じん職場を離れ、原因関係が切断された後も、じん肺の進行はとどまらず、その病変の悪化が続いていくということである。

ここに、じん肺の恐ろしさがある。じん肺被害の大きな特徴点は、ある時点にとどまってその被害の全貌をとらえることができないという点にあり、その被害の全体を把握するためには、常に、じん肺患者に確実に訪れる―そして、三郎に現に訪れた―悲惨なじん肺死までをも念頭におき、それをも含めて予め被害として把握しておく必要があるということである。

進行性疾患であるじん肺には、症状固定という概念が入る余地がない。症状は日々進行増悪していき、被害が拡大していく。肺内に堆積した粉じんに肺細胞は絶えず反応を続けており、その肺細胞の粉じんに対する反応が限界を越えれば、細胞レベルの反応が急激に肺組織レベルから、更に肺循環系統の組織変化へと突き進んでいくことになり、症状も突然悪化していくことになる。その最も極端な形が、突然のじん肺死である。

(2) 不可逆性

じん肺は、不可逆性の疾患である。

じん肺病変のうち、ごく初期の段階の炎症性変化に対しては治療効果を認めうるが、線維増殖性変化、気腫性変化、進行した炎症性変化、血管変化に対しては、治療方法が全くない。じん肺は、基本的に不治の病なのである。わずかに施される治療は、当面の苦痛(呼吸困難や咳・痰)を和らげるための対症療法か、せいぜい合併症に関するもので、じん肺を治すことは無論、進行を止めることもできないのが現実となっている。

(3) 全身性

じん肺は、単に肺胞が粉じんによって充填されるために呼吸機能を奪われるだけのものでないことは当然であるが、じん肺病変の進展に従って種々の疾病が合併又は続発してくる点に、この病気の恐ろしさがある。

これらの疾病の詳しい内容については後述する。

(二) じん肺の発症及び進行の機序

(1) 生命管としての呼吸器と肺機能の重要性

呼吸器官は、鼻腔からはじまり、咽頭、喉頭、気管、気管支、細気管支を経て肺胞に及ぶ。呼吸は、生命の維持と生存活動の最も基本的、根源的な作用である。

生体は、呼吸によって空気を肺内(肺胞内)に取り込み、肺胞と肺毛細管血液との間に、酸素と炭酸ガスの交換(ガス交換)を行う。こうして体内に取り込まれた酸素を使い、生体は、物質代謝(エネルギー代謝)を行っていくのである(海老原勇「働らくものの呼吸器疾患」〈書証番号略〉)。

肺は胸の左右を占め、体内で最も大きい臓器である。直径二〇ミリメートルの気管は、心臓の上で左右に分かれ、肺門部から肺内に入ると、五ミリメートルないし六ミリメートル径の気管支になって、右は上、中、下の三葉に、左は上、下の二葉に分布する。気管支は更に細かく分岐して肺胞に達するが、一番細い気管支の直径は、0.2ミリメートル(二〇〇ミクロン)程度である。心臓からくる肺動脈は、気管支と同様肺門部から肺内に入り、常に気管支に伴走する。この気管支と動脈の周囲には、ちょうど鞘でくるむように肺間質と呼ばれる結合組織がある。肺間質の中は、肺門部のリンパ腺や、肋膜のリンパ腺への通路になっている。いわば肺の下水道のようなもので、リンパ腺はちょうど濾過タンクに当たる。

肺機能を営む主要部分は肺胞である。細小気管支に続いてぶどうの房のような空気袋が形成される肺胞壁の弾力線維によって吸気時にふくれ、呼気時に小さくなる。この壁には毛細血管が網目のように多数分布していて、呼気中の酸素は、拡散によって血管内の赤血球に結び付き、赤血球の過剰な炭酸ガスは肺胞内空気に向かって拡散する。肺胞の数は九億にも達し、心臓から送られた全身の血液を浄化しているわけである。したがって、肺胞に空気が通らなくなればもちろんのことであるが、血液が通じなくなれば、その部位の肺機能はなくなる。じん肺の場合も結局はこの肺胞が粉じんによる変化のために充填され、機能を失うことになる(佐野辰雄「日本のじん肺と粉じん公害」七七、七八頁〈書証番号略〉)。

(2) 粉じんの吸入と生体防御機能

① 空気中に微細な粉じんが混じっている場合、呼吸に伴って粉じんは呼吸器内に入ってくる。粉じんは生体にとって異物であり、物理的、化学的な諸作用を生体に及ぼすことから、生体はこの異物に対して反応し、その作用を拒絶しようとする。この作用が生体の防御反応であり、生体防御機能である。

もともと肺は他の臓器に比べて大きくできており、肺胞の数は九億に達するといわれ、肺胞の全表面積は一〇〇平方メートルに及ぶといわれている。この肺胞壁でガス交換が行われているのである。

この大きな肺は、三分の一を切除されても、通常の日常生活活動には支障がないといわれ、切除が二分の一に及ぶと強い臨床症状が現れ、日常生活活動に支障が現れるといわれる。他の臓器と異なり、肺にはその程度のゆとりが本来的に与えられている。それは、肺が生命維持の基本組織としてそれだけ重要であり、多少の障害に対して耐え抜かなければならない組織であるからといえる。

② 肺にそれだけのゆとりが与えられているにもかかわらず、呼吸器には、なお多くの生命防御機能が備えられている。生命管を守るため、呼吸器には、念には念をいれた機能が備えられているのである。

第一に、呼吸器の入口である鼻において、粉じんは処理される。鼻の機能は、肺に送る空気の清浄と、加温、加湿にある。それによって深部気道の保護を図るわけである。ここで、大きな粉じんは鼻毛によって処理され、より小さな粉じんは粘膜に付着して、粘膜の腺毛上皮運動や、喰細胞の捕食、鼻汁による洗い出しによって処理される。

第二に、喉頭を通過した微細な粉じんは、渦を巻きながら気管、気管支を下がっていく空気によって、気管、気管支に付着する。ここで粉じんは、細胞(ゴブレット・セル、粘液分泌細胞)と気管支腺から分泌された粘液に付着し、繊毛上皮の上昇運動(繊毛運動)によって喉頭まで押し上げられ、喀痰となって排出される。繊毛運動は、気道内に入った異物を排出するうえで大きな位置を占める。粉じんを含んだ粘液を一分間に一五〇〇回に及ぶ繊毛運動により1.5センチメートルの速度で運び上げ、肺末梢部まで吸入された粉じんを四、五分で喉頭まで運ぶといわれる。喉頭に運ばれた粉じんの一部は、痰として喀出されるが、多くは一日約五〇〇cc食道内に飲み込まれていく。

第三に、多くの粉じんは、以上の生体防御機能により排出されていくが、なお一部は肺胞内まで到達する。肺胞にまで到達した微細粉じんに対しては、肺胞大喰細胞とリンパ腺とがその処理に当たる。肺胞大喰細胞は、肺胞壁から出て微細粉じんを体内に取り込む。そして、微細粉じんを取り込んだ大喰細胞は、リンパ開口部を通ってリンパ管に入り、肺内部リンパ管にこれを運び込む。また、繊毛上皮のない呼吸細気管支からもリンパ腺に微細粉じんが運ばれてくる。大喰細胞に取り込まれた一部の粉じんは、喀痰となる。なお、一部は、リンパ管を通って肋骨のリンパ腺にも運ばれていく。

以上のように、呼吸器の生体防御機能は、常に肺内から粉じんを排出する方向で機能している。それにもかかわらず、なお肺内に粉じんが残る場合、生体防御機能は、粉じんを生体にとって無害化するためにじん肺結節を形成してその中に粉じんを取り込む。これがいわゆる線維性変化である。

線維性変化は、通常リンパ腺において最初に進行していく。リンパ腺に粉じんが運び込まれ、そこに粉じんが蓄積していくからである。

しかしながら、粉じんの蓄積は、リンパ腺に止まらない。肺胞や気管支のリンパ管開口部にも粉じんは蓄積するし、リンパ管への蓄積が進めば、リンパ流路に変化が生じ、肺内粉じん排出路が塞がって、肺内各所に粉じんが蓄積していくことになる。

こうしてリンパ管内や肺内各所に蓄積された粉じんに対しては、その周辺の細胞が増殖変化(線維増殖)を起こし、粉じんによる作用を阻止しようとする。こうしてじん肺結節が形成されるに至る。その変化は、粉じんの種類によって違いがあり、珪酸じん肺に特徴的に現れる。

③ 粉じんが対外的に排出されず、結節が形成されるということは、それ自体、既にじん肺の進行が始まっていることを意味している。

しかしながら、この線維増殖変化そのものは、本来、粉じんによる有害作用を阻止するための生体防御反応の一つである。線維増殖変化、結節の形成をみていくうえで、このことを決して忘れてはならない。

なぜならば、極めて初期の段階でこの異常な量の粉じん吸入が止んでいるなら、この線維増殖変化は、肺組織防衛のための生体防御反応として、生体に益をもたらすはずのものであったからである。

「疾患としてのじん肺」は、生体に与えられ、備えられた防御機能では防御不能なほどに大量の粉じんを、長期にわたって吸引し続けたことを意味している。前記のように、肺は、その三分の一を切除しても機能が維持されるように余裕をもって作られている。じん肺結節は、肺組織の一部が自らを犠牲にしながら粉じんを無害化していった結果である。それが、長期・大量の粉じん吸入継続により、ついに肺に与えられた余裕を超え、生体防御機能が粉じんに対して闘えば闘うほど肺機能が毀損される―明らかに生体本来の生理の仕組みに反した背理的結末―という悲惨な状態を「疾患としてのじん肺」と理解する必要がある。結局、それは、このような状態を生じさせた労働実態が、人間本来の生理機能や生理的限界を無視した異常な労働であったことを意味しているのである。

(三) じん肺の形成と進行

(1) じん肺の基本病変

① じん肺の基本的疾変は、Ⅰリンパ腺の粉じん結節、Ⅱ肺野の粉じん結節、Ⅲ気管支炎、細気管支炎、肺胞炎、Ⅳ肺組織の変性、壊死、Ⅴ肺気腫、Ⅵ肺内血管変化、Ⅶ肺性心である。これらの変化は、一連のものとして発生・進行する。同時並行的に進行することもあれば、突然ある時期にある病変が悪化するということもある。進行の特徴は、淡々として直線的に悪化するわけではなく、悪化・小康・急変が入り交じりながら、ジグザグに進行していくという点にある。この基本的病変を図示すると、次のようになる。

更に、これらの基本的病変に伴って、様々な合併症が現れ、また、身体の諸部位に障害が現れてくる。このように、じん肺病変の進行と、これに伴う身体的諸変化は、複雑・密接にからみあいながら、次々に現れてくる。その変化は、夏期・冬期によっても現れ方が違う。そして、ついにはじん肺死に至るのである。

この複雑なじん肺の病変を、ある瞬間において固定的にとらえることは、じん肺の基本的病変の特質からみて誤りである。じん肺の病変は、五年、一〇年という単位において理解しないと正しい把握はできないし、少なくとも一年単位で変化をとらえなければ、その将来を予測できない。

② こうしたじん肺の病変の進行により、じん肺患者の労働能力は喪失するに至る。

5(二)(2)③で指摘したとおり、「疾患としてのじん肺」とは、結節の形成(線維増殖性変化)が、肺組織のもつ生体防御機能の域を超え、リンパ管が粉じんで埋め尽くされ、肺組織自体も次々に埋められて機能を停止していき、大臓器として十二分の余裕をもって作られた肺が、その余裕を失ってしまった状態である。しかも、結節に加えて、気管支炎、細気管支炎、肺胞炎や肺組織の変性、壊死、更に肺気腫や肺内血管変化が一連のものとして現れてくる。

これらの病変の結果、肺組織が一定以上に障害され、機能を喪失していけば、日常の生活上(衣食住)にはさして支障がなくても、労働が不可能となり、あるいは労働が更に肺に負担を加えて障害を促進するため、労働力を要する分野では、肺は廃疾の状態に至っているのである。

じん肺法二三条は、「じん肺管理区分が管理四と決定された者及び合併症にかかっていると認められる者は、療養を要するものとする。」と規定する。

こうして労働能力を奪われたじん肺患者が、以後療養を継続しても、既に述べたように、症状に曲折があるにしろ、その症状は次第に悪化し、ついにじん肺死に至る。それは長期療養の末の死であることもあるし、ある日突然訪れる死であることもある。

じん肺患者は、生存にとって必須の生命管を破壊されており、更に、じん肺罹患に伴い身体の各所にも前記のような全身性の変化を受け、全身的な衰弱から抵抗力も弱まっていて、このため、細菌に感染しやすかったり(喰細胞等の生体防御機能の低下)、ちょっとした過労や気候の変化によって重大な影響を受け、死に至るのである。

(2) リンパ腺及び肺野じん肺結節の形成(線維増殖性変化)

じん肺結節は、レントゲン上特異な像として現れる。

その像は、珪酸じん肺でとりわけ特異である。

結節は、粉じん周囲の細胞の増殖(線維増殖性変化)によって生ずる。それは、本来、異物たる粉じんから肺組織を守る生体防御反応の一つであり、余裕をもって作られた大臓器の肺が、その組織の一部を埋めて粉じんを押さえ込む現象といえる。しかし、同時に、それは、組織の一部を犠牲にすることであるから、結節が増加していけば、自ずから肺の負担は増加し、ついに生体防御作用そのものが同時に生体の破壊となって現れざるを得なくなるのである。

(3) 炎症性変化(気管支炎等)

粉じんの長期大量の吸入は、結節の形成と同時に、気管支・細気管支・肺胞等に炎症性変化(気管支炎・細気管支炎・肺胞炎)をもたらす。

吸入粉じんは、長期にわたって気管支を刺激し続ける。これに対して、細胞(ゴブレット・セル)や気管支腺の機能が亢進して、粘液の分泌が増え、粉じんに対抗する。このため、細胞が増え、気管支腺の肥大が進む。繊毛上皮も変化して、偏平上皮のように見えることもある。

細気管支からもさかんに粘液が出る。細気管支には気管支腺や細胞がない。しかし、繊毛細胞が粘液分泌細胞に変化し、極めて粘稠な粘液の分泌が行われる。この粘液を喉頭へと送り出す繊毛上皮はもともと乏しく、しかも、粘液分泌細胞に変化しているため、粘液の排出も困難となる。加えて粘膜は浮腫を伴いやすい。炎症に伴って、輪状平滑筋が緊張し収縮して、気道腔が容易に狭くなったり、閉塞を起こす。

この細気管支部で、気管支は急に細くなる。このため、空気抵抗も大きくなり、粉じん等の異物が蓄積されやすく、その影響を最も受けやすい。

細気管支・呼吸細気管支の炎症は、周囲の肺胞壁に炎症を波及させ、また、容易に狭窄・閉塞を起こす。

炎症性変化に伴い、咳・痰がひどくなり、持続する。初めは冬期、それも朝起きがけに咳き込み、痰を出すが、次第に夜・昼となく咳・痰が出るようになり、痰の量も増え、濁ってきて、切ろうとしてもなかなか切れない固いどろどろの痰となり、咳も発作的な激しい咳になる。もっとも、気管支変化が極度に進んでいくと、繊毛が脱落し、細胞が減少し、やがては痰すら出てこなくなるまでに至る。

(4) 肺組織の変性・壊死

細気管支・呼吸気管支の狭窄、閉塞に伴い、肺胞は無気の状態となり、しぼむ。そこに結節が作られて、結節同士が融合し、塊状巣を作る。

塊状巣の細胞は次々に死に、再生されないため、肺組織は崩れて組織壊死・空洞化する。壊死した肺組織は、無論、肺として何らの機能も果たさない。

(5) 気腫性変化(肺気腫)

細気管支・呼吸細気管支に炎症が生じ、粘液で満たされており、腫張が生じて狭窄状態となると、肺胞・呼吸細気管支内の陽圧・陰圧のバランスは崩れ、この部分の含気量が増大する。肺の弾性力が低下し、肺全体が大きく膨張して気腫性変化に進む。粉じん結節による気道の閉塞の場合も同様である。

肺胞系は、肺の本来の機能であるガス交換の場であるが、気腫性の変化によってこの肺胞系が破壊される結果、肺胞の含気量が多くてもガス交換はされず、その結果、血液中の酸素濃度は低下し、炭酸ガス濃度は上昇する(低酸素血症を惹起)。

労働省安全衛生部労働衛生課編集の「じん肺検査ハンドブック」(〈書証番号略〉)も、冒頭に「じん肺と肺気腫」の章を置き、「じん肺は、その早期の段階から気腫様変化を伴うことが多く、肺気腫がじん肺有所見者の肺機能低下に及ぼす影響は大きい」として、肺気腫の重大性を指摘する。

レントゲン写真によって直接確認しうる結節よりも、レントゲン写真上は隠されたこの肺気腫の方が、現実にはじん肺の恐ろしさを形作るより重要な要素なのであり、患者を苦しめる中心の一つである。そして、その存在を確認する肺機能検査も、この点で重要である。

肺気腫の初期は、咳・痰を伴う。咳・痰は気管支の炎症変化によって生ずるが、肺気腫の初期症状でもある。そして、気管支の炎症変化の繰り返しによって肺気腫も増悪進行していく。やがてぜんめい・呼吸困難が出現し、日常生活に重大な障害が生じてくる。

悪化因子としては、寒冷・高温度、大気の汚染があげられる。

理学的所見では、典型例では、胸部は樽状に前後径が拡大し、頸静脈は怒張し、安静換気時にも呼吸補助筋を用いるようになり、肩で息をつくようになる。

前記のように、肺胞系の重大な障害であるため、ガス交換が不全となり、血液中の酸素濃度が低下して低酸素血症状を引き起こし、口唇・口腔・口腔粘膜、爪床等にチアノーゼを生じさせる。また、指が太鼓のばち状となるばち状指も現れ、全身萎縮が生じてくる。やがて、右心不全も出現し、静脈鬱血、肝肥大、下肢浮腫など全身に障害が及んでくる。

このように肺気腫は、じん肺諸症状の中でも最も重大な障害であり、この出現によってじん肺は急速に悪化し、患者の日常生活に大きな障害が現れてくる。

(6) 肺内血管変化

じん肺結節が形成されていくと、肺内血管はこれに取り囲まれ圧迫されて様々に変化し、血管壁の変化(肥厚)を生じて狭窄・閉塞を起こす。これらに伴い肺高血圧症が発症する。

(7) 肺性心

肺気腫の形成や肺内血管変化によって血中酸素は欠乏し、肺循環障害を来す。そして、肺性高血圧からついに肺性心へと至っていく。

(8) 合併症、全身性変化

① 続発性気管支炎、続発性気管支拡張症、続発性気胸

じん肺患者で、持続する咳・痰のある者は、気道に慢性炎症性変化を有していること、前記炎症性変化の項で述べたとおりである。このような状態で細菌感染が加わると、ひどい炎症を起こし、呼吸困難が激しくなる。このような状態を続発性気管支炎と呼ぶ。

また、咳・痰のほかに、血痰・喀血などが混じるときは、続発性気管支拡張症が疑われる。これは、長期の気管支障害の血管、気管支壁の支持組織が破壊されて、気管支が拡張状態になることによって生じる。

肺結核、肺炎、気管支拡張症や肺気腫などにより、胸膜腔内に空気又はガスが存在するに至る状態を気胸という。自覚症状を欠くこともあるが、激烈な胸痛や呼吸困難を伴うことが一般で、ショック状態に陥ることもある。

じん肺法は、続発性気管支炎、続発性気管支拡張症、続発性気胸を合併症としているが、本来、これらの疾病は、じん肺そのものの基本病変であることは前述したとおりである。

② 肺結核、結核性胸膜炎

じん肺の結果、肺に本来備わった生体防御機能は十全の働きを示さず細菌等に感染しやすくなる。

肺結核は、こうした感染症の中でもじん肺に合併する頻度が高い。しかも、じん肺がベースに存在している故に、抗結核療法も効きにくく、このため治療に手間隙を要する上、治らないこともしばしばある。そのうえ、ベースとしてのじん肺の存在に気が付かず、単なる結核として処理され、このため、じん肺法上の補償も受けられないまま、じん肺患者が長期にわたって悲惨な療養生活を強いられることも多い。

胸膜炎は、主として結核性病変に続発して生ずる胸膜の炎症である。悪寒を伴って突然高熱が生じ、呼吸、咳、欠伸などによって増加する強い胸痛が特徴である。臨床上結核病巣を確認しうる場合の胸膜炎の発見は容易であるが、病巣が確認できない場合の胸膜炎の発見は容易でない。

③ 肺がん

じん肺は肺がんを準備する。じん肺による慢性の炎症性変化は、がん変化への組織素因を提供する。しかも、粉じん中には、がん原物質が含まれ、容易にがんの発生をもたらすのである。

④ 低酸素血症と全身の変性

じん肺による肺組織の破壊は、肺本来の機能であるガス交換機能を阻害し、血中の酸素外圧が低下して低酸素血症をもたらす。

これにより、チアノーゼやばち状指が生じ、全身萎縮が生じることは広く知られている。そのほかに、じん肺に伴う全身性の障害として、胃腸管障害、各種臓器の悪性腫瘍、血管障害、虚血性心疾患、中枢神経系の障害、腎臓、内分泌系の障害、免疫異常が生じる。

(9) じん肺死

じん肺が形成され、進行したその帰結は、じん肺死である。

医療の進歩と保険制度の普及により、我が国の平均余命も延び、じん肺患者の余命も延びつつあるが、なお、その死は、平均より早く訪れるというのがじん肺被害の現実である。

余命が延びることにより、他の疾患により死亡するじん肺患者も増えつつあるが、大多数のじん肺患者は、心肺機能の異常を原因とし、あるいは、これによって引き起こされた循環器の障害によって死亡している。更に、前記のようなじん肺の全身性の障害をも考慮の対象に入れるならば、その死に対する行政認定の結論のいかんにかかわらず、じん肺患者の死は、常にじん肺死とみなすことができるといえる。

6  じん肺の歴史

(一) じん肺は人類最古の職業病

じん肺は、人類最古の職業病であるといわれ、粉じんの吸入が肺疾患をもたらすということは、古くから知られていた。すなわち、じん肺症状に関する記述は、古く紀元前にまで遡り、古代ギリシャの医師ヒポクラテスが石工あるいは坑夫などに呼吸困難を訴える者が存在することを記述したもの、古代ローマの博物学者プリニウスが有害粉じんの吸入を防止するための工夫について記述したものがあるといわれている。また、じん肺に関する最も古い正確な記述として、アグリコラが著した「デ・レ・メタリカ」(一五五六年)中の「坑内では、岩石粉の飛散がはなはだしく、これらの粉じんは容易に血液に侵入して、ついに呼吸困難を惹起する。」との記述がある。

一八世紀後半から、いわゆる産業革命が進展する中で、ダイナマイトの発明、ハンマードリルの完成によって、粉じん発生量が急増し、じん肺症が深刻な社会問題となり、じん肺症に対する組織的な研究と対策が推進されるようになった。一九一二年には、南アフリカ連邦で、世界最初のけい肺法が施行され、これを機に先進諸国でじん肺に対する予防・補償を内容とする法律が制定され、施行されることになった。

一九三〇年には、世界各地でじん肺被害が多発し、深刻な社会問題となっていたことを背景として、ヨハネスブルクでILO主催の「第一回国際けい肺専門家会議」が開催された。第三回からは、その名を「国際じん肺専門家会議」と改称し、広くじん肺全般を対象とした検討が行われるようになっており、以来、今日まで継続して開催されている。

(二) わが国のじん肺の歴史

わが国でも、じん肺は、江戸時代から「よろけ」等と呼ばれ、最も古くから知られていた職業病である。わが国でのじん肺に関する最古の文献としては、既に延宝年間(一六七三年から一六八〇年まで)に佐渡の益田玄晧なる医師が坑夫の「よろけ」に対し、「紫金丹」と称する除毒剤を処方したというものがある。また、既に明治時代から、多くの研究者によって、主にけい肺を対象としたじん肺に対する医学的研究が進められており、用語や粉じん測定法等を含め、既に海外のじん肺情報も相当入ってきており、大正末には、じん肺についての相当の調査・研究が存在していた。

明治になって、全国的に鉱山の採掘と鉱物の売買が許可され、鉱山において火薬の利用が急増したことにより、じん肺の被害も飛躍的に増大した。更に、大正から昭和初期にかけて、鉱山で削岩機が普及し、より一層被害が増大し、じん肺は、その悲惨な被害の実態により、深刻な社会問題となった。このような状況の中で、労働者側は、大正一四年、労働同盟の全国大会において「よろけの保護」を満場一致で可決した。また、全日本鉱夫総連合会と産業労働調査所は、「よろけ」の原因と予防対策を解明した「よろけ=鉱夫の早死にはよろけ病」のパンフレットを発行し、じん肺対策として、企業に労働時間短縮、乾式削岩機の禁止、定期健康診断の実施を要求するとともに、政府に、じん肺を職業病として認めること、衛生監督官を設置すること等を要求した。

このような情勢の中で、昭和四年一二月改正「鉱業警察規則」でわが国最初のじん肺防止規定(六三条、六六条)が設けられた。

昭和五年、政府は、ILOが、じん肺を職業病として取り上げたのを受けて、じん肺症のうち、鉱夫のけい肺を職業上の疾病に指定し、次いで昭和一一年には、製鉄所、鋳造物工場、耐火煉瓦工場、タイル製造などの窯業所などにおけるけい肺が業務上の疾病として取り扱われるようになった。これ以後、じん肺に関する研究は更に前進し、多くの文献が現れている。

第二次世界大戦後は、労働基準法が制定されて、労働条件の向上、労働者の生命と健康の保持増進が強くうたわれるに及んで、徐々にではあるが、労働者保護の立場から、本格的なけい肺対策が行われるようになった。

昭和二一年、銅山の町足尾での鉱山復興町民大会において、けい肺撲滅宣言が採択され、けい肺撲滅のために全国的運動をすることが決議された。また、日本鉱山労働組合も、その結成大会において、「よろけ」の根絶と保護法の制定要求を掲げ、じん肺の予防、健康管理、補償を含めた立法運動に取り組んだ。これを受けて、各地でけい肺絶滅の要求が起こり、労働省も、昭和二三年以降全国規模のけい肺一斉巡回検診を実施した。

しかし、容易に保護法は立法化されず、鉱山等の急速な復興と増産が強行される中で、例えば、足尾鉱山においては、昭和二二年から一〇年間で一〇〇〇名近いけい肺患者が発生した。実に、労働者一〇人に一人の割合でじん肺に罹患したことになる。

このような状況に対し、鉱山労働組合は、昭和二六年、保護法案を作成し、炭鉱、造船、自動車などの労働組合と共闘して、保護法立法化に取り組んだ。そのような運動の成果により、昭和三〇年、「けい肺特別保護法」がようやく制定された。しかし、その内容は、極めて不十分なものであったため、昭和三三年四月、「けい肺及び外傷性脊椎障害療養等に関する臨時措置法」が制定され、続いて、昭和三五年三月三一日、「じん肺法」が制定された。

このような経過でじん肺に対する立法がされたが、多種多様な職業病がみられる中で、単独の保護立法を有する職業病はじん肺だけである。その理由としては、じん肺症が極めて悲惨なものであることに加えて、罹病者の数が多いことがあげられる。

(三) じん肺法制定後のじん肺患者数

昭和三五年の「じん肺法」の制定後も、じん肺の罹病者の数は減少せず、年々増加の一途をたどっている。それは、じん肺法そのものが、疾病の発生原因である粉じん自体を具体的に規制せず、従業員の健康管理や有所見者の処遇等を中心として、なお極めて不十分な規制法であるとともに、使用者がこの法律すら遵守しない現状にあるからである。

また、離職した元地下産業労働者の中にも、今なお多数の罹病者が存在していること、高度成長経済の中で粉じん対策が怠られたこと、更に、粉じん労働が中小零細の下請業者に押し付けられていること等がその原因である。

現在でも、約五〇万人といわれる粉じん作業従事者について、じん肺発生についての十分な対策が取られていない結果として、日々新たな大量患者が生み出されている。

じん肺法二三条により新たに要療養患者とされた者の数は、「一 はじめに」で指摘したとおり、なお高水準を保っている。

更に、重要なことは、要療養と認定される患者は、定期健康診断受診者には少なく、大半はそれ以外の随時申請(その意義は後記7(四)(3))による患者であり、定期健康診断の実施されていない粉じん職場や粉じん作業離職者に多くの重症患者が発生していることが明らかとなっていることである。

また、定期健康診断受診者に関するじん肺管理区分決定状況について管理区分二ないし四を含めたじん肺有所見者をみても、平成二年度においては、じん肺健康診断受診者二一万六四二〇人に対し、有所見者は二万五八一五人で、有所見者率は一二パーセントと極めて高率となっている。そして、その分布も、製造業、鉱業、建設業などに広く及んでいる。しかも、このじん肺検診が、じん肺法が予定している事業所の半数以下しか実施されていないこと、現在じん肺法が予定していない事業所が多数存在していること、かつて粉じん職場で働いていた者の多くが、じん肺検診を受けていないこと、要療養患者のほとんどが随時申請によるものであることを考え合わせると、更に多くの潜在患者が放置されているとみるべきである。このことは、三郎も、離職後にじん肺管理区分決定がされていることから、明らかである。

7  トンネル工事におけるじん肺被害

(一) 現在の発生状況

昭和六〇年度にじん肺法に基づいて行われたじん肺健康診断の結果をみると、トンネル(ずい道)工事関係の要療養認定患者数は、三一九名であって、当該年度の全産業の要療養者一三八七名の約二三パーセントに相当している。そして、じん肺の所見を有する者も多く、健康診断受診者六七三七名中一〇二一名、約15.2パーセントに当たる者が、じん肺の所見を有している(労働衛生ハンドブック昭和六一年度版二二七、二二八頁)。

(二) 戦前におけるトンネル工事とじん肺

(1) 我が国のトンネル工事は、鉄道建設に伴って発展した。鉄道建設は、明治維新後、「殖産興業」政策の中心として位置付けられ、急速に発展した。

掘削方法は、当初、のみ、つるはしによる平掘り、又は岩盤の固い個所における火薬の使用によったが、一八九七年(明治三〇年)篠ノ井線冠着トンネルと中央線笹子トンネルにおいて削岩機が使用され、以後削岩機の使用が一般化するようになっていった。

これらのトンネル工事には、大量の労働力が必要であったが、同時に、掘削作業に熟練した労働者が必要であった。そこで、これらトンネル工事には、生野銀山や足尾銅山の鉱夫が招致されるなどした。

また、一九一二年(明治四五年)着工の九州佐伯線建設のトンネル工事に近隣の住民が大量に駆り出され、この工事を通じてトンネル工事の技術、技能集団が形成され、以来、この地域は、全国のトンネル工事に出稼ぎに行く労働者の基地化した。

(2) 戦前においても、トンネル掘削は盛んに行われ、作業とじん肺発症の因果関係についても、加藤恭「隧道開鑿中の坑道内有害物ニ就テ」(日本鉄道医協会雑誌、一九二六年)、田中鉄治「隧道開鑿作業員ニ散見スル一種ノ肺湿潤ニ就テ」(同右、一九二八年)、松永知義「鉄道衛生」(『日本の労働科学』所収、昭和一九年)、鯉沼茆吾「職業病と工業中毒」(一九三八年)、石川知福「塵埃衛生の理論と実際」(同右)などが言及している。地殼を構成する造山酸化物のうち六〇パーセントが珪酸(SiO2)であることからすると、トンネル掘削作業は、類似の作業内容、作業環境である鉱山労働と同じく珪酸粉じんを原因とするけい肺の危険性が極めて高いことは明らかであり、少なくとも鉱山における場合と同様の時期に掘削作業によるけい肺発生の危険は予知できたと考えるべきである。

(3) 前記7(二)(1)において、一九一二年(明治四五年)着工の九州佐伯線のトンネル工事に近隣の住民が労働者として駆り出され、トンネル掘りの技能、技術集団が結成されたことを述べたが、ようやく昭和四〇年代になってこの地域においてもじん肺が顕在化し、社会問題化した。一九七六年(昭和五一年)四月一七日の西日本新聞は、潜在患者を含め約三〇〇〇名もの患者が発生していると報道した。

このように、戦後になって大量に患者が発見された理由はなんであろうか。

戦前においては、じん肺の隠蔽が経営者によって行われた。トンネル掘削作業においても、この点同様であったろうことは想像に難くないが、加えて、トンネルは、一定の工期間の限られた期間の労働であり、労働現場が一定せず、更には工期が終了すると従事した労働者はいったん解雇されることが多く、また、労働組合の力もないことなど、この経営者のじん肺隠蔽工作を極めて容易にしうる条件がそろっていたのである。このため、戦後のじん肺撲滅運動とその成果としてのじん肺法制定という大きな社会的流れの中にあっても、その被害実態は、しばし明るみに出ることがなかったのである。

(三) 戦後我が国におけるトンネルじん肺多発の系譜―その社会的背景、要因及び特徴

(1) 戦後におけるトンネルじん肺の発症の原因は、終戦後、電源開発を契機にしたトンネル掘り作業に若年労働者の大量移入が一つの大きな流れとしてあったことによる。

戦後間もなくのトンネルじん肺についての注目すべき報告は、労働省が昭和三四年に我が国におけるトンネル建設従事者一万数千人を対象にした検診を実施し、これを報告書でまとめ、けい肺の実態の全貌を初めて明らかにしたことである。それによれば、粉じん作業者が年数別・有所見率でとらえられ、高度けい肺の有所見率は、他産業に比べ有意に高いというデータが分析されている。

(2) そして、第二の流れは、六〇年代以降現在に至るまでの間である。この間、トンネルじん肺の特徴は、次のとおりである。すなわち、六〇年代以降しばらくの間は、文献上じん肺の疫学的所見は公表されずにいたが、一九七〇年に入って、三重県・和歌山県県境、富山県東部地域、大分県南部地域で、トンネル坑夫出身者の中に郷里から大量のじん肺患者が発見されたと伝えられている。

右事例の特徴は、じん肺発生産業種別と管理四の認定者数において、かつて絶対数では金属鉱業、石炭鉱業が最も多かったのであるが、七〇年代以降に入り、ずい道建設業関係が急激に増加し、現在は金属鉱業を抜いて二位に上昇してきたという点にある。

そして、このようなじん肺患者多発の社会的要因は、戦後の経済復興期の電源開発事業でトンネル坑内に入り、次いで、高度成長期、主に高速道路、新幹線などのトンネル掘削に従事した労働者達が大量に発生したということにあった。そして、その中から、現在管理四の認定が大量に出ているという傾向が顕著なのである。ちなみに、七〇年代の我が国のトンネル工事の見通しは、延長距離にしてアメリカ、フランスに次いで第三位であり、また、掘削量では、実に世界第一位とされている。

(四) トンネルじん肺実態調査の結果と疫学的所見

(1) 全国的トンネルじん肺患者調査の共通項的所見

東京大学保健社会学教室の山崎喜比古が、一九七三年に、全国のじん肺患者三〇〇〇名を対象にして行った実態調査によれば、概要日本におけるトンネルじん肺の特徴は、次のように指摘されている。

一つは、トンネルじん肺で労災に認定される患者が一九七〇年代になって急激な上昇を示していること。二つ目は、認定されるじん肺患者は、他の産業と異なり、年齢上は四〇歳代から五〇歳代までがピークであること。更に、他の産業と比べて、十代から二十代位若い年齢で認定されているという特徴があること。三つ目は、他産業と対比し、認定されるまでの粉じん作業経験年数が短いという特徴が存在すること。四つ目は、建設業関係の療養中の患者の死亡確率値(一年後の死亡率)は、他の産業と対比し、やや高いとされていること等が報告されている。

(2) 大分県南部地域の実態調査所見

一九七七年日本産業衛生学会においてされた、大分県南部で大量のトンネル作業者からじん肺患者が大量に発見されたという報告は、関係者に大きな衝撃を与えた。

ちなみに、トンネルじん肺は、トンネル建設のための出稼ぎ坑夫の中に急増傾向が示されていると指摘されていたので、その発症要因を社会的・歴史的な視野にたって解明することが、集積事例調査の目的とされた。

その調査対象地域としての大分県は、全国のトンネルじん肺の療養中のじん肺患者在住地域分布状況によると、実に全体の二分の一を占める数が集積されていた。したがって、大分県南部地域のじん肺患者を調査することによって、全国のじん肺患者の共通項が得られる関係にあったのである。

そして、調査の結果によれば、既述のような全国トンネルじん肺の共通した特徴が、大分県南部でも把握しえたのであった。すなわち、第一に、他産業との対比において、認定時期が七〇年代に集中していること、第二に、認定時の年齢が他産業と比べ非常に若いとされること、第三に、検診受診率が他産業と比べ極めて低いこと、第四に、トンネルじん肺療養者の社会的出身階層は農漁村であり、通年出稼ぎが業態であったことである。

また、この調査を分析すると、坑夫のトンネル作業現場がおしなべて転々としていること、トンネル坑夫は、じん肺が重症になるまで適切な診断を受けたことがないこと、トンネル建設のじん肺は進展速度が早いことが判明する。そして、トンネル坑夫についてじん肺の進展速度が早いということは、坑内の労働環境において粉じんが抑制されず、強度の濃厚粉じんに汚染された環境での労働を伺わせるものであるといわなければならない。

(3) 調査所見の提起する健康管理面の問題

右(1)及び(2)の調査結果並びに徳島県西部地域における調査結果(入院療養中のじん肺患者六〇名のうち五三名についての実態調査であり、右のうち四七名がトンネル掘削作業経験者である。)を総合すると、以下の事実を指摘することができる。

トンネルじん肺の場合、管理四に認定するについて、いわゆる随時申請手続面についてみると、二つの型がある。一つは健康申請で、他は随時申請である。前者は、雇用先会社のじん肺定期健康診断によってじん肺が発見された場合にとる手続をいう。後者、すなわち随時申請は、多くの場合、会社を辞めて以降、後になって症状が出て病院に行って手続をとることを助言され、その個人が申請主体となる手続をいう。

したがって、随時申請は、離職後の申請ということになる。そして、前述のように、離職後管理四に認定されるまでの期間が短い(二年以内が六一パーセント)ということから、疫学的に推論される事実は、重症じん肺と認定される以前に、じん肺の診断とか、あるいはけい肺の影があるという医療上の指摘や注意を受けたことがないということである。そして、今日では、周知のように、じん肺は重症になる過程では、軽度、中等度と各段階を追って慢性的に進行する疾病とされている。したがって、当然それ以前の段階で受診の機会があれば、就労面にも反映させた医療上の指示が出て、じん肺の重症化を事前に予防し、抑制することになるはずである。

例えば、六年以上前には軽度ないし中等度のじん肺症ということでチェックを受けていて当然であるのに、途中のチェックがなく、いきなり管理四の重症認定というプロセスは、それ自体、当該労働者の雇用現場では、じん肺予防につき、基本的な健康管理面のチェックを怠っていたとの可能性を帰結させるものである。すなわち、トンネルじん肺については、雇主側の労働者に対する健康管理の面が著しく不十分であったことが指摘できるのである。このため、実はじん肺に罹患しているにもかかわらず、本人には何も知らされていない。したがって、働けなくなるようなじん肺症状が出るまで働かされることになる。それは、どうしようもない症状が出て、ようやく粉じん作業を止めざるを得なくなるとか、また、他の職種に変わるとかいう具合に症状が先行し、事前の予防上のチェックが後手ということになっている。もっとも、健康診断をしていても、本人には通知しないというケースもあるとされる。そして、前掲大分県の事例調査に照らすと、一九七〇年代以前に就労したことのある労働者達の中にかなり大きな割合で、一度かせいぜい二度位しか検診を受けたことがないという人達がいることが確証されている。その点から考慮すると、トンネル建設企業では、検診が徹底されていないというよりも、やられていなかったと思われる結果が指摘されていることは重要である。

(4) 調査所見から疫学的所見として帰納される三つの問題点

事例調査の全体的結果から指摘される疫学的推論として重要な事実は、次の三点である。

一つは粉じん濃度の問題、二つ目は労働時間とその密度の問題、三つ目は粉じんの性状をめぐる問題である。

右の点に関連して、トンネルじん肺は、他の産業のじん肺と対比して、その進行速度が早いということを前述したが、その点を解明することは、重要な問題点である。すなわち、じん肺の危険というのは、有害物については、有害度は有害物の性状、濃度と時間の相乗積でみていく必要がある。したがって、トンネルじん肺については、濃度と時間の関係、それは労働時間の外沿的側面と密度というふうに通常とらえられる。加えて、粉じんの性状という側面の以上三個の因子がミックスされた状態で、トンネルじん肺の場合の進行速度の早いことが帰納されるのである。

右三個の因子は、複合的に重なり合う関係として、トンネル掘削作業の労働現場では形成される。具体的には、トンネルの完成期限を迫られた形での突貫工事がそれである。三交替、深夜労働、発破直後の切羽への接近作業など、短期間に集中した掘削作業は、勢い必然的に諸大型機械の導入と相まって、濃厚粉じんを坑内に充満させずにはおかない。そこから、防じんマスクの使用が不可避的・現実的に困難となり、作業能率の向上、徹底、貫徹化の中で、高濃度の粉じん吸入に、労働者は、実質、無防備状態でさらされることになる。そして、事前の健康管理面の懈怠と相まって、このプロセスの悪循環の繰り返しが、管理四認定患者の激増として看取されるのである。

8  炭坑夫のじん肺とその特質

(一) 炭鉱夫のじん肺

かつては、じん肺という統一的理解が存在せず、これを吸入じんの種類で区分けし、炭肺とか、けい肺とか、鉄肺などに区分して、各個を疾病としてとらえ、その疾病の特徴を考察していた。炭鉱夫にみられるじん肺は、炭肺と一般に呼称され、既に戦前において、大谷某「三池炭坑夫の病源」(東京医事新誌、明治二一年一一月)、林郁彦「炭肺ニ就テ」(第一七回九州沖縄医学会誌、明治四五年三月)、白川玖治「炭鉱拾年以上勤続(又ハ在勤)坑夫ノ健康状態調査成績」(大正一〇年一二月)、大西清治「鉱夫の災害と疾病」(石炭時報、昭和五年三月)、有馬英二「硅肺のレントゲン診断」(日本鉱山協会「鉱山衛生講習会・講演集」所収、昭和一〇年)が、戦後初期においても杉本芳彦「選炭場及び検炭場における吸入塵埃粒子数について」(労働科学、昭和二五年一〇月)が炭肺について報告した。大西論文は、炭肺といわれていても、実際には炭粉のほか石粉をも吸入し、肺組織の変化が生じているとするベーメ及びワインスタインの報告を紹介している。

炭肺本来の意義は、炭素粉のみの吸入によるじん肺を指すため、これを炭鉱夫一般のじん肺に当てはめ、炭鉱夫一般の肺変化を炭肺と呼ぶことによって混乱も生じた。なぜならば、炭鉱夫が吸入する粉じんは、決して炭粉に限られず、岩石粉じんをはじめ、多くの鉱物性粉じんを大量に吸入するからである。したがって、炭鉱夫のじん肺は、講学上の「炭肺Anthracosis」と一致せず、むしろ、「けい肺」ないし「けい肺に炭肺が合併したもの」として理解されるべきである。

(二) 炭鉱夫じん肺の特質

右のとおり、炭鉱夫じん肺は、炭珪肺症と理解されるべきものである。

したがって、あえて炭鉱夫のじん肺を区別するのであれば、それは、岩石掘進関係の「高濃度けい酸じん肺」と、それ以外の「低濃度けい酸じん肺プラス炭肺」とに分けられるといえよう。結局、炭鉱夫のじん肺の特質は、このけい肺と炭肺の合併症として理解されるべきである。

炭鉱夫じん肺の場合、岩石掘進のみの経験者は別として、一般にレントゲンフィルム上の結節像は不鮮明・不明瞭となることが知られている。これは、炭粉の場合、肺内に高濃度に炭粉が付着しても、線維増殖性変化が比較的弱く、結節像が明瞭に示されないからである。

しかしながら、そのことは、「炭鉱夫じん肺が軽症」であることを少しも意味しない。炭粉吸引は重い気腫を引き起こすからである。このことは、林郁彦、大西清治、有馬英二の前掲(一)の各論文、久保山雄三編纂「最新炭鉱工学」(昭和一四年)など、各種の論文が古くから指摘していることである。

このように、肺気腫の存在は、結節の有無にかかわらず、直接ガス交換の重大な障害になっており、しかも、炎症性変化や血管変化も伴っているから、たとえ、レントゲン線上はその進展が明瞭でないとしても、既に重大な心肺機能の障害がもたらされているといえる。

このように、炭鉱夫じん肺においては、レントゲン線上の検査結果は、必ずしもその患者の障害の程度を正確に物語っているとはいえず、心肺機能検査の結果やチアノーゼ・ばち状指等の他覚所見が重要な意味をもってくるのである。

この肺気腫が特徴的に形成されるという点で、炭鉱夫じん肺は、重大な疾病といえる。

9  被告らの責任

(一) 使用者、事業主の健康保持義務

労働契約上の使用者、あるいは、その支配管理する施設内において自己の直接の指揮監督の下にその労働を提供させるなど、労働者との間で直接の使用者と類似した使用従属の労働関係が生じている場合の事業主は、その支配下にある労働者あるいは自己の支配設備の中で作業に従事する労働者に対し、労働契約上ないし労働関係(使用従属関係)上の信義則に基づき、労働者の生命、身体の安全と健康を保持し、その侵害を未然に防止すべき高度の健康保持義務を負っている。

使用者や事業主は、労働者を自己の支配下で使用する場合、労働者の労働力のみを切り離して利用することはできない。必然的に、労働者の身体の自由をも自己の指揮命令下に置き、一定の作業環境と労働条件の下での労働を強いる。したがって、労働者の生命と健康を保持するための人的・物的条件は、基本的に使用者や事業主によって与えられるほかないのであるから、労働者を支配することによって利益をあげている使用者や事業主は、このような労働過程の中で、万が一にも労働者の生命と健康が損なわれないよう、万全の措置を講じるべき義務を負っている。

特に、労働者を有害・危険な業務に従事させる場合には、あらかじめ生命・健康に対する加害が十分予測できるのであるから、使用者や事業主は、自己の利益のためこれを強制する以上、労働者の生命と健康を保持するため、周到な注意を払い、万全の具体的措置を尽くすべき、極めて高度の注意義務を負っているのである。

労働者にとって、生命と健康は、生存の唯一かつ絶対の条件であり、その保持は最も根源的な権利として、何人といえども、いかなる理由をもってしても、侵すことのできないものである。ましてや、使用者や事業主が、自らの利潤追求のためにこれを侵害するなどということは、絶対に許されてはならないのである。

(二) 被告青木建設の健康保持義務

三郎と被告青木建設の間には、直接の契約関係はないが、以下の事実関係からみて、三郎は、被告青木建設との間に使用従属関係にあったということができ、被告青木建設は、右使用従属関係に基づき、労働契約関係の場合と同様、信義則に基づく健康保持義務を負うことになる。

(1) 村田建設は、被告青木建設の専属下請会社であり、被告青木建設のトンネル工事という一部門をほぼ専属的に担当していた。なお、村田建設には、被告青木建設以外に元請会社はほとんどなかった。

(2) 被告青木建設は、昭和四九年、被告青木建設の施工工事に係る下請負業者が、当該下請負契約の締結及び工事終了と同時にそれぞれ自動的に入会及び退会する組織で、会員及び下請負業者の資質向上及び発展を目的とする青木建設施工協力会(以下「協力会」という。なお、被告青木建設は、特別会員としてこれに加入する。)を発足させた。村田建設は、昭和四九年四月から昭和五九年七月まで、協力会に加入していた。被告青木建設は、協力会を通じ、村田建設を含む会員相互の労災互助事業、会員の労務・安全衛生監理に関する指導及び援助、会員の基幹要員及び作業員に対する教育、研修等まで行っていた。

(3) 村田建設の請負形態は、被告青木建設において、機械、資材等をすべて提供するものであり、元請の担う主要材料については被告青木建設がすべて管理し、資材や機械をどこに設置するかは、被告青木建設の権限である。また、工事現場には被告青木建設の看板が掲げられ、村田建設の事務所及び宿舎も被告青木建設が提供(使用貸借)していた。なお、その保安責任者は三郎とされていたが、村田建設による施設の使用、占有権限が十分に尊重されていたわけではなく、対外的な管理責任と三郎に対する指導、監督責任は、被告青木建設にあった。現に、被告青木建設は、火災等の防止設備(消火器、ロープ、非常階段など)に関する指示、監督を行っていた。

(4) 作業工程の管理、指揮命令、指図、現場監督なども、すべて被告青木建設がこれを担当し、村田建設の労働者は、単に労務を提供するだけであって、いわば被告青木建設の一部門にすぎなかった。なお、三郎は、村田建設の現場の責任者であり、「所長」「現場代理人」「大世話役」ないし「職長」と呼ばれていたが、その職務も、宿舎に隣接して設置された現場事務所に常駐している被告青木建設の現場所長、工事主任及び現場担当職員(現場監督)の指揮下で、前述3五(1)の職務を遂行していたにすぎず(他に、被告青木建設に対し、作業日報を作成、提出する義務もあった。)、また、現場作業にも従事せざるを得なかったことは、前述3(五)(1)のとおりである。

被告青木建設による作業工程の管理、指揮命令、指図、現場監督の状況を具体的に述べると、以下のとおりである。被告青木建設の職員が、現場事務所の前の広場で、毎朝、三郎を含めた作業所全員の作業員に対して、安全のための号令をかけ、注意事項、伝達事項を指示したり、その日の段取りについても話をする。被告青木建設が、工事現場において、工程、品質、安全について全体的な管理をし、工期については被告青木建設が決定し、工程表を下請業者に見せて確認し、工期内に工事を終わるように指示し、工期が遅れたら工期を守るように指示や督促をする。労働時間や、昼夜二交替の勤務形態についても、被告青木建設が統一的に決めて下請業者に従ってもらう。人員配置についても、下請が提示したものを被告青木建設がいいとか悪いとか指導し、現場での三郎に対する作業の指示は、被告青木建設の工事主任のような人がする。

(5) 安全教育については、被告青木建設の安全課の職員が、月一回、約一時間、現場事務所でこれを行っていたほか、工事現場、宿舎等を随時点検していた。

また、被告青木建設の安全課の職員は、三郎を通じて、村田建設の従業員を集めて安全作業のマニュアルを配布したり、繰り返し災害防止対策教育(ただし、じん肺教育は、極めて不十分であった。)を行い、三郎には、災害防止や安全に関するノートに、毎日の災害防止や安全に関する実施状況等を記録させ、これを点検して、検印を押していた。

右の内容を具体的にいうと、安全指示書に基づく指示は、被告青木建設から三郎に対して行われ、この指示書は多いときは毎日のように出され、三郎が記入した後、被告青木建設に戻される。TBM・KYについても、被告青木建設の工事主任が原告に指示する。

(6) 各種資格を取得するための技能講習等については、被告青木建設においてこれを行ったこともあり、また、各種協会が行う技能講習会への派遣の指示は、被告青木建設が行った。

(7) 労災保険上の使用者は被告青木建設であり、労災保険料は、被告青木建設が納付していた。労災保険上の使用者概念は、不法行為ないし債務不履行(安全配慮義務違反)の場面における使用者の概念と完全に一致するわけではないが、労働基準法の被災者保護の制度趣旨は、損害賠償制度における被害者保護の趣旨と共通する側面を有しており、前者の使用者概念の立法趣旨が、後者の解釈に当たっても大いに参考になるというべきである。そして、本件においては、下請負人たる村田建設に資力が乏しく、労働基準法八七条二項(元請負人が下請負人に補償を引き受けさせること)の適用がないのであり、その結果、被告青木建設のみが労災保険料を納付しているのであるから、この事実は、使用従属関係の判断要素の一つとなり得る。

(8) 村田建設は、毎月、賃金支払明細書を被告青木建設に提出し、被告青木建設は、その支払状況を点検していた。

(9) また、被告青木建設の作業現場において三郎が就労している際、三郎の直接の契約上の雇用主である村田建設の社長である村田雅生(以下「村田」という。)や専務が来ることは一か月に一回位しかなく、三郎が村田に日報を提出することもない状態であった。このことからも、村田建設は、三郎に対し、作業の具体的な指示など一切していなかったことが明らかである。

(三) じん肺の予見可能性

じん肺は、日本の歴史において最も古典的かつ原型的な職業性疾患であり、それが粉じん労働によって発生することは、前記7及び8で指摘したとおり、既に戦前から知られていた。しかも、いったん重症になった場合には、回復を見込めないばかりか、粉じん労働を離れても、症状が次第に進行し、あとは死を待つばかりという最も悲惨な疾病であることは、前記5及び6で述べたとおりである。それ故に、じん肺罹病者の多発は、戦後大きな社会問題となり、昭和三五年には、不十分ながらも、多くの罹病者の救済と予防をめざして単一の職業性疾患としては唯一例外ともいえる「じん肺法」の単独立法が行われたほどであった。そして、実際被告らは、被告らの鉱山などでじん肺が発生していたことを知っていた。

被告らの坑内作業は、前記3で述べたとおり、削岩・発破・支柱・運搬その他いずれの工程においても、粉じんを多量に発生させる典型的な粉じん職場であった。被告らは、じん肺がこのように粉じん労働の過程と密接不可分に結び付いて発生することが明らかなものであり、しかも、いったん重症となったら取り返しのつかない被害をもたらすことを十分に予見しながら労働者に粉じん作業という危険業務をさせるのであるから、絶えず実践可能な最高の医学的、化学的、技術的水準に基づく、後に述べるようなじん肺防止措置を、総合的、体系的に尽くして、じん肺の発生を防止する義務があった。

(四) 被告らが負うべき具体的義務の内容

被告らが、右(三)の一般的義務を前提として負うべき義務は、以下のようなものである。

(1) 作業過程における粉じんの発生を防止するために、発破、削岩、ずり積込み作業など、発じん予想個所を湿潤化させること、すなわち、散水、湿式さく岩機の利用及びその効果的利用のための諸施設の充実を図ること。

(2) 発生した浮遊する粉じんを速やかに除去するため、排気装置、給気装置など、粉じん除去のための効果ある具体的設備を設けること。

(3) 発散する粉じんが、労働者の体内に侵入するのを防止するため、効果のあるマスクなどの保護具等及び交換部品などの付属品を支給し、その保護具を有効に用いることができるような労働条件を保障すること。すなわち、労働者の賃金水準をダウンさせることなく、労働時間を短縮したり、休日、休暇、休憩を保障するなど粉じん等のばく露時間を短くし、体力の回復、健康の増進に努めること。

また、上がり発破(一日の作業の最後に発破をかけて、翌日の作業開始時まで切羽に戻らないこと)も必要である。

(4) 罹患者を早期に発見し、適切な対処を可能にするため、一般的健康診断はもとより専門医による特別健康診断を行い、発見された罹病者に対しては、ごく軽症でも、労働時間の短縮、作業転換、治療等の措置を講ずること。

(5) 粉じん等の恐ろしさ、じん肺発生のメカニズム、その防止方法等についての安全教育を徹底すること。

以上の義務は例示であり、要するに、右(1)ないし(5)の義務を中心に、じん肺発生防止へ向けて総合的、系統的、かつ、科学的に具体的な対策を立て、じん肺の発生を未然に防止すべき高度の注意義務が、被告らの義務である。

(五) 被告らの義務違反

(1) 被告前田建設

① 粉じん発生防止対策

削孔作業に使用された削岩機は湿式ではあったが、これを湿式本来の用に供するための給水管が引かれたこともなく、いわゆる空ぐりの状態で作業が行われた。

また、削孔作業、発破作業、ずり出し作業等、発じんが予想される作業を実施するときは、その作業の前後を問わず、必要に応じて岩盤等に散水・噴霧をすべきであるにもかかわらず、全く散水等を行ったことがない。

② 除じん対策

粉じんが発生した場合に、直ちに除去しうるように、散水・噴霧に使用する水を十分確保し、かつ、粉じんが発生した場合には直ちに散水・噴霧をすべきであるのに、水の用意すらしなかった。

換気扇、換気口、風管等の換気設備を設置して坑内の換気を図るべきであったのに、エアーホースをふかす程度の不十分なもので、それ以外の換気設備は、全く設置されていなかった。

③ 体内吸入防止対策

坑夫が粉じんを吸入しないように適切な防じんマスクを支給し、濾過材等の交換体制を整備し、かつ、マスク着用を指導、監督すべきであったにもかかわらず、この義務は、被告前田建設の現場では完全に無視され、三郎自らがやっと手拭いなどを口に当てて対策を講じていた状況であった。

また、発破により発生する粉じんを坑夫が吸入しないように発破後の換気を特に強力に行わせ、かつ、粉じんが希釈されるまで坑夫を現場に立ち入らせない体制をとるべきであったにもかかわらず、被告前田建設には、発破による発じんの認識が欠落していたため、短時間で切羽に行かせ、コンプレッサーからのエアをふかすことがあっただけで、何らの措置もとらなかった。

坑夫が粉じんを長時間にわたって吸入しないように短時間労働を遵守すべきであり、かつ、短時間労働でも十分生活しうる賃金体系を坑夫に保障すべきであった。この点の被告前田建設における状況は、常に残業があり、また、請負給体系がとられるなど、非人間的労働が強いられた。

④ 健康診断対策

じん肺予防にとって必要なのは早期発見である。そのためには、坑夫の健康状態を常に調査する必要がある。すなわち、健康診断対策が必要である。しかし、被告前田建設においては、これらについても、何の対策もしていない。

⑤ 安全教育

坑夫がじん肺に罹患しないように十二分に安全教育を施すべきであったが、被告前田建設は、全くこの義務を尽くしていない。落石などの怪我に対する注意はされても、じん肺に関する予防の指導など一切されていない。

⑥ まとめ

被告前田建設は、このように、じん肺を予防するための安全配慮義務を何一つ履行しなかった。

(2) 被告住友石炭

① 粉じん発生防止対策

被告住友石炭においては、削岩機は一応湿式であったが、水をためるタンク、排水管と削岩機をつなぐホース、キャップ等の部品が現場にはなく、三郎の在籍期間中は、乾式として使用していた。

また、沿層掘進にはオーガーが使用されていた場所もあるが、これはもともと乾式であり、しかも、集じん機も備え付けられていなかったのであるから、かなりの量の粉じんが発生した。

発破の前にホースを使用して五分から一〇分ほど水をまいた場所もあるが、この散水は発破によって堆積した炭じんに引火させないための炭じん爆発防止用の措置である。仮にこのような散水が行われたとしても、水は坑道の表面を塗らすにとどまり、発破の際に大量に発生する粉じん防止には、何の効果もないことは明らかである。浮遊粉じん防止のための散水方法として、当時からスプレーの使用や湿潤材の使用などが考案されていたが、被告住友石炭においては、いずれも採用されることがなかった。

また、炭じん爆発防止のため、炭じんが堆積しやすい場所に、壁が真っ白になるくらいまで石灰(被告住友石炭は岩粉とするようであるが)がまかれるが、これも坑内の通気によって飛散し、粉じんとなって浮遊するものであるところ、これに対して散水することは一切なかった。

② 除じん対策

被告住友石炭は、発破後、ずり積みの最中にゴムホースで砕石に散水し、粉じんの飛散を防止しようとしたが、坑内の暑さと発破の際に岩石がもった熱のためにいくら散水してもすぐ乾燥してしまい、粉じん防止にはあまり役に立たなかった。このような方法による散水では、発破によって砕かれた砕石からの発じんをいくらか抑制することはできても、発破によって空中に浮遊させられた粉じんを減少させることができないことは明らかである。

発破後の粉じんの除去は、専ら風管による送風による。しかし、この方法では、風管から切羽面に吹き付けられた空気は、発破の際に発生した粉じんを運んで後方へまわり、退避している作業員のところまで運ばれる。当時既に粉じんばく露の防止という観点からは、より優れた方法(吸出し法、吸出し風管内への噴霧散水装置の挿入など)が考案されていたにもかかわらず、被告住友石炭は、これを採用していなかった。

通気対策も極めて不徹底なものである。じん肺の原因となる粉じんは、五ミクロン以下0.1ミクロン程度のものが有害で、特に一ミクロンを中心とする二ミクロンないし0.5ミクロン前後の、肉眼で見えない微細な粒子が最大の危険性を有するといわれている。したがって、じん肺防止のための通気対策を考えるならば、これらの目に見えない微細な粒子を坑内作業者に触れることなく坑外へ排出するものでなくてはならない。ただ単に、肉眼で見える粉じんの粒子が排出されたとしても、それだけでは不十分なのである。坑内における通気の流れは、坑口から取り込まれた空気がメーン坑道を通り、立入坑道(深)、沿層坑道(深)、払、沿層坑道(肩)、立入坑道(肩)を通って排気口にある扇風機で吸い出されて坑外に排出されるというものである。そして、ここで問題となるのは、この通気のルートが、すべて人間が通り、あるいは作業を行う場所であるということ、すなわち、通気のルートと人間の通り道が区別されていないということである。そのため、採掘、発破の際発生した粉じん、更に、沿層坑道(深)から立入坑道(深)へ搬出され、入気口をも炭車に積載されて通過するところの石炭から発生した粉じんが、そのまま通気の流れに乗り、粉じんを含んだ空気が坑道をめぐってやがて排出される間に、すべての坑内作業員が、粉じんにさらされるようになる。

③ 粉じん測定

粉じん測定については、坑道の途中に皿を吊るして堆積する粉じんを測定することが行われていたが、じん肺対策に必要な浮遊粉じんの測定はおろそかにされていた。

被告住友石炭は、測定する器具がはっきり決まっていなかったことと、測定された結果が人体にどういう影響があるか解明されていなかったことを、浮遊粉じん測定を行わなかった理由とするようであるが、昭和三三年発行の「鉱山保安ハンドブック」三八六頁ないし三九〇頁(〈書証番号略〉)に粉じん採集法、測定法が多数紹介されており、当時においても、測定しようと思えばいくらでもそれが可能な状態であった。また、粉じんの人体に対する影響についても、同書三八四、三八五頁に、労働省による許容限度の基準、けい肺対策審議会粉じん許容限度専門部会の基準等、何種類かの基準が紹介されており、決して「測定された結果が人体にどういう影響があるか解明されていなかった」などということはない。

確かに、測定方法にしても、許容限度の基準にしても、何種類か存在し、一つの確立したものがあったわけではない。しかし、坑内の浮遊粉じん量が減少すれば、じん肺の危険はそれだけ減少するということは、何も測定方法や基準が確立していなくとも明らかであって、会社内で独自に測定方法を一つに定め、目標の基準を定めて、その目標値に向けて浮遊粉じん量を減少させるべく対策を講じるということは十分可能なはずである。

④ 体内吸入防止対策

被告住友石炭は、坑内作業員に防じんマスクを支給し、粉じん作業中は各人がマスクを着用して、すさまじい量の粉じんから身を守っていた。しかし、いくらマスクを着用しても、粉じんから完全に身を守ることは不可能であった。マスクの装着性は完全とはいえず、古くなってくると、マスクと顔面の間に隙間が生じるようになって、顔面が粉じんで黒く汚れるようになった。また、被告住友石炭は、作業員にマスクを与え、時々安全担当の係員が「作業中はマスクをするように」との注意を行うのみで、それ以上、具体的に作業中のどの段階でマスクをし、どの段階で外すのかといった使用上の注意であるとか、マスクの手入れ、管理の仕方などの管理上の注意については、一切指示しなかった。したがって、作業員はそれぞれ他人のやり方を見ては、真似をして使用するというような状態であった。したがって三郎は、削孔作業あるいは発破後のずり積みといったおびただしい粉じんが発生する作業中はマスクを着用していたが、これらの作業が終わり、肉眼で見て粉じんが減少した段階で、その都度、マスクを外していた。しかし、じん肺の原因となるのが目に見えないような微細な粉じんであり、これらの微細粉じんは、採掘現場に限らず、坑内全域に浮遊していることからしても、本来であれば、入坑から出坑までの全労働時間、マスクを着用すべきであろうが、このようなことは、高温多湿の坑内でのマスクの着用が非常に息苦しいことからも不可能であるし、また、坑内作業員に対してそのような指示もされていなかった。粉じん作業中のみマスクを着用するというのは、三郎に限らず一般的に行われていたことなのである。このように、マスクといっても、防じんに多少の効果はあっても、これとて効果は完全とはいえず、また、会社として、使用方法を従業員に徹底させるための積極的な教育も行われていなかった。

それどころか、発破後数分のまだ粉じんがもうもうと立ちこめている状態の中で、先山は、爆発個所の点検のために、粉じんの中を手探りで切羽に戻って作業を開始したのである。安全確認をしてから切羽に戻ることがあったとしても、この「安全確認」は、粉じん濃度に関しては、結局、キャップランプで先が見えるようになるまでという程度の判断であり、安全確認というよりも、ただ単に作業が可能か否かの判断にすぎない。

また、坑内作業者を発破の際に発生する粉じんから隔離する最も有効な方法は、発破後の切羽に作業員を入れないことである。上がり発破とは、一日の作業の最後に発破をかけて、翌日の作業開始時まで、切羽に戻らないことであり、これによってかなりの程度まで、作業員を粉じんから隔離する効果がある。しかし、これは、被告住友石炭では全く行われていなかった。これは、賃金体系が請負制(出来高払い制)をとっているために、毎日その作業員がどれだけ掘進したかを計測する必要があったからである。そもそも、すべてを固定給にしないで請負制(出来高払い制)を採用するということは、坑内にあるために会社の監視が行き届かない労働者を効率よく働かせるための労務管理の一手法にすぎない。このように、被告住友石炭は、労務管理の便宜のために、じん肺防止につながる上がり発破を放棄し、労働者の安全を犠牲にしているのである。この一事からも、被告住友石炭があくまで生産の増大を最も重視し、労働者の健康をないがしろにしていたことが明らかとなる。

上がり発破が採用されないとすれば、せめて発破後の退避時間を長時間取る必要がある。ところが、昼食時発破(一日二サイクルの作業を行う場合に、一サイクルの作業を完了し、二サイクル目の削孔を終了して発破を行っている最中に昼食を取る方法)すら採用されていなかった。

被告住友石炭においては、発破後の粉じんの除去は、専ら風管による送風によった。しかし、この方法では、風管から切羽面に吹き付けられた空気は、発破の際に発生した粉じんを運んで後方にまわり、退避している作業員のところまで運ばれる。

なお、ここで被告住友石炭における労働実態について付言すると、勤務形態は、一日三交替制で一週間ごとの交替、労働時間は、一番方は午前七時から午後三時、二番方は午後三時から午後一一時、三番方は午後一一時から午前七時というものであり、更に、実際には、これに一、二時間程度の残業が行われていた。昼食は、坑内の粉じんの少ないところを選んで、交替で食べた。坑内には特に定まった休憩所は設けられておらず、粉じんにさらされながらの昼食となる。ゆっくりした昼食時間もとれず、約一五分で昼食を終えて次の作業を始める状態であった。賃金体系は、各自の能力技能に応じて一級から八級までの等級に分かれていた。また、採炭、掘進夫には固定給とともに前記のとおり出来高制がとられており、各自、定められた作業量を消化しない限り、作業を終えて出坑できないようになっていた。したがって、ノルマをこなすために残業が毎日のように行われていた。

⑤ 安全教育

一般健康診断は六か月に、一回行われたが、じん肺教育は、全く行われていなかったといっても過言ではない。被告住友石炭において安全教育と称するものは、毎月一回、会社の安全担当者が、坑内作業員一〇名程度を集めて行ってきた。しかし、その内容は、いわゆる事故防止、すなわち、爆発事故や落盤事故、あるいは機械の操作に伴う怪我の注意等に主眼がおかれていて、じん肺に関しては、かろうじてマスクの装着の指示があったのみである。そして、マスクについての指示も、「坑内ではほこりを吸わないようにマスクをしなさい。」という程度の注意が行われるのみで、なぜほこりを吸ってはいけないのか、ほこりを吸うとどうなるのかといった説明は一切行われていなかった。また、粉じんを吸うとじん肺になること、じん肺がいかに恐ろしい病気であるかということなどについての教育も行われなかった。

(3) 被告三井鉱山

① 粉じん発生防止対策

被告三井鉱山の三郎が就労した現場で使用された穿孔機械であるオーガーは、乾式であった。これは、乾式削岩機ほどではないにしろ、粉じんが発生するものである。

穿孔前後に炭壁に注水することもあったが、これは、すべての現場で行われたわけではない。

また、被告三井鉱山は、発破の際、水タンパーを使用していたが、これは、ダイナマイト装填後、削孔した穴を塞ぎ、発破効果を高めるためのものであり、また、爆発による気化熱を下げる効果もあるが、爆発後の熱でタンパー内の水は蒸発してしまい、発破後の粉じん飛散防止の効果はない。

② 粉じん測定

被告三井鉱山による粉じん濃度の測定は、行われていたとしても、四か月ないし六か月に一回、ある一定間隔に皿を置いて、ある一定時間放置して、その皿にたまった堆積炭じんの量を計るというものにすぎなかった。浮遊粉じんの測定は、ローボリュームエアサンプラー(空気を一定時間吸入して、その中の浮遊粉じん量を計る方法)又はデジタル粉じん計(光への粉じんの乱反射量で粉じん量を推定する方法)により行われるべきもので、被告三井鉱山において行われていた右方法は、デポジットゲージ(自重により自然に降下する粒子の大きい塵、人の鼻毛等により除去され、肺内には吸入されない塵)の測定としては意味があるが、浮遊粉じんの測定としては意味がない。しかも、測定する場所は、普通の作業員のいない、排気坑道のある一定間隔で行うというものであり、粉じんにばく露されて作業をしている者の作業環境を計る方法としては失当なものである。

③ 体内吸入防止対策

被告三井鉱山は、坑内作業員に防じんマスクを支給したが、坑内夫は、常時マスクを顔に装着して作業を行うものではなく、通常はマスクを首からぶらさげて作業をし、目に見える粉じんが多いときに顔に装着するという程度であった。

被告三井鉱山は、発破時の退避を行っていたが、発破後やや時間をおいて切羽に戻っても、多量の粉じんがなお沈下せずに浮遊しており、粉じんにばく露する状況にあまり変わりはないものである。

また、坑内作業者を発破の際に発生する粉じんから隔離する最も有効な方法は、発破後の切羽に作業員を入れないことであるが、被告三井鉱山において上がり発破が全く行われていなかったことは被告住友石炭と同様であり、その理由が、賃金体系が請負制(出来高払い制)をとっていたことによること、それが結局労務管理の便宜のために、じん肺防止につながる上がり発破を放棄し、労働者の安全を犠牲にしているものと評さざるをえないことも、被告住友石炭と同様である。

なお、被告三井鉱山における勤務形態と労働時間、賃金の支払形態と残業時間、昼食の実態等は、被告住友石炭の場合とほぼ同様である。

④ 安全教育

被告三井鉱山においては、入社時に健康診断が一回行われ、就業規則、付属諸規定の坑夫への交付や、「保険館」の階段の踊り場におけるじん肺のホルマリン漬けの標本の展示が行われていた。

しかし、右付属諸規定中には、じん肺患者の配置転換や栄養補給費等の給付についての定めがあるが、そもそも、じん肺発症の原因やその予防の方策については、何らの記載もない。

「保険館」における標本の展示については、これをもってじん肺の危険性及びその予防についての教育の一つとは到底いえない。

(4) 被告青木建設

① 粉じん発生防止対策

トンネル工事において岩盤に穴を開けるとき、湿式削岩機を乾式で行い、粉じんが多量に発生したことは前記のとおりであり、また、散水は、ずり出しのときに行われた以外は、全く行われなかった。

② 除じん対策

一応エアホースや送風機は設置されたものの、トンネル工事については、一定の深さ、長さまで掘削した後に初めて用いられたし、シールド工事のときは、換気装置等は用いられていない。

③ 体内吸入防止対策

トンネル工事のときは一応マスクは支給され、三郎は、粉じんが激しいときにはこれを装着していたが、シールド工事のうち掘削時は装着の指示はなく、シールド機の解体と型枠ケイレン時にはこれを装着していた。

このように、シールド工事の一部も含めて一応マスクが支給され、装着していたときも、マスクや鼻の穴が詰まって、吐く息でねり状になり、時々布で拭き取らなければならなくなるほど、その効果は疑わしく、また、それほど多量の粉じんが発生したわけである。

その着用の指示も、徹底していたわけではなく、安全目標の中にマスクの装着の指示もなかった。

④ 健康診断

健康診断は、昭和四〇年代はほとんどされておらず、昭和五〇年代に至り、一つの工事現場の作業開始時点と、その現場が長い期間にわたる場合の六か月に一回の健康診断が行われたのである。

そして、三郎は、一般健康診断の結果、昭和五六年ごろから肺の汚れを指摘されたり、「要注意」、「要精検」などとされていたが、被告青木建設は、これに対して、作業量の軽減や配置転換はおろか、精密検査の指示も含め、何らの措置もとっていない。

⑤ 安全教育

入社時のじん肺に関する安全教育もなく、マスクの着用も安全目標の中に指示されていなかったことをはじめ、じん肺に関する教育は、全く行われていなかった。マスクも、下請が要求し、商店から購入して使用していたにすぎない。

(六) 民法七一九条一項後段の規定類推適用による被告らの連帯責任

被告らの右(五)の義務違反行為は、労働契約又は使用従属関係に付随する安全配慮義務に違反する行為であると同時に、故意又は過失による違法な行為でもある。そして、被告らは、不法行為構成による場合には、以下に詳述するように、原告らが被告らの個別的行為と損害の因果関係を証明するまでもなく、民法七一九条一項後段の規定の類推適用により全損害について連帯して賠償責任を負うものであるが、被告らが同条項の類推適用による不法行為責任を負う本件のような事案では、債務不履行構成による場合でも、同様の類推適用による連帯責任が認められるべきである(東京地判平成二年三月二七日判時一三四二号一六頁)。

以下、被告らが連帯責任を負うべきであるとする理由について、共同不法行為論を中心に述べる。

(1) じん肺の特徴

じん肺は、「粉じんを吸入することによって起こる肺の線維増殖性変化を主体とする疾病」と定義されている。粉じんを継続的に吸入し続けることによって生じる肺の線維増殖性変化により、肺が器質的に変化する。これがじん肺である。そして、いったんじん肺に罹患すると、決して治癒せず(不可逆性)、また、粉じんの吸入が止まっても、進行し続ける進行性の病気であることは前述のとおりである。

したがって、当然のことながら、粉じん吸入という原因によって、即、じん肺が発症するのではない。長年にわたって継続的に粉じんにばく露され、粉じんを吸入し続けることによってはじめて、じん肺に罹患するのである。

三郎は、被告らに雇用され、あるいは、その下請に雇用されて、被告らの現場を渡り歩き、約三二年間のうち、二三年八か月間ないし二八年八か月間、村上建設時代を除けば一七年一〇か月間の長きにわたって、粉じん労働に従事し、多量の粉じんを吸入させられ続けてきた。そして、現在の三郎の重篤な症状は、この間の日々の粉じん吸入に起因していることは、疑いがない。ある作業現場での粉じん吸入の上に他の現場での粉じん吸入が積もり積もって、現在のじん肺となったのである。三郎のじん肺がいつの時代の粉じん吸入によるものかを区別して特定することは全く不可能であり、意味のないことである。そして、仮に本件でその寄与割合を認定するためには、単に粉じん労働に従事した期間だけでなく、そのばく露時間、粉じんの種類と有害性の程度、科学的な測定に基づく粉じん濃度、粉じん吸入の防止措置の程度と、技術の進歩も含めたその効果などの諸要素を正確に把握しなければならないところ、そのほとんどはもともと認定困難な上、被告らによるこれらの点の立証もほとんどされていないから、寄与割合の認定など到底不可能である。

被告らの責任をいたずらに分割してしまうことは、右のようなじん肺の特質からいっても不合理であり、じん肺被害の特質から目をそらす結果となってしまう。

(2) 坑内作業の特殊性

三郎が被告ら各現場において従事した坑内作業は、単純な肉体作業と異なり、いずれも高度な専門技術、経験を要するものであった。削岩機の使用一つをとっても、経験の有無、技量の程度によって作業の進捗に大きな差が生じ、しかも、作業の仕方いかんによっては、常に落盤等の事故の危険にさらされる。また、発破のためのダイナマイトに関しては、大変な危険を伴い、一歩誤れば、大惨事を引き起こすおそれがあるために、「火薬取扱技能士」という正規の資格を有する者以外には使用を認められていなかった。削岩機や火薬を使用しない作業についても、地質条件、地下水の状態等を見極めながら作業を進めていかなければならず、やはり、専門技術、経験を要求されることにおいて変わりはなかった。

しかし、このような技術、経験を有する者は決して多くはない。昭和三〇年代から四〇年代にかけては、東京オリンピック、列島改造による建設ブームがあり、また、当時は、石炭産業も、現在とは比較にならない活況を呈しており、石炭、鉱山、建設会社は、これらの者を奪い合って採用していた。

また、労働者の方も、転職に当たっては、いったん習得した技術を活用できる職場を選択する。特に、建設会社におけるずい道工事の現場を転々と渡り歩くケースが非常に多かった。また、炭鉱、鉱山における坑内労働者についても、いくつかの山を転々とする労働者は、決してまれではなかった。そして、建設会社や、石炭、鉱山会社も、この転々と渡り歩く労働者の存在をよく知っており、自らが必要とする坑内労働者を他の現場や山からの引き抜きによって確保するということがしばしば行われていた。

(3) 三郎の転職の事情と被告間の相互利用関係

① 三郎は、経歴表のとおり、職場を変えてきた。

そして、いずれの転職においても、転職先の会社が、三郎が既に取得してきた技能、経験を買ったものであり、三郎は、新しい会社から歓迎されて就職をした。以下、就職の際の事情を個別に述べる。

② 三郎は、被告前田建設時代に、削岩機の利用方法を会得し、また、火薬の取扱をも習得した。

村上建設への転職は、被告前田建設時代の同僚であり、既に先に村上建設に転職した者に勧められたのが直接のきっかけであった。この者は、社命で、三郎のような坑内作業、なかんずく、削岩機の使用や火薬の取扱に習熟した者を探し回っていたのであり、過去のつてを頼って、三郎のもとにやって来たのであった。

三郎は、村上建設時代に、正式に「火薬取扱技能士」の資格を取得した。

③ 三郎は、被告住友石炭へは、三郎の妻の兄が北海道で被告住友石炭の機械工をしていたので訪ねて行ったところ、会社が坑夫を募集していたので、そのまま応募して採用された。採用の際の面接では、過去の職歴、経験について特に詳しく聞かれた。被告住友石炭も、三郎の経験を高く買って、面接からわずか一週間で採用になった。

三郎は、採用後の一週間程度、坑内切羽で実際に削岩機を使って技能をチェックされた後、特に研修等が実施されることもなく、いきなり削岩工として現場を任された。三郎は、村上建設時代に火薬取扱技能士の資格を取得していたが、この資格では、炭鉱内での火薬の取扱は許されていなかった。しかし、現実には社命により、火薬の取扱も要求され、火薬の削孔への装填、導火線の結線接続作業などを自分で行わざるを得なかった。

④ 三郎は、被告三井鉱山には、被告住友石炭時代の同僚が転職を強く勧めたので、就職した。

この元同僚は、被告住友石炭の奔別鉱業所閉山に伴い職を失うことになる坑夫を勧誘する旨、被告三井鉱山に密かに依頼されて、同僚の間を、被告三井鉱山への転職を勧めて回っていたのであった。この時、三郎と共に被告住友石炭から被告三井鉱山に転職したのは、八名にのぼる。

この時転職した三郎らは、試用期間もおかずにいきなり本鉱員として採用された。採用後は、一週間程度、坑外の事務室で研修を受けた後、いきなりオーガー(軽量削孔機)、ダイナマイトをあてがわれて、切羽に投入された。

⑤ 三郎は、被告青木建設の下請である村田建設には、村上建設時代の同僚で、昭和四七年当時村田建設の社長をしていた村田雅生(以下「村田」という。)が、北海道の芦別までわざわざ三郎を訪ねて来て、「人手不足で困っているので、ぜひ来てくれ。」と口説き落とされて、転職したのである。

当時、建設業界は、列島改造ブームで、労働者、特に、三郎のような技能、経験を積んだ者を特に必要としていた。

三郎は、採用当日から、即、職長として、被告青木建設のトンネル掘削現場で、一〇人から一五人の労働者の指揮をとるようになった。

⑥ 右に述べた転職の事情から、被告前田建設を除くその余の被告らは、三郎の職歴を十分に認識した上で、三郎の経験、技能を高く買って三郎を採用したことは明らかである。前田建設を除くその余の被告らは、三郎が、それ以前の職場で行ってきた坑内作業によって得た経験、技能を利用して、全くの未経験者を採用するのに比べて、はるかに効率よく利潤をあげることができたのである。また、全被告は、三郎が坑内労働の技能を有する者として、将来も同様な職種を抱える企業を転々として生計を立てていくであろうことを十分に認識していた。

この点に、被告らの連帯責任を基礎づける大きな根拠がある。すなわち、被告らが、既に技術、経験を有する者として三郎を雇用するということは、三郎が他の現場で既に大量の粉じんを吸入していることを知りながら、それを利用したということである。同時に、三郎が会社を辞めた後も、同様な坑内労働に就労することを被告らが認識していたということは、自己の現場での粉じんの吸入という結果が、第三者に引き継がれるということを承知していたということである。

このように、被告らは、三郎という特殊な技能を有する労働者を相互に利用することにより、他所での粉じん吸入の結果を引き受け、また、将来、他の企業が、自らの現場における粉じんの吸入の結果を引き受けることを認識、認容していた。故に、被告らは、自己の現場だけでなく、過去及び将来にわたる他の複数の企業・現場における粉じんの吸入が相まって、三郎のじん肺発症の原因となることをそれぞれ認識、認容していたといえる。

右に述べたように、相互利用による結果の引き受け、結果の認容が認められる場合に、行為者間に連帯責任が認められるのは当然のことである。

(4) 被害者救済の必要性と不法行為法の理念

三郎が長期間坑内における粉じん労働に従事し、その結果、管理四の重篤なじん肺症に罹患したことは明らかであり、他の原因は全く考えられない。そして、もし、三郎が一つの企業に雇用されていたとすれば、その企業の責任は当然に認められるところである。

しかし、本件のように雇用主ないし元請会社が五社であり、そのうちの一社が倒産しており、その上、どの被告についても、不法行為の存在及びそれによって全損害の発生に一定の寄与をしたことは明らかであるようなケースにおいて、個々の被告の不法行為と損害との間で因果関係が認められ、しかも、各被告の責任の割合(寄与率)が認定されなければ、損害賠償が全く認められないとすれば、雇用主が一社の場合と比較して著しく均衡を失し、原告側に甚だ酷な結果を強いることになる。これらの事項は、いずれも原告側にとって立証困難な事柄であり、一方、被告らは、いずれも日本を代表する建設、石炭会社であり、強大な資本力を有する存在であるだけでなく、証拠との距離という観点からみても、本件訴訟に必要な資料、情報を容易に手に入れることが可能である。これに、三郎がじん肺に罹患し、労働はおろか歩くことさえ困難な状況に陥り、ついに死亡したことを考え合わせると、かかる過大な立証責任を原告側に科するのは、不法行為法の根底を流れる被害者救済、被害者と加害者の公平という観点から全く不当なことであるといわねばならない。

(5) 民法七一九条一項後段の規定の立法趣旨をめぐる解釈論

民法七一九条一項前段の規定は、典型的な共同不法行為であり、各人の不法行為と損害との因果関係を推定し、不法行為者全員に、発生した全損害の連帯賠償責任を負わせるものである。これは、因果関係あるいは各人の寄与率が不明であっても、その証明困難な事態を作りだした加害者に負担を負わせるものである。

他方、同条一項後段の規定は、択一的な損害惹起の関係(択一的競合の関係)のために因果関係の証明が困難になっている事態を、政策的に救済するものである。関連共同性の要件は必ずしも必要ではないから、この場合を「共同不法行為」と表現する必要はないともいわれている。

そうだとすれば、択一的な損害惹起の場合に限らず、各不法行為者が、損害の一部を引き起こしたことは明らかであるが、損害の範囲ないし寄与度が明らかでない場合にも、同様の救済が与えられてしかるべきであるということになる。

学説も、民法七一九条一項後段の規定の母法であるドイツ民法草案は、その作成過程の過誤によって、ある場合(すなわち、一つの損害が、共同して行為したものではない数人の行為の競合によって惹起され、その損害に対する各人の寄与度が明らかでない場合)が脱落した結果、択一的競合共同不法行為のみが規定されるに至ったのであるから、日本民法七一九条一項後段の規定についても、その脱落部分をどのような形で補充すべきかという問題が生じ、後段の規定の解釈に当たって、これを類推適用すべき場面の発見に努める必要があるとされている。あるいは、民法七一九条一項後段の規定は、競合共同不法行為について一般的に規定しているものであり、競合的共同不法行為の一類型である択一的競合共同不法行為をその例示として規定しているものと解釈すべきだとされている(浜上則雄「現代共同不法行為論(2)」判例時報一一三五号三頁以下。四宮和夫「不法行為」現代法律学全集一〇、青林書院七六二頁及び七九二頁ないし七九七頁。能見善久「複数不法行為者の責任」司法研修所論集八二巻、一九八九年Ⅱ)。

このようにして、民法七一九条一項後段の規定が、不法行為の主体が不明であるケースであるのに対し、本件のように共同に行為したのでない複数不法行為者である各被告の加害行為と損害の因果関係ないし寄与率が不明であり、かつ、加害行為が時期を異にしている場合こそ、まさに、右一項後段の規定が類推適用されるべき典型例の一つということになる。このように、「行為」は「共同」していなくても「競合」して結果を発生した場合には、いわば「競合不法行為」とでもいうべきものにより、各行為者は連帯責任を負うことになる。

民法七一九条一項後段の規定の要件としても、関連共同性は必要ないとする考え方も有力なのであるから、この類推適用の場合には、なお更この要件は不必要ということになる。

そて、民法七一九条一項後段の規定を類推適用する以上、「寄与度が明らかなときは分割責任が生ずる」とする考え方は実定法上の根拠を欠く。寄与度が明らかなときも明らかでないときも、連帯責任が生じると解すべきである。本件では、加害者である被告各社から寄与率の証明がないから、全加害者が連帯責任を生じるのはもちろんである。倒産したために被告とならなかった村上建設の存在は、被告らの連帯責任を否定したり、賠償額を減額させる理由とならないことも当然である。

10  損害

(一) じん肺被害の特徴

(1) 肉体的苦痛

じん肺による自覚症状の第一は、気管支系がじん肺性変化で荒らされて、そこへ外部から刺激が加わるために起きる咳、痰、息苦しさ、ぜいぜいする等の症状である。第二は、肺機能の低下のために起きる息切れ、呼吸困難、胸痛等の症状である。第三は、心臓に負担がかかり、全身的な症状が生ずること、すなわち、不眠、食欲不振、めまい、息切れ、動悸等が現れることである。

じん肺の患者はひんぱんに風邪をひくようになるが、これは、普通の風邪ではない。高熱が長期間にわたって続き、その間咳や痰は絶え間なく続いて発作が起き、呼吸すら困難になる状態が続くのである。

そして、右の各症状は、死に至るまで確実に進行していく。ちょっとした坂や階段も、息が切れて登れなくなってくる。そのうち、咳や痰はますますひどくなり、呼吸は徐々に苦しくなり、日常のあらゆる起居動作までが不自由になっていく。

ついには、ベッドに寝たきりの生活を強いられるようになるが、更に、重症となると酸素吸入を受け、かろうじて生存を維持するだけの状態にまで追い込まれていく。

(2) 精神的苦痛

かつては、健康で丈夫な体をもっていた労働者が、不治の病に侵されて全く働けなくなってしまった絶望感、焦燥感は、計り知れないものがある。

しかも、前述のとおり、その療養生活は、絶えず死の不安におびえながらの生活である。じん肺の患者の中には、将来を悲観し、自殺する者が跡を絶たない。じん肺患者を多く入院させている病院では、じん肺患者の自殺の防止に苦慮しているほどである。飛下り自殺、割腹自殺など、じん肺患者の自殺の方法は、激烈であり凄惨である。その自殺には、やり切れないじん肺患者の怨念が込められている。

このように、じん肺の被害は、生命、健康ばかりでなく、社会生活にも及び、広がっていくのである。

(3) 社会からの疎外

重症のじん肺患者は、療養生活を送るので、もちろん働くことができない。殊に、四〇代、五〇代の働き盛りでじん肺に罹患した場合、若くして一人前の働き手としての資格を奪われ、労働という基本的な社会的生活の場を失うことになる。

療養生活は、急速な死につながる風邪や、その他の合併症の発生の予防に気を使いながらの生活である。入院患者は全く社会から隔絶されるが、通院治療をする患者であっても、通院以外の外出は、だんだんちゅうちょするようになる。そのため、次第に、隣近所との交際すら疎遠になっていく。

じん肺の患者の中には、体力の減少を少しでもくい止めようと、散歩などに努める者もいる。しかし、外見からは何の異常もない働き盛りに見える男が、一日中働きもせず、ぶらぶら歩いている姿は、何も知らない世間の目からは、極めて奇異なものとしてうつる。かえって、「あの家はどうも肺病の家系らしい。」などと無慈悲な噂を立てられ、兄弟、子供の縁談にまで差し支えるようになる場合もある。

じん肺の患者は、多くの場合、あらゆる社会生活から断絶され、社会の片すみで、ひっそりと暮らすことを余儀なくされるのである。

(二) 三郎の治療経過

(1) 三郎は、じん肺管理区分四の決定を受けた後、二週間に一回の割合で通院(往復三時間)を続けて治療を受け、合併症の有無の検査も含め、血圧、採血、肺機能、心電図、レントゲン、採尿等の諸検査を受けた。特に、肺機能検査では、著しい肺機能障害が認められる。薬は、去咳剤、去痰剤(三種類から四種類)を服用していた。

(2) 三郎は、毎晩八時ごろに就寝していたが、その日によって違うものの、毎朝午前二時ごろから五時ごろまでと、夕方五時前後の四時間ほど、激しい咳、痰、ぜんめい等の発作に悩まされ続けた。これは、特に梅雨どきや寒風の吹くときひどくなった。

また、通院の翌日は、一日のうち数時間は横になって身体を休めないと、身体がだるくてつらい状態であった。

肺活量は、昭和三八年、被告住友石炭に入社した時点で三二〇〇CCだったのが、じん肺症決定以来、二二〇〇CC程度に低下し、その息苦しさは、日常生活すら困難にするほどであった。特に、階段の昇りや坂道を登る動作は困難で、ちょっとした階段ですら、ゆっくり昇っても、昇りきった時は、その回復に健康人の数倍の時間を要するほどであった。

本件訴訟提起直後は、自転車にも乗れなくなり、年々体力の衰えていくのがはっきりと分かる状態であり、いつ寝たきりになるか、その場合どのようにして芝病院に通院すればよいのか、不安に感じる毎日を送っていた。

(3) そして、このような三郎の行動の制限の末には死の不安があった。三郎は、じん肺に罹患した仲間の労働者が、合併症を起こし突然死亡し、あるいは病床で動けないまま酸素吸入を受けながら次々に死亡していくのを目の当たりにしていたのである。

このような症状の進行による死、合併症による死を避けるためにも、できるだけ体力の消耗を少なくする以外になく、この点からも、日常行動の範囲は、極端に限局されていたのである。

(4) このような肉体的、精神的苦痛と、社会からの疎外は、家族にも大きくのしかかり、耐えがたい精神的苦痛となっていた。

(5) 三郎は、昭和六〇年以降、毎年エックス線写真の型の区分で四型・Cであり、その後間もなく肺機能障害の程度がF(++)となった。その後の症状は、じん肺専門医の診断書によれば、別紙(二)の表のとおり経過しており、悪化するばかりである。

昭和六三年九月には、平地をゆっくりした速度で一キロ程度歩いたり、ごく軽い趣味程度の仕事を一時間程度以上続けることもできなくなり、平成三年一〇月には、病院の通院も困難となり、平成四年九月には、座ってテレビを見たり、新聞を読んだり、字を書くことも一時間以上はできなくなっている。

エックス線写真の所見についていえば、平成元年九月から著明な肺気腫が、平成四年九月からは心臓の肥大が生じている。

また、三郎が医師から指示される治療も、平成二年九月「換気機能の低下、高度の肺線維化の進行は急激であり充分な治療が不可欠」、平成三年一〇月「高度の珪肺に対し、充分な呼吸管理が不可欠」、平成四年九月「気拡剤去痰剤の投与、ステロイド投与による喘息発作への対処、在室O2療法等が必要である。」とされ、喘息発作に苦しみ、自宅で酸素吸入を受けていたのである。

(6) 三郎は、右のような重篤な症状に苦しみ、ついに平成五年一月一八日、死亡するに至ったのである。

(三) 損害額

(1) 逸失利益 五四一一万七〇〇〇円

三郎は、昭和五九年一二月二六日、海老原医師よりじん肺の診断を受け、昭和六〇年二月一四日、神奈川労働基準局長から、じん肺法に定める管理区分の中で最も重症の管理四の決定を受けた。したがって、三郎は、少なくとも、昭和六〇年二月一四日以降、労働能力を完全に喪失するに至ったことは、公的に明らかである。三郎は、じん肺症に罹患しなければ、満六七歳までは就労可能であった。

三郎は、右時期の直前まで年収六三〇万円を得ていたが、前記状況により右収入を失うことになった。

そこで、以下の算式のとおり、右年収を基準とし、ホフマン方式により、年五パーセントの法定利率による中間利息を控除して逸失利益を算出する。

630万円×8.590

=5411万7000円

(注)8.590は、就労可能年数一一年のホフマン係数

(2) 慰謝料 三〇〇〇万円

三郎がじん肺症によってこれまで被った肉体的苦痛、精神的苦しみ、社会からの疎外と家族の苦しみ、そして、ついに無念の死に至ったことを考えると、これらの苦しみは、いかなる金銭的評価をもってしても計ることができないが、これを慰藉するには、少なくとも三〇〇〇万円を下ることはない。

(3) 通院交通費 一九万一六八〇円

三郎は、本件罹患による通院交通費として、右金額を支出した。

(4) 一部請求

以上のとおり、三郎の被った損害額は、合計八四三〇万八六八〇円となるが、本訴では、そのうち、被告三井鉱山に対しては三〇〇〇万円の、その余の被告らに対しては五〇〇〇万円の請求をするものである。

(5) 弁護士費用

三郎は、請求金額の一割に相当する額(被告三井鉱山に対する平成元年(ワ)第八八一号事件では三〇〇万円、その余の被告らに対する昭和六三年(ワ)第一六七〇号事件では五〇〇万円)を、本件訴訟の第一審判決言渡時に三郎代理人らに支払う旨約した。

(6) 相続

三郎は、平成五年一月一八日死亡した。原告佐藤壽恵子は三郎の妻、原告佐藤晃一は三郎の子である。

11  結論

よって、三郎は、民法四一五条(安全配慮義務の債務不履行)又は同法七一九条一項後段の規定の類推適用に基づき、被告三井鉱山に対しては三三〇〇万円、その余の被告らに対しては五五〇〇万円及びこれらに対する三郎が労働能力を喪失した日である昭和六〇年二月一四日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求める。

二  請求の原因に対する認否及び反論

(被告前田建設)

1 請求の原因1の事実および主張は、本件請求の要件事実と関係がないので、認否しない。

2(一) 同2(一)の事実は知らない。

(二) 同2(二)(1)の事実は認めるが、同二(二)(2)ないし(4)の事実は知らない。

3(一) 同3(一)(1)の事実は知らない。

(二) 同3(一)(2)第一段の事実のうち、三郎が導水路トンネル、水圧鉄管路工事に従事していたことは否認する。三郎が木下班に所属していたとすると、昭和二七年一〇月以降退職までの三郎の主たる作業内容は、同第三段に指摘されている、調圧水槽本体の掘削工事であり、これは明らかに掘削(その意義については、後記(六)で述べる。)である。その他は、竪坑内の整備、清掃の作業員が休んで作業上支障があるとき、当該担当作業員に代わって臨時的に作業を行う、いわゆる代番として竪坑内の整備作業に就労したにすぎず、竪坑内掘削作業に従事する坑夫の代番としてトンネル工事(切羽作業)に就労したのではない。切羽は、各坑夫が有機的に作業する必要から、構成員が予め特定されており、構成員の病気欠勤などがあっても、出勤構成員によって施工されるので、構成員以外の作業員が臨時的に構成員に代わり代番勤務することはない。

同第二段の事実はおおむね認める。

同第三段の事実はおおむね認める。

(三) 同3(一)(3)の事実は知らない。

(四) 同3(一)(4)の事実は知らない。

(五) 同3(一)(5)①のうち、湿式削岩機を空ぐりで使用していたことは否認する。三郎が就労したと主張する神通川第一発電所工事のトンネル工事において、被告前田建設は、削孔作業について、給水管又は給水タンクから水を供給して、注水しながら作業をさせていた。狭い坑内で空ぐりをする必要は全くなく、粉じんを発生させれば、視界が悪くなり、かえって、作業能率の低下を来すのである。

(六) 同3(一)(6)の事実は否認する。調圧水槽本体の掘削工事では、作業空間は大きく、上部は開いているので、発破による粉じんが作業場所に滞留することはない。作業種目としても、このような地上からの掘削方法を、明かり掘削といい、トンネル坑内とは区別されている。被告前田建設の右明かり掘削作業は、作業員が粉じんを吸入するような環境ではなかった。

4 同4の事実は知らない。

5 同5の主張は争う。

空気中に浮遊している粉じんは、そのすべてが呼吸によって肺胞内に付着するわけではない。粉じんは、鼻→喉頭→気管→気管支→肺胞の順で入ってきて、粉じんの粒径の大きなものは、気管支までの間で沈着し、繊毛の働きによって排出され、粒径五ミクロン以下のものが肺胞内に到達する。しかし、粒径一ミクロン以下の小さいものは、肺胞に沈着することなく、呼気とともに対外に排出されてしまう。肺胞に沈着した粉じんも、リンパ球などの喰作用などによって除去されるのであるが、除去されなかった粉じんが一定量以上残留蓄積した場合に、生体反応として線維化(線維増殖性変化)することによりじん肺症となるのである。そして、蓄積量が少ない場合には、線維化は生じても健康障害には至らない(無作用レベル)。

また、粉じん吸入量及び個人的体質の違いにより、じん肺発症の時期は一定しないとされているが、長期のものでも粉じん作業から離職して一五年以内に症状が現れるとされている。

6 同6ないし8の主張は争う。

7(一) 同9(一)の主張は、使用者、事業主の健康保持義務が「高度の」ものであるという点を除き認める。

(二) 同9(三)のうち、昭和三五年にじん肺法が成立したことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。被告前田建設には、三郎が被告前田建設における就労によってじん肺になるということについて予見可能性はない。

(1) 三郎は、被告前田建設のトンネル掘削作業において粉じんを吸入したとしても、右作業には四か月間就労したにすぎないところ、当時、かかる作業に四か月間就労したことによる吸じん量が、じん肺罹患に起因性を有するとは、一般的に認識されえない状況にあった。昭和三五年成立のじん肺法においてさえ、その二一条は、「都道府県労働基準局長は、じん肺管理区分が管理三イである労働者が現に常時粉じん作業に従事しているときは、使用者に対して、その者を粉じん作業以外の作業に常時従事させるべきことを勧告することができる。」と規定しており、使用者が労働者を粉じん作業に就労させることを許容しているのみでなく、労働者がじん肺初期段階で粉じん作業から他の作業に配置転換すれば、健康状態の悪化を防止し労働能力喪失などの重体に至らないことを前提としているのである。

(2) 仮に、トンネル掘削作業における粉じん吸入が三郎の健康障害を招くことを抽象的に予見しえたとしても、三郎が被告前田建設の作業場に就労したのは、けい肺等特別保護法(昭和三〇年七月二九日公布)の公布前の昭和二七年五月であり、少量の粉じん量によって三郎の現在の重症じん肺罹患を予想することは不可能であった。

三郎が被告前田建設の粉じん作業離脱以降継続して他社の粉じん作業に就労することも、また、三〇年後に突如としてじん肺管理区分四に認定される症状となることも、予見することは不可能であった。

更に、昭和三三年一〇月三一日当時、炭坑粉じん作業就労期間七年未満の体内蓄積粉じん量によってはじん肺に罹患しないというのが炭坑関係者の認識であった。

(三) 同9(四)の主張は、抽象論としては争わないが、具体論としては争う。使用者の労働者に対する具体的義務、つまり、早期発見措置、教育指導は、就労する工事についての規模、地質などの具体的な作業環境及びこれに対応する工法、設備機械などの作業条件によって規定されるものである。

また、原告主張の義務は、被告前田建設が、三郎をずい道工事の最先端における作業に従事させたことを前提とするものと解されるが、前述3(二)のとおり、そのような事実はないから、被告前田建設には、右事実を前提とする安全配慮義務は存在しない。

(四)(1) 同9(五)(1)①のうち、湿式削岩機を空ぐりで使用していたことは否認する。

(2) 同9(五)(1)③の事実は否認する。掘削作業者に対しては、防じんマスクを支給し、着用を指示していた。

(3) 同9(五)(1)④の事実は知らない(三郎の就労期間が短期のため、三郎の在籍期間中に、年一度の一般健康診断が実施されたか否か不明である。)。

(五) 同9(六)の主張は争う。

民法七一九条一項後段の規定の要件は、

イ 各行為者に責任能力と故意過失があること

ロ 各人の行為に共同性あるいは関連共同性があること

ハ 各人の行為に各損害発生の可能性があること

ニ 結果発生が共同不法行為者中、そのうちの何人かの行為によることが明白であるが、その何人かを特定しえないこと

である。

本件において、被告前田建設の行為にイの要件が欠けることは、前述7(二)のとおりであるが、以下に述べるとおり、ロ、ハ、ニの要件をも欠くものである。

(1) ロの要件

① 客観的関連共同性について

原告は、「全被告は、三郎が坑内労働の技能を有する者として、将来も同様な職種を抱える企業を転々として生計を立てて行くであろうことを十分に認識していた。」とし、被告前田建設が、その余の被告らの過失行為と相合して結果が発生することを予見していたので、被告前田建設の行為とその余の被告らの行為とは主観的に関連があり、一体として評価しうる旨主張するが、三郎の被告前田建設における就労は、切羽坑夫としての作業ではなく、しかも、初めての建設現場への就労であって、短期就労にすぎないのであるから、三郎は、坑夫としての専門的技術を有していたわけでもなく、三郎が被告前田建設を退職する時点で、被告前田建設が、三郎の就労先や将来の就労内容を知りうべき立場にはない。

また、仮に被告前田建設がこれらの事項を知るべきであったとしても、昭和三五年のじん肺法(以下「旧じん肺法」という。)施行後は、粉じん作業に就労する三郎は、管理区分四に至る以前に軽微なじん肺に罹患したら、健康診断により配置転換がされるのであるから、管理区分四に至るわけがなく、被告前田建設において三郎が現在の症状に至ることを予見するのは、不可能である。

また、本件の被告らの各行為は、時間的に重なるところがなく、かつ、被告らは三郎との雇用関係終了によって三郎がいかなる職業につくかについて関与する権限を全く有さず、三郎がその都度任意に粉じん作業に就労するための雇用契約を締結したのであって、各粉じん作業の就労と就労との間には継続の必然性はなく、それらを予見することは何人にも不可能である。

したがって、被告前田建設の行為とその余の被告らの過失行為との間に、客観的関連共同性はない。

② いわゆる弱い関連共同性について

原告ら主張の被告らの各安全配慮義務の基礎となるべき三郎と被告らとの間の各雇用契約は、全く独立に存在しているばかりか、各被告の作業場は別個であり、かつ、発じん防止設備、除じん設備も別個のものである。また、三郎が被告前田建設における作業を離脱した後、三郎が第二次粉じん作業に就労したことを理由として共同被告に加えた被告住友石炭における三郎の粉じん作業就労開始時との間には、一一年間の時間的中断がある。更に、三郎が被告前田建設における作業を離脱した後、三郎が第五次粉じん作業に就労したことを理由に、共同被告に加えた被告青木建設における三郎の粉じん作業就労開始との間には、一九年間の時間的中断がある。

この中断期間における初期一一年内の三郎の粉じん作業につき、被告前田建設も、被告住友石炭も、何らの関与もしえない立場であるし、初期一一年を含め一九年内における三郎の粉じん作業就労につき、被告前田建設も、被告青木建設も、関与しえない立場であるから、これら三郎の就労した第一次ないし第五次粉じん作業における、各別の三郎に対する被告らの行為を全体として一体的行為とみることは、社会一般常識として容認しえないところである。

したがって、被告前田建設の行為と他の被告の過失行為との間には、弱い関連共同性も認められない。

(2) ハの要件

被告前田建設における三郎の就労は、その期間、環境の両面から、じん肺罹患の原因となる程度に至るものではないから、ハの要件に該当しない。

民法七一九条一項の規定は、その明記するところから、複数の者がそれぞれ全損害をもたらすことが可能な行為をして、その中のいずれかが全損害を惹起したが、それが誰の行為であるか不明な場合、すなわち、いわゆる択一的競合共同不法行為に適用されるのである(浜上則雄「現代共同不法行為論」判時一一三四号四頁)。三郎が被告前田建設において就労したのは約八か月であり、原告らの主張によれば、その間粉じん作業に就労したのは四か月にすぎず、しかも、その四か月の就労も、原告らが主張するような粉じん環境ではない。粉じん作業労働者がじん肺に罹患するのは、相当期間粉じん作業に就労し粉じんにばく露されることによるものであり、被告前田建設における右就労によって三郎がじん肺に罹患する危険は全くない。

三郎は、被告五社以外の粉じん作業場において就労したのであるから、ハの要件を欠く。

民法七一九条一項後段所定の「共同行為者中のいずれがその損害を加えたかを知ることあたわざるとき」について、損害の発生がありながら、共同行為者のいずれの行為によって当該損害が発生したか特定しえない場合、損害発生が共同行為者のいずれの行為によるかの立証をすることなく、共同行為者全員に、連帯して被害者に対し全損害の賠償を認めた、訴訟法上の被害者救済条項であると解されている。

したがって、三郎が被告五社以外の粉じん作業場において、就労した事実があることが確定した場合には、適用がないことになる。

ところで、三郎は、昭和二八年一月以降昭和三八年三月まで、村上建設において粉じん作業に就労していることが明らかである。しかして、この間の三郎の粉じん吸入量は、その就労期間及び作業環境からみて、被告前田建設の作業場における粉じん吸入量をはるかに越えるものである。

このように、被告五社以外において三郎が就労した事実は、被告五社以外に三郎のじん肺罹患の原因者が存在することを示し、民法七一九条一項後段の規定が類推適用されるべきではないことを示すものである。

8(一) 同10(二)の事実は知らない。

(二)(1) 同10(三)(1)ないし(5)の事実は否認し、主張は争う。

(2) 同10(三)(6)の事実は認める。

(被告住友石炭)

1 請求の原因1の主張はすべて争う。

特に、本件訴訟は「加害企業の集団責任(共同責任)を問うもの」との主張は、到底容認しがたい独自の見解である。

2(一) 同2(一)のうち、三郎の生年月日及び三郎が被告住友石炭と別紙(一)の経歴表記載の期間労働契約関係にあったことは認めるが、その余の事実は知らない。

(二) 同2(二)(2)の事実は認める。

3(一)(1) 同3(三)(1)第一段のうち、三郎が、その主張期間の間(ただし、始期は、正確には、昭和三九年六月である。)、その主張する作業所で勤務したことは認める。職位について、三郎がその主張の期間中坑内夫であったことは認めるが、掘進夫であったことは知らない。三郎の従事した工事名、作業内容については知らない。

同第二段のうち、坑道掘進が全断面で掘進する方式となり、支保工建込に鉄製の支柱が使用されるようになったことは認める。

(2) 同3(三)(2)第一段の事実は認める(ただし、三郎が作業に従事した現場の最深部は一二〇〇メートルであり、また、すべてが高温であったわけではない。昭和三八年二月末の調査では、一番温度が高かった場所で二五度、低い場所で一七度、平均20.5度、昭和四〇年七月末の調査では、高い場所で三〇度、低い場所で二〇度、平均二五度である。そして、石炭鉱山保安規則(以下「炭則」という。)上、三七度を超えた場合に作業禁止となるが、被告住友石炭においてこれを遵守していたことはもちろん、三〇度を超えた場合にも、作業の軽減などの措置を講じていた。)。

同第二段のうち、坑道切羽からガスが発生し、突出することがあることは認めるが、原告らの主張の態様(ガスが「シューシューと」発生するとか、ガスの突出の際「粉じんが大量に発生した」とする部分)及びその余の事実は否認する。なお、原告らの主張する「石灰」は、炭じんの堆積しやすい坑内各所に多量に散布することが法令により戦前から現在まで義務付けられている岩粉のことである。これは、堆積炭じんと混合して、炭じんが爆発限界に達するのを防ぐ作用を有するものである。この岩粉散布は、じん肺を発症しやすい遊離けい酸分を多量に含むものではない岩石を岩粉化して使用するものであって、その粒度なども、じん肺症の原因となる粉じん粒度・粒径と大きく異なる。防爆用の岩粉であるから、爆風によっては飛散・浮遊して堆積炭じんと混合するが、通常の通気のもとでは容易に浮遊・飛散せず沈降している。また、炭じん爆発防止対策として、坑内においては散水区域と岩粉散布区域とにはっきり分かれており、三郎の従事した沿層坑道掘進切羽は散水地域なのであるから、そもそも三郎が岩粉のばく露を受けることはあり得ない。

(3)① 同3(三)(3)①のうち、削岩機は湿式のものが用意されていたことは認めるが、その余の事実は、全くの虚構であるから、否認する。なお、沿層坑道掘進は、坑道断面積の七〇パーセントから七五パーセントが炭層であるところ、炭層やこれに接する岩石層の柔らかい部分では、穿孔に削岩機ではなくオーガーを使用していた。

② 同3(三)(3)②第一段のうち、粉じんの発生については否認する。

同第二段のうち、粉じんが退避した場所まで流れてくることは否認する。

同第三段の事実は否認する。炭則上、発破後最初に切羽に行って、粉じんが除去されたか等の状況確認を行うのは、発破係員(保安技術職員)であって、先山などではなく、また、そもそも発破係員は、他人をそこに近付けてはならない義務を負っている。

③ 同3(三)(3)③第三段のうち、被告住友石炭において、発破後、ずりに対する散水がされていたこと、各坑道の上部にビニール製風管を横につないで通し、電力式又はエアー式のブロアーで風を送って換気していたことは認めるが、削岩した砕石に散水をしても、地熱のために、積み込んでいるうちに乾いてしまうような状態であったこと、ずり積込み作業中にバケットの反転作業が絶えず行われ、その時、送風している風によって粉じんが舞い上がったこと、そのため、送風している風によっても、粉じんを若干薄めるだけで、十分に換気することができなかったことは否認する。

炭鉱内では、常に、通気に、一定方向への流れを作る通気設計になっており、車風のようなものが起こることはない。粉じんも、この流れに乗って排出されるから、それでも排出されずに残るようなことは考えられない。

4 同4の事実は知らない。

5 同5ないし8の主張は争う。以下、原告主張のじん肺の病理・病像・発生機序について反論を加えるとともに、三郎が被告住友石炭に坑内夫として在籍した間に罹患する可能性のあるじん肺、すなわち、「炭鉱夫じん肺」の特色についても随時言及する。

(一) じん肺の定義について

(1) いわゆるじん肺について、わが国において「法律」上はじめて定義されたのは、昭和三〇年七月二九日公布(同年九月一日施行)された「けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法」(以下「けい肺特別保護法」という。)である。

同法においては、「けい肺」とは、「遊離けい酸じん又は遊離けい酸を含む粉じんを吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化の疾病及びこれと肺結核の合併した疾病をいう。」(同法二条一項一号)と定義され、「遊離けい酸」粉じんによる「珪肺」のみが対象とされた。

(2) 次いで、昭和三五年三月三一日公布(同年四月一日施行)された「じん肺法」(以下「旧じん肺法」という。)においては、対象疾病を「じん肺」とし、「じん肺」とは、「鉱物性粉じんを吸入することによって生じたじん肺及びこれと肺結核の合併した病気をいう。」(同法二条一項一号)と定義され、「鉱物性粉じん」によるじん肺のみが対象とされた。

(3) 昭和五二年七月一日公布(昭和五三年三月三一日施行)された「じん肺法の一部を改正する法律」(以下「新じん肺法」という。)においては、「じん肺」とは「粉じんを吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病をいう。」(同法二条一項一号)と改められ、旧法において対象とされていた肺結核については、これを「合併症」として「じん肺」と区別し、「合併症」とは「じん肺と合併した肺結核その他のじん肺の進展経過に応じてじん肺と密接な関係があると認められる疾病をいう。」(同条同項二号)と定義された。

なお、昭和五二年の新じん肺法によってじん肺を起こす原因となる「粉じん」とは、単に鉱物性粉じんに限らず、「空気中に含まれる非生物体の固体粒子をいう。」(昭和五三年四月二八日基発第二五〇号労働省労働基準局長通達)とされるようになってきたが、じん肺を起こす粉じんは、現在までの医学的知見からは、無機性の粉じんであり、有機性の粉じんの吸入によりじん肺が起こるとの医学的な合意は得られていない。

このように、いわゆるじん肺の定義については、当初の「けい肺特別保護法」においては、「遊離けい酸じん又はけい酸を含む粉じん」による疾病のみとされ、次いで、旧じん肺法では、「鉱物性粉じんを吸入することによる」疾病とされ、更に新じん肺法では、「粉じんを吸入することによる」疾病というように、時代の進展とともに変化し、医学的研究の進歩による病像等の解明によって、次第に変わってきているのが特徴である。

(二) 石炭鉱山におけるじん肺の特徴

(1) 石炭鉱山における「じん肺」問題については、従前は、坑内において採炭等の際に発生する「炭粉」は無害であると考えられており、金属鉱山におけるほどこれに対する関心は高くはなかった。すなわち、石炭鉱山においては、従来は、「炭肺」(Anthracosis)とか「黒肺」(Blacklung)なる概念が存在したが、これは、単に肺が黒くなるものにすぎず、健康に有害な病変ではないと考えられており、「珪肺」とは全く別のものと認識されていたのである。金属鉱山などにおけるいわゆる「珪肺」は、けい酸粉じんの吸入によるものであるが、石炭鉱山における「炭粉」の吸入によるいわゆる「炭肺」とは別のものであって、当該炭粉自体は無害と考えられていた。むしろ、無害どころか、炭粉の肺内滞留は、珪酸粉じんの排除に有効であり、結核に対しても明らかに治療効果をもっているともいわれていた(B・Sニコルソン、L・Uガードナー)のである。原告らの前記第二、一、8で列挙する戦前の文献は、炭肺なる言葉を多種多様な意味で用いており、決して現在のじん肺と同義に用いているのではない。そして、戦後、一般的に金属鉱山などにおける珪肺が問題となりはじめた後も、その対象は遊離けい酸(けい肺)とけい酸塩(石綿肺)によるけい肺のみが問題とされていたのであり、炭粉については依然として有害なものではなく、「良性じん肺」とされ、したがって、生体内で化学的な特殊な作用を及ぼすものではなく、また、粉じんによる線維増殖能も極めて少ないものとされ、問題とされていなかったのである。

(2) その後の医学研究の結果、「従来もっとも無害とされ、事実各種の粉じん中もっとも線維増殖能の低い炭粉でも、大量の吸入、大量の肺胞内滞留では、異物性の肺胞炎の結果としての線維増殖を招来する(昭和四〇年五月三〇日発行の労働省「じん肺検査ハンドブック」三四頁)ということが次第に判明した。そして、炭粉も、じん肺を起こす可能性のある物質であるとされるようになった。しかしながら、「炭粉の場合にも、多量を与えて反応野を広くすれば形成線維量は増加する。すなわち異物であるかぎり大量の組織内滞留は線維化を結果するのである。」(同書三三頁)とされているように、その性質からみてじん肺が発症する場合も、それは「大量の粉じん」吸入の場合であり(発症には体質等の個人差も大きい。)、炭粉は線維形成の最も弱い粉じんであることに変わりはないとされている。

(3) このような医学的研究によるじん肺発生物質の問題をめぐっては、右炭粉の例だけでなく、例えば、昭和二四年五月の全日本金属鉱山労働組合連合会の「けい肺特別法要綱案」では、「アルミニウム粉末その他医術方法による予防並びに厚生」が、「医療及び厚生対策」として法案とすべき内容に掲げられていたことからも分かるように、昭和三〇年前後までは、アルミニウム粉の粒子(五ミクロン以下)を吸入させれば、珪肺の発生を阻止しうるといわれていた。これは、アルミニウムが水酸化アルミニウムとなって石英粒子に薄膜となって吸着し、また、生体組織内の石英を吸収する等によって、その毒性を減少させると考えられていたからである。しかし、今日では、逆に、アルミニウム粉じんは、「アルミニウム肺」又は「アルミナ肺」としてじん肺を形成するとされている。このような例からも分かるように、医学的研究の進歩と共に次第にじん肺の発生機序や病像等が明らかになってきているのであって、原告ら主張のように、昭和初期から石炭生産により炭鉱夫じん肺が必然的に発生することが熟知されていたというものではなく、戦後になっても、必ずしも明白な医学的な知見が得られていたわけではないのである。

(4) じん肺について、前述のとおり、戦後「けい肺」から「じん肺」に定義が変わり、じん肺の発症が石炭鉱山においても認められるようになったという経緯があるものの、炭鉱夫じん肺は、「良性じん肺」であり、「線維化も壊死も弱い」ので「軽度」のじん肺に分類されてきた(前掲書)ところである。

このことは、旧じん肺法から新じん肺法の時代になってからも同じであり、現在の労働省「じん肺検査ハンドブック」(昭和五三年三月発行)においても、炭鉱夫じん肺は、「その他のじん肺」に分類され、「これらは線維化が弱く、結節が小さいじん肺である。」とされている。

(三) じん肺の発生機序と病像

(1) じん肺の基本的な病像

① じん肺とは、新じん肺法においては、前述のとおり「粉じんを吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病をいう。」とされている。すなわち、本疾病は、右のような病変により肺機能の低下を中心として発生させるものである。

肺の機能は、空気中の酸素を体内に取り入れ、体内で産出された炭酸ガスを排出するいわゆるガス交換を行うものである。

このガス交換は、静脈血の動脈血化といわれ、血液中に酸素を取り入れ、血液によって運ばれてきた炭酸ガスと交換するものである。それは、肺の中に約二億以上あるといわれる肺胞(直径約0.2ミリメートルないし0.3ミリメートル)において、肺胞上皮(成人男子では、その表面積は、四〇平方メートルから一〇〇平方メートルに達するといわれている。)と肺胞の外側に網目状にそれを包んだ形となっている毛細血管との間で行われている。すなわち、肺胞内の空気(ガス)と、毛細血管の血液とが、薄い膜(肺胞毛細管膜)で接し、空気中の酸素(O2)と血液中の炭酸ガス(CO2)が移行するものであり、このメカニズムは、両者の分圧の差、簡単にいえば血中の炭酸ガスが増えることによって血中の炭酸ガス分圧が肺胞内の炭酸ガス分圧より高くなり、肺胞側に排出され、一方、肺胞に吸気により充満している空気中の酸素については、肺胞内の酸素の分圧が血液中の酸素の分圧より高くなっているため、血液中に移動する(肺の散拡機能)ものである。このガス交換により肺胞中に排出された炭酸ガスは、呼気として吐き出される。

② これを空気の流れとしてみると、吸入される空気は、鼻腔→気管支→細気管支→終末細気管支→呼吸細気管支→肺胞管→肺胞という順に次々に枝分かれした気道を通って肺胞まで到達し、肺胞で空気中の酸素は血液中の炭酸ガスと交換され、この炭酸ガスは、右の反対向きの経路で体外に吐き出される。これがいわゆる呼吸である。

呼吸すると、空気とともに粉じんが吸入されることもあり、後に詳述するとおり、右の鼻腔→肺胞に至る間に人間の生体防衛機能により、右粉じんは捕捉され、体外に排出されるが、場合によっては、粒径の非常に小さい粉じんのごく一部が肺胞や気道に沈着する。その場合、粉じんの性状等によって、沈着後に種々の条件により線維増殖性の変化を生じ、それに伴い炎症性変化や気腫性変化などの病変が生じ、その部分において前述のガス交換作用の支障が起こることがある。これが「じん肺」と呼ばれる疾病である。

しかし、肺は機能的に大きな予備力をもっている器官であり(通常は、その三分の一しか作用していないといわれている。)、肺の器質的病変が、必ずしも平行的に肺機能の障害となって人体の日常生活に影響を与えるものではない。したがって、じん肺による障害の程度を診断する場合には、気管支や肺胞等の器質的変化の検索と肺機能の検査とによらなければならないという特徴をもっている。

(2) じん肺の発生機序

① じん肺の発生機序については、現在においても、必ずしも完全に解明されているとはいえないが、一般的には、Ⅰ粉じんの化学的組成、Ⅱ粉じんの粒径、Ⅲ粉じんの吸入量(濃度とばく露期間)、Ⅳ人体側の要因の四つが主要な因子とされている。

Ⅰの粉じんの化学的組成は重要で、炭粉は有害(毒)性の少ない粉じんとされ、そのことは、けい肺と炭肺の症状差に現れている。

Ⅱの粉じんの粒径も重要で、吸入された空気中の粉じんのうち、粒径の大きいものは鼻腔や気管支において取り除かれ、除去されなかったごく一部の粉じんが肺胞に至るが、そこで沈着する粉じんの大きさは、普通五ミクロン以下であるとされて、特に一、二ミクロン位の大きさの粒子の沈着が多いとされている。しかし、逆に、粒径がもっと小さいもの、すなわち、通常0.5ミクロン以下のものについては、肺胞に達しても、多くは呼気とともに体外に排出されてしまう。粉じんであっても、溶解性のものは、血液、粘液等に溶けて排除されるので、じん肺に関しては問題ないが、不溶性ないし難溶性の粉じんが問題となる。

Ⅲの粉じん吸入量については、「ばく露濃度×ばく露時間」で表することができるわけであり、一般的に粉じん吸入量が増加するに従って、健康障害の程度も重くなるといわれている(これは、「量―反応関係」、「量―影響関係」と呼ばれている。)。なお、ばく露量が非常に少ない場合には、通常、医学的検査で発見できるような健康障害を起こさないことも知られており、「無作用レベル」ともいわれている。

Ⅳの人体側の要因については、人間の側の感受性が強く影響するといわれており、同じようなばく露条件下であっても、全くじん肺には罹患しない人もある。そのような人間側の要因によって、発症の有無や健康障害程度、病像等が異なってくることはよく知られており、これらの要因としては、性、年齢、体質、習慣、健康状態等の種々の要因があげられる。体質については、遺伝的にじん肺に罹患しやすい人とそうでない人があり、何らかの遺伝的物質が影響しているのではないかと考えられている。また、喫煙習慣の影響は大きく、喫煙によって生じた繊毛上皮の異化性や繊毛の機能異常は、肺のクリアランス(気道の除じん作用)を低下させ、より多くの粉じんを肺沈着させるとともに、ニコチン、タール等吸入物質そのものの影響もあって、気管支炎及びその他の肺疾患の発症について重要な関連性をもつといわれている。

② 肺胞にまで達した粒子は、まだ医学的に不明な点も残されるが、一般的には肺胞内で、あるいは肺胞壁を直接通過後マクロファージ(大喰細胞)に捕食され、一部は、気管支に運ばれ、そこから体外に排出され、一部は、肺間質組織中のリンパ管を介し近くのリンパ節を経て、肺門や傍気管支のリンパ節へと運ばれ、更に一部は、血液中に排せつされるものもある。リンパ管による異物排除は持続的で、例えば、けい酸粉じんが肺内に沈着した場合において、固定しているようにみえるものでも、極めて徐々にではあるが、常に外部に向かって移動していると考えられている。

肺胞レベルにまで粒子が到達し沈着したとしても、けい肺や石綿肺などのような線維性病変が必ずしも生じるとは限らない。すなわち、沈着後、肺病変が生じるか否かは、前述のとおり、粒子の化学的性状、例えば、マクロファージに対する毒性や抗原性などの有無その他前記の四つの因子などにより決まる。

粉じんの性質が、マクロファージに対し毒性があり、更に吸入沈着量が多いときは、生体の防御メカニズムを超え、一部の粒子は、肺内の沈着により肺胞壁に線維化を形成し、また、肺間質及びリンパ節にマクロファージに捕食される等により移行し、そこで沈着した部位に細胞の浸潤が起こり、その後、この細胞は、次第に変性壊死に陥り、はじめは細い網状線維が形成され、次第に太い膠原性線維に移行して、じん肺結節が形成されることもある。これらの変化が進めば、その後の吸入粉じんは、次第に蓄積されるようになり、結節は更に大きくなりその数も増加する。この変化に伴って、小血管の閉塞が起こり、細気管支の狭窄や閉塞が起こってくる。このため、局所性肺気腫が発生してくる。また、細気管支レベルでの病変があれば、細気管支周辺の変化が起こる。更に、右のじん肺結節は、癒合して塊状巣を形成するに至る場合もある。

(四) 炭鉱夫じん肺の意義と病像

(1) 前述のとおり、我が国においても、昭和三〇年ごろから、従来無害とされてきた炭粉でも、大量の吸入が行われた結果、大量に肺胞内に沈着滞留が行われた場合には、異物性の肺胞炎の結果として線維増殖を招来することが判明した。また、石炭鉱山における坑内作業従事者については、吸入される粉じんが純粋の炭粉のみでなく遊離けい酸分が含有された粉じんがある場合には、従来の炭肺に珪肺が加味されたものも起こるのであり、この両者加味されたものも、当初は、「炭肺」と呼んでいたが、むしろ、純粋な炭肺と区分するために従事する業務を重視し、かつ、その特徴を表す必要があるため、「炭鉱夫じん肺」と呼び、他のじん肺と区分するようになってきた。

したがって、今日では、石炭鉱山の坑内作業者について、炭粉が肺に沈着して起こるもの、炭粉と同時にけい酸性粉じんを吸入して起こるものの両者を含めて「炭鉱夫じん肺」と一般に定義しており、労働省の現行の「じん肺検査ハンドブック」も、「その他のじん肺」に属する「炭素系じん肺」の中の「炭鉱夫じん肺」として分類している。

(2) 原告らが主張する「じん肺」の発生機序、病像等は、「炭鉱夫じん肺」についてのものではなく、一般的な「けい肺」について説明されているところの機序、病像等が中心である。

しかし、「炭鉱夫じん肺」は、「けい肺」とは異なった発生機序と病像等を示すものであり、両者は区別されなければならない。

じん肺は、一般的に、その病理変化から、①リンパ型、②肺胞型、③細気管支型、④混合型に大きく分類されているが、炭鉱夫じん肺は、②の「肺胞型」の中の「弱壊死型」に分類されている。①のリンパ型に代表されるじん肺は、「けい肺」(Silicosis)である。

吸入され肺胞内に達し、滞留したけい酸粉じんは、一部は直接、又は大部分はマクロファージにとらえられた形で、肺胞壁より肺間質に侵入し、異物排除作用の一つであるリンパ流に入り、肺門に向かって求心性に運ばれ、肺内リンパ節や気管支分岐部のリンパ節に蓄積される。このようなリンパ節への移行の難易は、粉じんの性状の差によりマクロファージの運動の阻害の程度と密接な関係がある。特に、けい酸粉じんは、リンパ節に移行しやすく、リンパ管組織において線維増殖を生ずるものであるため、「リンパ型」と呼ばれている。蓄積されたけい酸粉じんが増大すると、リンパ流が阻害される。けい肺の変化が著しく結節が増大した場合には、更に卵殼状石灰沈着(Egg Shell Nodle)が見られることもあるのが特徴である。それとともに、肺胞内や肺間質においても線維化を生ずるようになる。

③の「細気管支型」に代表されるじん肺は、石綿肺(Asbestosis)である。石綿肺は、けい肺とは全く発生機序が異なり、石綿粉じんはその性質上呼吸細気管支以下の末梢気道に沈着する。そして、当該気管支において、細気管支炎から更に線維増殖が強く現れ、これに伴う気管支の拡張及び狭窄、肺気腫等が起こり、その程度はけい肺より早期で肺機能の低下は著しい。石綿粉じんは、肺内では、蛋白質と結び付いて黄褐色の石綿小体(含鉄小体)を作り、その残留も症状を増悪させる。

なお、前述のじん肺の分類④の「混合型」は、肺胞型を主とし、副次的に細気管支型の変化を招来するものをいう。

(3) これに対して、炭鉱夫じん肺は、②の肺胞型とされ、発生機序及び病像の解明においても良性じん肺あるいは軽度なじん肺とされているのであるが、それは、石炭粉じんである炭粉等が吸入されて、その一部が肺胞に達して肺胞内に残され沈着、マクロファージに貧食されても、マクロファージに対する細胞毒性作用が弱く、線維増殖能もわずかで、したがって、一般には肺間質内の血管の狭窄、閉塞等の変化は少ないからである。

つまり、石炭粉じんは、肺胞壁に沈着し、あるいは、マクロファージによって肺間質等に取り込まれた場合にも、細胞毒性が少ないため、そこに残留しているだけであり、線維化し、あるいは結節形成に至ることは少なく、更に、大量の吸入沈着などに至ると肺胞炎を起こし、肺胞壁や肺間質から線維芽細胞が生じ、増殖して肺組織に障害を生ずるに至ることもあるが、その程度はけい肺等の場合に比べて低いのである。

また、異物排除作用により、石炭粉じんがリンパ管へ入り、肺門部リンパ節等に運ばれる場合においても、その侵入到達量が少なく、また、到達した粉じんもリンパ節髄質部にあって、その線維化はわずかであり、更に皮質部には健常なリンパ濾胞がそのまま残存しているので、リンパ機能の障害は少ない。

石炭粉じんは、その性質から、肺胞に至る前の気管支に沈着し、そこにおいて粘液細胞の若干の増加をみることもあるので、軽度のカタル性炎症を認めるといわれており、場合によれば、更に呼吸細気管支領域の病変や局所性の肺気腫を引き起こすに至るが、その病変は、前述の石綿じん肺の気管支障害よりも軽度である。

このようなことから、炭鉱夫じん肺は、肺胞型であり、その組織の壊死、崩壊を招来する細胞毒性が弱いため、「弱壊死型」と分類されるのである。

(五) じん肺の障害度の考え方

(1) じん肺は、仮に肺胞内に肺間質、リンパ節等に粉じんが蓄積され、線維化、結節形成という機序をたどったとしても、長期間にわたり無症状であることが多い。それは、肺が予備能力の著しく大きな器官であることに由来する。

したがって、新じん肺法においても、有所見とされるじん肺管理区分の「管理二」の場合にも、粉じんにさらされる程度の低減措置に努めるべき努力義務はあるとしても、一般の通常作業に従事することはもとより、粉じん作業に従事することも支障がない。また、同管理区分の「三のイ」同「三のロ」の場合も、常時粉じん作業に従事している者は、常時粉じん作業以外の作業に従事させるべき努力義務を負うものの、他の一般作業には支障がない(これらは、じん肺のそれ以上の進展を防止するという観点からの措置である。)。したがって、これらの場合には、合併症の治療の際を除いては療養は必要ではなく(したがって、労災補償は行われない。)、通常の一般的業務への就労は何ら制限されておらず、支障はないのである。

(2) じん肺の病変が進展してきたとき最初に出現する自覚症状は、労作時の息切れである。これは、体を動かさないで安静にしていれば無症状であるが、運動をすると息苦しくなる状態を指しており、肺機能低下による呼吸予備能力の減少による症状である。

じん肺の病変が更に進むと、咳、痰、動悸などの症状が出現する。

じん肺の病変が著しく変化すると、肺機能の低下が著明になる。更に、呼吸障害が慢性化し、進展した場合において、心不全、すなわち、肺性心の状態になることもあるが、これは、ごく限られたじん肺が高度に進展した段階で出現する終末期の症状である。最近のじん肺は、軽症化傾向にあり、患者は高齢化し、平均余命年数を超える患者も多くなっており、原告ら主張のような「じん肺死」(医学上「じん肺死」という診断名はないが)という極端な経過を常にたどるわけではない。

また、このように、じん肺の症状は、肺という臓器の障害により生じるものであり、高度に進行した状態を除けば、一般的に、じん肺では、肺以外の臓器の障害による障害は認められず、原告ら主張のような全身性疾患ではない。

(3) 炭鉱夫じん肺の症状は、けい肺や石綿肺等に比較して軽症であり、有所見の場合にも初期には無症状であることが多く、肺機能検査においても正常値を示す。

そして、症状が重症に至っていない限り、粉じん作業から離れると、一般に進展しないとされている。じん肺法における非粉じん作業への作業転換の努力義務(じん肺管理区分三)は、このことを前提とするものである。

なお、三郎は、喫煙歴の長いことを自認しているが、症状の進展には、気管支炎等の感染症のほか喫煙の影響は大きいといわれている。

炭鉱夫じん肺の場合には、前述のような特徴から、その発症率は一般には低く、発症に至る状況も緩慢で長期間を要するとされており、発症が認められても進行は遅く、エックス線写真像が一型進むにも平均二〇年位かかるといわれている。しかも、個人差も大きく、二〇年、三〇年と粉じん作業に従事していた者でも発症しない者も多い。

その結果、炭鉱夫じん肺の場合には、症状の発現が比較的老齢になってからの者も多いが、年をとると肺の弾性が低下するので、健常人でも肺機能の低下、障害が表面化する可能性があり、障害度を考える上では、加齢の影響も無視できない。

一般に、炭鉱夫じん肺は、合併症がなければ、予後は比較的良好であり、他のじん肺と同様に時が経過すると、労作時呼吸困難を生ずる傾向はたどるものの、その進行速度は緩徐であり、原告主張のような著しい進行性は一般にはなく、高齢者も多く長命であるといわれている。

(4) 現行のじん肺健康診断として、粉じん作業についての職歴の調査と胸部エックス線写真検査をまず実施するように定めている。

職歴に粉じん作業がある場合には、胸部エックス線写真に異常陰影が認められるか否かによって、じん肺健康診断の内容が異なり、胸部エックス線写真に異常陰影がみられなければ、それ以上の(肺機能等の)検査は行われない。

昭和三五年の旧法では、「大陰影の大きさが一側の肺野の二分の一を超える」ものを「健康管理区分管理四」と位置付けていたが、新法(現行法)では、「一側の肺野の三分の一を超える」ものを「じん肺管理区分管理四」として、その範囲が旧法に比べ広くなった。三郎の場合、エックス線写真影の大きさから、管理四とされているものであるが、前述のように、異常陰影の大きさが、即、肺機能障害の度合いと直結するものではない。

一般的にいえば、炭鉱夫じん肺の有所見者であっても、肺機能は良好であり、健常者と比べてほとんど異常が認められない場合が多い。また、増悪傾向をたどる場合も、一般的には、その進行速度は緩やかで、合併症等がなければ、高年齢になっても、日常生活がそのために不自由になるほどの肺機能障害には陥らない。

これは、炭鉱夫じん肺は、肺組織の多くは正常構造を保っているためであると考えられている。

なお、炭鉱夫じん肺の場合でも、活動性結核を伴っているようなときには、肺機能障害は急速に進行する場合があるが、三郎の場合は、このようなケースではない。従来は、高年齢になると急速に低下傾向をたどる者もあったが、最近では、じん肺健康管理の向上により、比較的良好に肺機能を保持できるようになっている。

(5) じん肺管理区分四の決定を受けた者には、日常生活に著しい支障のある者や日常生活に介護を要する者もある反面、通常人と同様の日常生活に支障のない者も、かなり含まれているのであって、管理区分四の者が、必ずしも直ちに休業治療を要することを意味するものではなく、就業しながらの治療や治療を要しない健康指導(適度な休養・運動や日常生活の指導)等で足りる場合も含まれるのである。

従来、「要療養」ということをそのまま「休業」、「安静」と受け止めた考え方であったが、現在では、患者の健康保持のためには、個々の患者に残存する機能の程度に応じた仕事を継続させるという発想に切り換えるべきものと考えられている。

(六) じん肺の進行性に関する反論

(1) 原告らは、じん肺が「進行性」、かつ、「不可逆性」の疾患であって、粉じん職場を離れても必然的に進行、悪化の一途をたどる旨主張しているが(形成されたじん肺結節が不可逆的なのは事実としても)、進行性に関しては、現在の医学常識に反する。昔は、じん肺中でも、特にけい肺に関しては、進行の早い急進じん肺もみられたが、近時は、このような急性なものはみられず、二〇年以上の粉じん歴でも、せいぜい管理区分二程度となっている。

炭鉱夫じん肺の場合には、粉じんを吸入して発症に至る場合も、その進行はけい肺の場合に比べて緩徐であり、粉じん歴三〇年でも発症しないことも多く、また、じん肺管理区分二のままで進行しない者やじん肺管理区分三に進行する場合にも、前述したようにエックス線写真像の型が一型進むのに二〇年以上も要するというのが近時の状況である。したがって、じん肺管理区分四の場合といえども、こうした基本に変わりはない。

(2) じん肺の症状の進行がみられるのは、風邪や肺炎など呼吸器の感染症や喫煙等が負荷となって悪化する場合が多いので、健康管理上これら関係疾病の早期治療及び禁煙が何よりも大切であり、そのことを離れて一般的に進行性というのは当たらない。

じん肺の症状といえども、適切な治療及び健康管理(リハビリテーションも含む。)によってかなり症状が軽減することも多いのである。咳、痰症状にネブライザーを利用した治療は有効であり、また、感染の予防と、その迅速かつ適切な治療によって、症状を軽度に抑えることができる。

そして、胸部エックス線を適時に撮り、細菌学的検査も続け、肺内感染は軽度のうちに比較的多量の抗生物質を用いて化学療法を行う。この際、起炎菌の薬物耐性を調べ、感受性のある薬品を使用する。難治とされてきた緑膿菌についても、有効な化学療法が行われ、治癒するようになったため、予後が良好となっている。また、結核症の合併には特に注意する必要があるが、最近では、炭鉱夫じん肺患者の肺結核罹患率は低く、かつ、罹患したとしても良好であると言われているが、その合併を発見した場合には、抗結核薬の投与により、最近では早期に治癒している。

更に、このような治癒の前提として、一般的な療法としての症状に応じた休養と運動療法、栄養の補給や禁煙の励行はいうまでもない。

このような適切な治療により、炭鉱夫じん肺は、予後を比較的良好に保つことができる疾病となっている。

6(一) 同9(一)について、一般論として使用者に健康保持義務があることは認めるが、その内容は、原告独自の主張であるので、争う。

(二) 同9(三)の主張は争う。

(三) 同9(四)の主張は争う。

(四)(1) 同9(五)(2)①第一段、第二段のうち、湿式削岩機を乾式として使用していたこと及びオーガーでかなりの量の粉じんが発生したことは否認する。沿層坑道掘進で実際に使用されていた穿孔機械はオーガーが大部分であるところ、これは、ら旋状ののみが回転するドリルであり、削り出した繰り粉はのみのら旋に沿って自然に外に押し出されるので、粉じんの発生は、打撃式削岩機と比べ、量的にはもちろん、質的にも違うといえるほど少ない。オーガーが現在においても乾式のみであるのは、そもそも湿式化を必要としないからである。

同第三段及び第四段の主張は争う。スプレーは、水を微細な水滴にして、より広い範囲の表面に撒く器具であって、仮にこのような散水を行ったとしても、発破の際に大量に発生する粉じん防止には何の効果もない。また、湿潤剤は、人体に対して毒性を有するものであるから、これを常用しないことを非難されるいわれはない。むしろ、被告住友石炭は、発破の込め物に水タンパーを使用し、シャワー発破を実施するなど、粉じん抑制のための万全の措置をとった。発破そのものの改良技術としても、ミリセコンド発破(建設現場で用いるデシセコンド発破よりも発じん量が少ない。)を使用した。また、岩粉の役割は、坑内のある場所で炭じん爆発やガス爆発が生じた場合に、その爆風が来ると瞬時に空中に舞い上がり、その場の炭じんと混合して炭じんの空気中における比率を薄めると共に、不燃性岩粉の存在により、その場の炭じんが爆発限界に達して誘爆するのを防ぐものであるから、通常の通気程度の風で空中に舞い上がったり、風に乗って坑道を浮遊するものではない(そのようなものでは、誘爆防止の役割を果たさない。)し、岩粉に散水すると、いざ爆風が来た場合でも空中に舞い上がらず、爆発防止の役目を果たさないのであり、岩粉に散水しなかったのも当然である。

(2) 同9(五)(2)②第一段の事実は否認する。

同第二段及び第三段の主張は争う。通気対策は、炭鉱での最重大災害である爆発を引き起こすメタンガスの排除と、炭じんの希釈、拡散、排出という観点から炭鉱では古くから計画的に実施され、奔別鉱業所でも、坑内全体については主要扇風機により毎分一八〇〇立方メートルの通気が、また、三郎が従事した掘進切羽については、坑道が行き止まりとなるため、特に坑道入口に局部扇風機、切羽まで風管を設置し、強制的に作業現場にまで空気を送り込むという方法によって、十分な通気が確保されていた。

原告らは、局部通気について、風管内の噴霧散水装置の挿入等の方法をとるべきであったと主張するが、炭鉱内でそのような特殊な風管を使用することなどは被告住友石炭に限らずありえないことであり、実用性に乏しい試作技術を引用しても無意味である。また、原告らは、掘進切羽における空気の通気が切羽において粉じんの発生を助長するかのようにいうが、風管から出てきた空気が切羽面に吹き付けるために粉じんが舞い上がるということは、その風速及び風管出口と切羽面の間隔からしてもあり得ないし、局部扇風機によって送られた空気は切羽面を洗い、切羽にある粉じんはこの空気の流れとともに押し出されて排出されるから、粉じんは減少するのである。

また、原告らは、坑内全体の通気について、坑内で通気のルートと人間の通り道が区別されておらず、沿層掘進切羽では風管により排出された粉じんが通気の流れに乗って坑内風下部分全域に及び、多くの坑内従業員の健康を犯すと主張するが、炭鉱内では、通気の大きな目的はガス(及び炭じん)の希釈・拡散・排出であるところ、もし、ガス(炭じん)を含有した排気を入気に混入させたら、爆発の危険を増大させることになるから、入気・排気の系統が厳に区分されているし、坑内従業員は入気系を通ることとされているから、原告ら主張のような事態はありえない。

(3) 同9(五)(2)③のうち、浮遊粉じん濃度の測定をしていなかったことは認めるが、主張は争う。

当時、浮遊粉じんの測定機器について確立したものがなく、器具そのものはもとより、測定者によってもばらつきがある有様であったし、その測定値と危険性との関係についての基準も確立していなかった。また、特に坑内における使用に耐える測定器が存在しなかったのである(炭則上、坑内での粉じん濃度の測定が義務付けられたのは、適切な機器が開発された後の平成三年一〇月である。)。坑外の一般事業場については、恕限度値が比較的早くから提唱されたにもかかわらず、坑内作業についてそのような基準値が最近まで定められていないのも、このような理由によるものである。

(4) 同9(五)(2)④第一段のうち、被告住友石炭が防じんマスクを支給していたことは認めるが、主張は争う。被告住友石炭は、その時代に入手しうる最良の防じんマスクを使用し、更に、その都度の具体的な品種選定に当たっては、その調査・研究・使用テストはもちろん、労使双方の協議で決定し、これを無償貸与してきた。原告らは、マスクが古くなると装着性が低下したというが、被告住友石炭では三か月に一回貸与しており、古くなる前に交換していたはずである。

同第二段の事実は否認する。

同第三段のうち、上がり発破が実施されていなかったことは認めるが、炭鉱では上がり発破が作業手順上不可能なのである。

同第四段の事実は否認する。

同第五段の事実は否認する。炭鉱内でこのような車風のような現象は厳禁されており、決して生じえない。

同第六段のうち、勤務形態が三交替制であったこと及びその番方の労働時間、一週間ごとに番方を交替したこと(ただし、この交替はあくまで原則である。)、掘進夫の賃金構成が固定給と出来高給であったこと(ただし、出来高払いが「ほとんど」なのではない。)は認めるが、その余の事実は否認する。沿層掘進夫の給与制度は、固定給と実作業量に応じた出来高給とを組み合わせたものであるが、後者の出来高給部分は、各職種の作業内容に応じて定められた標準作業量と、これに対する単価及び実作業量により算出されたものであるところ、これら計算基準となる各項目の決定は、原案は被告住友石炭作成でも、最終的には被告住友石炭と労働組合の協議によってされた。標準作業量は、賃金計算の一要素にすぎず、被告住友石炭は、掘進夫に一日何メートル掘れなどと指示していたわけではないから、これをノルマと呼ぶのは歪曲以外の何物でもない。また、坑内労働は、実働時間制をとる労働基準法の中にあって唯一の例外として、坑内時間制(拘束時間制)を採っているところ、入坑から現場到着の時間を控除すれば、正味の作業時間は約五時間にすぎないし、作業準備時間を考慮すると、発じん作業に従事する時間は、更にその半分にすぎないということになる。

(5) 同9(五)(2)⑤のうち、被告住友石炭が六か月に一回一般健康診断を実施したこと、防じんマスクの装着を指示したことは認めるが、その余の事実は否認する。被告住友石炭は、マスクの装着と手入れの励行、マスクの日常管理等、じん肺防止対策について、十二分な教育を行った。じん肺そのものについての教育も、入坑前の安全教育の中身として話されている。

(五) 同9(六)の主張は争う。

被告ら及び村上建設の間には、主観的にはもとより、客観的にも関連共同性など全く存在せず、単に三郎が複数の事業主のもとを転々と渡り歩いたにすぎない。

7(一) 同10(一)の主張は争う(詳しくは、請求の原因に対する認否及び反論5で述べたとおりである。)。

(二) 同10(二)の事実は知らない。

(三) 同10(三)(6)の事実は認めるが、その余の事実は知らない。主張は争う。

じん肺管理区分四の決定を受けたことが労働能力の喪失とは言い切れないことについては、請求の原因に対する認否及び反論5で述べた。

(被告三井鉱山)

1 請求の原因1の主張は、本訴の請求原因事実とは、直接関連のない事実や原告の独自の意見にすぎないので、認否の限りではない。

2(一) 同2(一)のうち、三郎が別紙(一)の経歴表記載のとおり昭和四六年一〇月から同年一二月まで被告三井鉱山と労働契約を締結し、芦別鉱業所で就労していたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(二) 同2(二)の事実は認める。

3(一) 同3(四)(1)第一段及び第二段の事実は否認し、主張は争う。三郎は、昭和四六年九月二三日、被告三井鉱山の試用員となり、同年一〇月七日、本採用となったものであって、試用員としては、五日間の研修の後、坑内各現場での教育を受け、本人の適性をよくみるため、いろいろな職種に従事させられていた。原告らは、三郎は入社後一貫して採炭作業に従事していたと主張しているが、本採用となった後、実際に坑内に入って労働したのは、わずか七四日にすぎないし、その作業内容も、ほとんどが、粉じん発生の少ない、材料運搬、仕繰、坑道清掃であった。ただ、休暇、病欠者などがでた場合の止むを得ない代番として、月に四、五回程度、右作業より多少は粉じんの多い、採炭や掘進現場での作業に従事することがあったにすぎない。

同第三段の事実は認める。

(二) 同3(四)(2)のうち、石灰を散布していたことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。石灰の散布は、間接的に粉じんの抑制にも寄与していたものである。

(三)(1) 同3(四)(3)①のうち、穿孔機械が乾式であったことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

(2) 同3(四)(3)②の事実は否認する。

(3) 同3(四)(3)③のうち、石炭積込み中に散水設備が作動し、水を噴霧したことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。なお、通気用のファンを設置していたことはあるが、大型ブロアーとは称していなかった。

4 同4の事実は知らない。

5 同5ないし8の主張は争う。

6(一) 同9(一)のうち、労働契約関係にある使用者が労働者に対し、労働契約上の信義則に基づき、労働者の生命、身体の安全を保持し、その侵害を未然に防止すべき義務を負っていることは、一般論としては認めるが、その余の主張は争う。

(二) 同9(三)のうち、昭和三五年に「じん肺法」が制定されたことは認めるが、その余の主張は争う。

(三) 同9(四)の主張は争う。

(四)(1) 同9(五)(3)①第一段のうち、穿孔機械にオーガーを用いたことは認めるが、粉じんの量が多いことは否認する。

同第二段のうち、炭壁に注水が実施されたことは認める。これは、粉じん発生の抑制に大いに効果があった。

同第三段のうち、発破の際の込め物に水タンパーが使用されたことは認める。これも、粉じん発生の抑制に大いに効果があった。

このほか、被告三井鉱山においては、採炭、掘進のための発破に際して噴霧器による散水を行い、石炭がトラフを落下するに際してもこれに散水を行った。

また、坑内の通気については、作業箇所に新鮮な空気が十分に届くような措置がされていた。

(2) 同9(五)(3)②のうち、堆積炭じんを測定していたことは認める。これは、測定すべき場所において、決められた方法により、四か月ごとあるいは六か月ごとに粉じんの測定を行い、良好な坑内環境の維持に努めてきたものである。

(3) 同9(五)(3)③第一段のうち、被告三井鉱山が防じんマスク(なお、サカエ式防じんマスクのほか、重松製DR―三五型防じんマスクが使用されていた。)を支給していたこと、その装着を指示したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同第二段のうち、被告三井鉱山で発破後退避が行われていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同第四段のうち、被告三井鉱山における勤務形態が一般的には原告ら主張のとおりであること、賃金の支払形態に、一部請負給が含まれていたこと、三郎が坑内勤務をする際、弁当を持参し、坑内で食事をしたことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。三郎が採炭作業に従事していたと仮定しても、三郎の一日の作業時間は八時間となっており、三郎が自認するとおり、これは、坑口に入ってから坑口を出るまでの時間である。これから、坑口から現場まで往復する間の時間合計二時間、昼の休憩時間及び発破時の退避時間を除くと、実際に作業している時間は、一日五時間ちょっとにすぎず、これが、休日や欠勤日をはさんで、間欠的に七四日間あったにすぎないのである。仮に多少の粉じんにばく露し、これを吸入したとしても、その量は微小なものであり、到底じん肺の発病と相当因果関係があるような量ではない。労働条件には、決して無理がなく、ノルマを課するというようなことは決してなかったし、残業も一時間程度にすぎなかった。

(4) 同9(五)(3)④第一段の事実は認める。

芦別鉱業所では、入社時のほか、年二回の一般健康診断を実施し、また、採炭、掘進作業員には、年一回じん肺検診を実施していた。三郎は、三か月で退職したため、入社時の検診を受けたにすぎない。

入社時の研修には、学科教育、基礎実技教育及び勤務に関する教育があったが、学科教育には、じん肺を含む健康管理に関する事項が含まれていたし、基礎実技教育には、切羽を選定したマスクの取扱いについての技能教育が含まれていたし、勤務に関する教育には、「防じんマスク貸与規定」及び被告三井鉱山と労働組合との間のじん肺協定に基づく「一般職社員災害補償及び扶助規程」(これらは、就業規則の付属規定である。)の配布と説明が含まれていた。また、労働組合からも、この会社との協定を集めて印刷したものが従業員に配布されていたのである。このほか、朝礼時には、被告三井鉱山の担当者が、マスクを常時付けるよう訓示していた。更に、芦別鉱業所には、当時炭鉱病院から廊下でつながった保険館という建物があり、この一階、二階は、入社応募者や従業員の定期健康診断に使用されていたが、この一、二階の間の階段の踊り場には、見ればぞっとするような「じん肺のホルマリン漬けの標本」が軽いものから順に重いものまで数個並べて置いてあり、その傍には説明がついていたのである。三郎は、この二階で、入社前、エックス線の撮影を受けているのであって、この標本を見ていないはずがない。

(五) 同(六)の主張は争う。

共同不法行為に関する学説は、百花繚乱の状態にある。この中で通説と目されているのは、共同不法行為が成立するためには、各自の行為がそれぞれ独立して不法行為の要件を備えていなければならず、かつ、行為者の間には関連共同性(ただし、行為の客観的共同で足り、共謀や共同の認識は必要ではない。)が必要であるとするものである。

しかし、共同不法行為は、自己の行為の結果だけでなく、他人の行為の結果についてまでも責任を負わせる制度であり、そのための要件が、関連共同性なのであるから、客観的関連共同性では不十分であり、主観的共同が必要であるというのが近時の有力説である(前田達明「民法Ⅴ(不法行為法)」一八〇頁以下、幾代通「不法行為」二一一頁、森島昭夫「不法行為法講義」一〇四頁等)。客観的共同説は、どのような場合が客観的共同に当たるのか明確な基準を示していないのであり、共謀などの主観的共同を必要としないという消極的機能を持つにすぎない(前田・前掲一七九頁)とすれば、要件論として無意味である。

客観的共同説といっても、共同行為者に自己の寄与を超えて賠償させるための要件が関連共同性であるから、関連共同性には「しぼり」をかけなければならないとされている(平井宣雄「共同不法行為に関する一考察」川島武宣還暦記念・民法学の現代的課題三〇一頁)。

以上の論を踏まえた上で、民法七一九条一項後段の規定について論ずると、要件、効果として学説上通説だとみられているのは、右規定は、共同行為者の行為と損害との間の因果関係を推定する規定と解する見解であり、要件としては、

イ 各行為者に故意、過失及び責任能力があること

ロ 数人が違法行為をなす危険のある行為について客観的共同関係にあること

ハ 共同行為者の中のある者が違法行為をしたことは確実であるが、それがだれであるか不明であること

が挙げられ(注釈民法(19)三二二頁以下)、効果については、各共同行為者の行為と損害の間の因果関係が推定されるとしている(能見善久「共同不法行為責任の基礎的考察(二)・法協九四巻八号一二九頁)。

このほか、

ニ 各共同行為者の行為は、その中の特定の者の単独行為だけで損害を発生させうるだけの危険性を有していること

ホ 加害者は、この複数者のうちの誰かであり、この複数者以外に疑いをかけることのできる者は一人もいない、という程度まで共同行為者の特定がされていること

も要件とされるべきである。そうでなければ、他人の行為による結果のすべてについて責任を負わせることになり、不合理だからである。

右のニについて更に敷えんすれば、民法七一九条一項後段所定の共同不法行為は、他人の違法行為による結果について、実際の加害者ではないのに、加害者不明の故をもって客観的共同関係にある危険のある行為について、結果責任を負わせるのであるから、被告三井鉱山が責任を負うのは、被告三井鉱山の行為だけで損害を発生させるだけの危険性を有する場合に限られる。この点は、原告が請求の原因9(六)で引用している東京地判平成二年三月二七日判時一三四二号一六頁も同旨である。

(1) 被告らの間に客観的な関連共同性が存在しない(ロの要件を欠く。)。

三郎が被告らに就労していた時期はそれぞれ異なり、連続しているわけでもなく、その就労の場所もそれぞれ異なり、就労の内容も、原告らの主張によれば、トンネル掘削と炭鉱の坑内労働であるが、炭鉱の坑内労働といっても、被告住友石炭と被告三井鉱山とでは、その労働内容が掘進と採炭というように異なっているのであり、被告らの間には、経済的、経営的にも、人的、物的にも、何らの関連性も存在しない。

このため、原告らは、被告三井鉱山と他の被告らの連帯責任を基礎付ける根拠として、被告三井鉱山が、三郎の職歴を十分に認識し、三郎の経験、技能を高く買って三郎を採用し、将来も、三郎が坑内労働の技能を有する者として、同様な職種をかかえる企業を転々として、生計を立ててゆくことを十分に認識していたという独自の見解を主張している。

しかし、この独自の見解を前提にしたところで、被告三井鉱山については、客観的関連共同性を認めることはできない。

すなわち、三郎が被告三井鉱山の芦別鉱業所に入社した昭和四六年当時は、既にエネルギー革命(石炭から石油へ)が起こった後で、炭鉱はスクラップアンドビルド政策の時代に入っており、芦別鉱業所はビルドの炭鉱に入っていたので、坑内外労働者が不足していたときであり、一方、スクラップとなり廃山となった炭鉱からは、職を失った者があふれ、芦別鉱業所では、身体が健康で何らの異常もなく、読み書き程度のことができれば、採用していた時代であった。

当時の採用は、芦別鉱業所の労務係の者が面接し、身体検査(エックス線直接撮影のほか、医師の診察、その他の諸検査)の結果、異常がなければ、原則としてそれでよかったのであり、三郎の場合、面接も極めて簡単なもので、被告住友石炭の奔別鉱業所で掘進をしていたことを聞いた程度で、履歴書すら徴しておらず、被告三井鉱山に入社する以前、どこでいかなる仕事をしていたかなど、全く関知していない。被告住友石炭にいたことはともかく、どの程度の期間働いていたのかも知らず、また、被告住友石炭の前にどこでどんな仕事をしていたのかに至っては、全く知らなかったのである。

また、三郎が入社後は、実際に坑内作業に従事したのは、わずか七四日にすぎないことは、前述のとおりである。

そして、三郎が退職する理由については、当時、被告三井鉱山では、退社の場合には、退職願に労働組合の印をもらい、これを労務係に提示することになっていたが、三郎は、労務係の者に対し、「長野で母親が農業をしているが、年老いたので、自分が帰って農業を継ぎたい。」と話していたのであり、被告三井鉱山の三郎の退職理由についての認識は、これに尽きている。三郎が、被告三井鉱山退職後も粉じん職場に就労することの認識など、あろうはずがないのである。なお、いったん石炭山などで掘進や採炭などの粉じん作業に従事した経験と技術を有する労働者は、生涯これらの職種において労働し、生計を立てていくものであるという原告らの主張は、何らの科学的根拠も事実上の根拠もない原告らの独断的偏見である。

(2) 三郎の被告三井鉱山における就労には、単独でじん肺に罹患するだけの危険性がない(ニの要件を欠く。)。

繰り返し強調していることであるが、三郎が三井鉱山に在籍中坑内労働に従事したのは、わずか七四日にすぎない。

ところが、炭鉱においては、三年以上坑内労働に従事しなければ、珪肺に罹患しないことは、古くからの医学上の知見である。

例えば、田中重男・山田正明・天野晴正の「某炭山の坑内粉塵と珪肺の発生」(熊本医学会雑誌三三巻三号所収〈書証番号略〉)において、「胸部X線写真上明瞭な珪肺結節像が認め得るに至る期間は、掘進夫および掘進の経験あるものでは概ね六年以上、仕繰、採炭等の直接夫では一五年以上、運搬、機械等の間接夫では二〇年以上である。」(九五頁)とし、「勤務年数との関係は掘進切羽では六年以上に著しい発生が認められ、また高度珪肺S(第三症度)も明らかに多く、採炭切羽では九年以上に少し宛認められ、一五年以上に多くなり、S2(第二症度)S3(第三症度)も少数あるが、採炭夫のみの職歴ではS2S3は一人もいない」(九八頁)としているし、田原康・松岡猪一郎・大庭正夫・越智実の「某石炭山における珪肺の実態について」(医学研究二八巻一三号所収〈書証番号略〉)において、「珪肺を発生する最短期間は三年七ケ月で、最長は三八年五ケ月であり、平均16.1年±5.471(標準偏差)である。大体炭鉱で七年間働けばけい肺になると言われているが…」(二九六頁)とされていることからも、以上のことは明らかである。

しかも、三郎は、自ら、被告三井鉱山では採炭作業のみに従事したと述べているのである。

7(一) 同10(一)の主張は争う。

(二) 同10(二)の事実は知らない。

(三) 同10(三)(6)の事実は認めるが、その余の主張は争う。特に、以下の点を強調しておく。

(1) 原告は、逸失利益について、昭和六〇年二月以降、六七歳に至るまで、毎年六三〇万円の逸失利益があったと主張しているが、五六歳当時の青木建設時代の年収がその後将来にわたり維持されるというのは過大な主張であり(定年後年収が減少するのは、我が国では顕著な事実である。)、賃金センサスによって計算するのが相当である。

これによると、全労働者産業計で五五歳ないし五九歳の労働者の年収は三八九万九二〇〇円、六〇歳ないし六四歳の労働者の年収は二九七万〇九〇〇円、六五歳以上の労働者の年収は二七〇万〇一〇〇円にすぎない。

(2) 原告は、慰謝料として三〇〇〇万円を請求し、三郎が管理区分四の重篤なじん肺患者であり、じん肺は進行性、不可逆性、全身性の疾病であると主張している。

しかし、じん肺法にいう管理区分とは、都道府県労働基準局長が、事業者が行う健康管理措置のために認定するものであり、また、労災保険法にいう後遺症障害等級を表すものではなく、ましてやこれが民法上の損害の程度を表す基準となるものではない。

管理区分は、あくまでも、事業者が行うじん肺の予防と進展防止のために健康管理上の措置を定めるものにすぎない。

管理区分四の者についても、じん肺の管理区分がじん肺の予防と進展防止を目的とする健康管理上の区分であることから、

イ 通常人と同様の日常生活に支障のない者

ロ 日常生活に若干の支障のある者

ハ 日常生活に相当の支障のある者

ニ 日常生活に著しい支障のある者

ホ 日常生活に介護を要する者

等その範囲は広範であり、管理区分四の者は粉じん作業に従事させることができなくなるが、軽作業に就労可能な場合も近年では多く、「療養」とは、「必ずしも休業を伴うものだけではなく、就業しながらの治療も含まれるものであり、これらの選択は、医師の判断に基づいて行われるべきものであること」(昭和五三・四・二八基発第二五〇号通達)とされており、それぞれのじん肺症の程度及び症状に従って、医師の意見のもとに適正に行われるべきものとされている。

最近のじん肺患者の高年齢化に対して肺機能を保持するためには適切な仕事や運動が必要であり、低肺機能者であるからといって、運動等を行わずに安静のままでは、ますます肺機能の減退を招く弊害が生ずることが指摘されている。

すなわち、近時は、従来の「要療養」ということをそのまま一般的に「休業」、「安静」と受け止めてきた医療上の考え方は問題であり、患者の健康保持のためには、個々の患者に残存する肺機能の程度に応じた仕事を継続させるという発想に切り換えることが望ましいと考えられてきている。例えば、能力に応じた机上作業、監視業務その他筋肉労作の少ない仕事等を続けさせる必要があると指摘されている。それにより、家庭生活を維持し続けることができるし、社会的に参画意識を持ち続けることができるので、この方向での積極的な作業療法や就労といったリハビリテーションの考え方に立った治療を行うべきものとされており、それが最近では、次第に実施されるようになっている。

そして、たとえ、管理区分四の場合でも、一般には自宅において軽作業あるいは能力に応じた就労を行いながら、隔週一回程度の医学的な観察と対症療法を行い、心身の変化に応じて随時必要時間の休業療養あるいは症状や合併症罹患の状況等により一時的に入院治療等の措置をとりながら、長期的に健康保持を図りうるものとされている。

更に、注目すべきは、労働省安全衛生部労働衛生課編の「じん肺診査ハンドブック」でも、炭鉱夫じん肺は、じん肺の悪性度分類(高度、中等度、軽度)の中では軽度とされていることである。

(被告青木建設)

1 請求の原因1の主張は、本訴の請求原因事実とはなんらのかかわりのない独自の見解でしかない。およそ認否のかぎりではないが、強いていえば、全面的に争うとしかいいようがない。

2(一) 同2(一)のうち、三郎が昭和六〇年二月一四日付じん肺管理区分決定通知書をもってじん肺管理区分において管理四である者とされたことは認めるが、被告青木建設との間で労働契約を締結し、あるいは「使用従属の労働関係」に入ったことは否認する。また、別紙(一)の経歴表の記載のうち、被告青木建設が別紙(三)の表Aのとおりずい道工事を施工したこと、村田建設が被告青木建設の下請会社としてこれらの工事の施工に当たったこと、三郎が村田建設の現場代理人としてこれらの施工にかかわっていたことは認めるが、その余の事実は知らない。なお、三郎が村田建設の現場代理人についていた期間は、別紙(三)の表Bの配置期間の欄の記載のとおりである。

(二) 同2(二)のうち、被告青木建設が建設業、建築の設計、工事監理に関する事業を目的とし、昭和二二年五月に設立された株式会社で、その資本金額が昭和六三年七月末日現在四一八億二〇三七万六三一八円であることは認める。

3(一) 同3(五)(1)第一段のうち、三郎が村田建設の現場代理人として施工にかかわっていた期間が昭和四七年一月から昭和五九年七月までであること(ただし、断続的である。別紙(三)表A、B参照)、三郎と直接の労働契約を締結したのが村田建設であることは認めるが、三郎が被告青木建設に勤務したことは否認する。

同第二段のうち、現場代理人(原告のいう「職長」)の職務内容が各作業所において人員配置、作業指示、資材機械の注文、現場への設置、元請会社である被告青木建設との打合せなどを行うことであったことは認めるが、三郎が一日三、四時間入坑していたことは否認する。

同第三段及び第四段のシールド工法の内容については、後に述べる。

同第五段のうち、三郎が一日三、四時間入坑していたことは否認する。

(二)(1) 同3(五)(2)①のうち、大量の粉じんが発生したとする点は否認する。

(2) 同3(五)(2)④のうち、エアーホースや送風管による換気が不十分だったとする点は否認する。

(3) 同3(五)(2)⑤第二段のうち、散水の効果が不十分だったとする点は否認する。

(三) 同3(五)(3)②の事実は否認する。

以下、シールド工法の内容について詳述し、これが採用されていた別紙(三)の表Bの2及び5から9までの各工事現場がいずれも非粉じん作業現場、すなわち、じん肺法にいう労働者が「常時粉じん作業に従事する」作業環境ではないことを明らかにする。

(1) 別紙(三)の表Bの2及び5から9までの六か所の工事現場(以下「シールド工法現場」という。)は、いずれもトンネル工事の施工方法としてシールド工法を採用したことから、トンネル工事の当該掘削作業に従事する坑夫、職長等の労働者が土砂粉、コンクリート粉などの粉じんにばく露されることがない労働環境を享有する作業現場であった。

シールド工法は、トンネル掘削工法の一種で、もとは盾、遮蔽物、防禦物の意味をもつシールド(Shield)からきているとおり、作業現場の切羽などの安定と周辺地山の崩壊を積極的に防護する鋼製の装置をシールド機として掘削を推進する工法であるが、一八一八年にイギリスにおいて考案され、テームズ河底トンネル工事に初めて採用され、以来百六〇余年の歴史をもっている工法である。

我が国では、大正六年(一九一七年)に奥羽本線折渡トンネル工事で、次いで、昭和二年(一九二七年)に東海道線丹那トンネル工事で使用されたことがあるが、昭和一四年(一九三八年)に関門トンネル工事において径七メートルのシールド機が登場し、幾多の困難を克服して工事を完成させ、ようやく我が国においても本格的にシールド工法の技術が確立されるに至った。戦後昭和三五年(一九六〇年)、名古屋市高速地下鉄開発における覚王山トンネル工事に採用されてから、いよいよシールド工法に寄せる需要の増大に伴い、その研究・開発もまた加速度的に進むと共に、各種の土木工事においてシールド工法が採用され、ついに大口径の幹線トンネル工事はシールド工法による施工が大部分を占めるまでに発展した。

しかも、従来の山岳トンネル工法で施工できなかった地層部の道路、鉄道路をはじめ、都市部での地下鉄路、上水道・下水道管路、電気・電話・ガス管路の築造に最適な工法としてますます改善・開発されるに従い、シールド工法の今後における施工需要は、いよいよ増大することが展望される最近である。

(2) トンネル工法の適応地質の地山条件において、一般山岳トンネル工法が岩石であったり、崩壊性のない堅い土質での施工法であるのに対して、シールド工法は、軟弱地盤、崩壊しやすい土質に適応する施工法であり、したがって、沖積層、洪積層における粘土・シルト・砂・砂礫層等が適応土質として挙げられ、地形・地質と地下水との関係において一般に沖積層で水位が浅く水量が豊富であり、洪積層で水位が深いが、水量は相当の量であるとされることから、シールド工法による掘削土砂等は湿潤な状態にあり、粉じんが飛散することがない。シールド工事現場が非粉じん作業現場であるゆえんである。

(3) 硬岩以外の地山を対象としたトンネル構築法であるシールド工法は、我が国においては、沖積層地山の軟弱な崩壊しやすい地層の中で掘削を行わなければならない現場が多いので、いかに安全かつ迅速な掘削を行うかという命題に従って、地山条件の違いにより地質に応じた掘削形態がとられているが、その様式によりシールド工法を分類すると、全面開放型、部分開放型(ブラインド式)、密閉型の三型式に分けられ、更に、全面開放型は、手掘り式(人力)、半機械掘り式(ショベル、ローター)、機械掘り式(カッター回転)の三種類に、密閉型は、土圧式(カッター回転)、泥水加圧式(カッター回転)の二種類に分類される(別紙(四)の「シールド工法の概要及び様式」参照。)。シールド工法現場の所属事業場別にシールド工法の型式・種類をみるに、別紙(三)の表Bの2、6及び9は、全面開放型の半機械掘り式シールド工法であり、同Bの5は全面開放型の手掘り式シールド工法であり、同Bの7は部分開放型のブラインド式シールド工法であり、同Bの8は密閉加圧式シールド工法である。

(4) シールド工事の一種の付帯作業として、掘削土砂等の坑内外での搬送作業及び後向き作業がある。しかし、積込み、積卸しの掘削土砂等は湿潤なものであるから、粉じんとなって飛散することがない。

また、シールド工事の後向きにおける工程として、立杭掘削、一次覆工及び二次覆工等の作業があるが、いずれも散発的、かつ、短時間の仕事であり、じん肺法にいうところの常時性がない。

したがって、シールド工事(掘進作業のほか、坑内整備作業をも含む。)における粉じん濃度測定値は、極めて微量である。測定現場の地質にもよるが、砂礫、シルト、粘性土と砂質土の互層において、粉じん濃度は一立方メートル当たり0.02ミリグラムないし0.06ミリグラムである。

ちなみに、右の測定値の場合において、管理目標値が一立方メートル当たり5.0ミリグラムであることからして、そのシールド工事に従事する当該労働者につき、医学上、衛生工学上客観的に判断して、じん肺に罹患するおそれはないというべきである。

4(一) 同4(一)の事実は知らない。

(二) 同4(二)第二段のうち、三郎が昭和五六年一月一三日及び同年八月二五日に実施されたエックス線検査(間接撮影)の結果、要直接撮影と診断されたことは認めるが、その余の事実は知らない。

同第三段のうち、三郎が昭和五八年一月一七日に実施されたエックス線検査(直接撮影)の結果、要注意と診断されたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(三) 同4(三)のうち、三郎が昭和五九年七月に被告青木建設を退職したことは否認し、その余の事実は知らない。

(四) 同4(四)の事実は知らない。

(五) 同4(五)のうち、三郎が昭和六〇年二月一四日、じん肺管理区分四の決定通知を受けたことは認めるが、その余の事実は知らない。

5 同5ないし8の主張は争う。

6(一) 同9(一)の主張は争う。

(二) 同9(二)の主張は争う。

(1) 原告が被告青木建設が三郎に対し安全配慮義務を負う根拠としてあげる事実について

① 同9(二)(1)の事実は否認する。被告青木建設においては、一事業場(作業所)においてその数六ないし九ほどの各下請工事部門ごとに自由競争原理のもとで下請負業者が参入し、それぞれその部門の施工を完成することとしている。

② 同9(二)(2)の事実は認めるが、主張は争う。村田建設が協力会の一員であることが、被告青木建設と、村田建設の現場代理人たる作業所長の三郎との間に、使用従属関係が存在するという判断の基準ないし根拠とはなりえない。

③ 同9(二)(3)のうち、被告青木建設が村田建設に対して施工に要する機械、器具及び工具類の供与、木材、鉄パイプ、セメント等の資材の供給をしたこと(なお、被告青木建設は、その他、換気装置等の設備、これら機械類の保守点検も行っていた。)、被告青木建設が村田建設に事務所及び宿舎を提供(使用貸借)し、その保安責任者が三郎であることは認めるが、事務所及び宿舎について村田建設の占有権限が十分に尊重されておらず、対外的な管理責任が被告青木建設にあったこと、三郎に対する指導、監督責任が被告青木建設にあったことは否認する。

④ 同9(二)(4)のうち、三郎が「職長」という職名の仕事に従事したことは否認する。主張は争う。

村田建設の現場作業所の組織は、所長の下に作業部門では現場作業員として「世話役」という作業中の労働者を直接指導又は監督する者一名、その下に、「一方世話役」、「二方世話役」各一名がいて、それぞれ五名ないし六名の作業員をもって作業班が編成される。そして、事務部門として事務担当(所長が兼務することもある。)及び炊事婦各一名が配置される。したがって、トンネル工事の現場作業は、世話役以下の作業班がこれに従事し、その指揮監督の命令系統は右組織構成にみるとおりである。

三郎の職務は、右に述べたとおりであって、村田建設の作業所の所長として、その配下にある一三名ないし一五名を指揮監督して当該作業所における村田建設の下請負契約に係る業務を遂行すべき職責のほか、元請負会社である被告青木建設との間においては、村田建設の現場代理人として、被告村田建設とその事業場における工事全体の円滑なる進捗を図るため、当該工事に参入している下請負業者全員(八社ないし一〇社)の協議協力関係の維持強化に絶えず努めるべき職責を負うことが明らかである。したがって、トンネル工事の現場作業に従事することは、三郎の職務に属さない。

⑤ 同9(二)(5)第一段の事実は認める。

同第二段のうち、じん肺教育が不十分だったという点は否認する。主張は争う。

まず、安全教育についていうと、労働安全衛生法(昭和四七年法律五七号)上の安全衛生管理体制として、三郎が村田建設の現場代理人として業務に従事していた各事業場(現場作業所)ごとに、元請負会社被告青木建設から総括安全衛生責任者(同法一五条)が、また、下請負業者である村田建設から安全衛生責任者(同法一六条)が配置されているところ、後者の安全衛生責任者として、村田建設は三郎を選任した。そして、同法のもとにおいては、労働者の災害を未然に防止するための措置の一環として、村田建設が行う労働者の安全衛生のための教育に対する指導及び援助を行うべきことが、被告青木建設に課せられている(同法三〇条一項四号)。そこで、被告青木建設は、下請負業者の労働者教育の指導及び援助として、適時適所に労働者教育の垂範を実施することに努めた。村田建設の下請工事の施工に係る労働者が、被告青木建設の実施する安全衛生教育を受ける機会が多かったことはいうまでもない。被告青木建設の行う右教育実施は、同法の右規定に基づく義務履行にほかならないことに徴して、原告ら主張の使用従属関係とはなんらかかわりあいのないものである。

また、作業所の巡視についていうと、三郎が村田建設の現場代理人として業務に従事していた各事業場(作業所)には、被告青木建設の業務担当社員が五名ないし一〇名ほど配置されるが、役職名でいうと、所長、工事主任、事務担当、工事係等の編成となっていて、安全衛生管理体制としてその機能を十全に果たすために、労働安全衛生法上の総括安全責任者(所長である。)、その代理者及び安全担当者(工事主任である。)以下全員が、当該事業場における労働者の危険及び健康障害を防止するための措置の立案、計画及び実施に日夜これ努めている。すなわち、本件工事の各下請負業者の作業間の連絡及び調整を密に行うこと、そのためにも各作業場所の巡視を適時に行うことについて(同法三〇条一項三号及び四号参照)、最もその精励が要求されるのはもとより、当該作業場所における各種作業機械器具類及び整備の保守点検のために工事係が常駐して行うものとする作業状況の随時適切なる報告が期待されているのである。このように、法の要求する安全衛生管理体制の措置・機能として、被告青木建設の各事業場における業務担当組織が展開する右作業間の連絡・調整、作業場所の巡視、工事係の常駐などの諸々の活動を正当に評価することなくして、これを目して、被告青木建設の右組織による「作業工程の管理、指揮命令、指図、現場監督など」とみるのは、いかにも的外れの管見というよりほかはない。

⑥ 同9(二)(6)の事実は概ね認めるが、主張は争う。

三郎の従事した業務で特定のものは、当該業務に係る免許及びその他の資格の取得者並びに技能講習の終了者でなければ、当該業務につかせてはならない。このことは、いずれも村田建設の就業規則制限事項として労働安全衛生法の定めるところである(同法六一、六二条及び七六条。)。

そこで、右就業規則制限規定に関する村田建設の遵守いかんについて利害関係を有する被告青木建設又は協力会が、技能講習会の派遣、指導及び特別教育等を実施することは、いささかもこれを異とするに足りない。かえって、被告青木建設が、法にいう指定教育機関たるべき可能性が法的に担保されていることに留意すべきである(同法七七条)。

それにしても、被告青木建設及び協力会による右実施をもって、原告ら主張の使用従属関係の存在を根拠付けるに由ないものというべきである。

⑦ 同9(二)(7)の事実は概ね認めるが、主張は争う。

三郎の従事していた工事に関しては、労働基準法八七条一項の規定により、元請負会社である被告青木建設が災害補償義務者たる使用者とみなされているが、これは、労働者災害扶助法の規定を踏襲したものである(同法三条。なお、労働保険の保険料の徴収等に関する法律八条参照)。

すなわち、労働基準法八条三号所定の建設事業で数次の請負によって行われるものの場合、労災補償については、当該元請負人を使用者とみなして災害補償義務者とする規定であるが、これは、下請負人で資力が乏しく、したがって、災害補償能力が十分でない場合において、その労働契約関係が使用者たる下請負人と労働者との間に存することにとらわれることなく、労働者保護の見地から、資力のある元請負人をもって使用者とみなして災害補償義務者とする方がより妥当であるとする合目的的規定にほかならない。

したがって、資力のある下請負人については、あえて元請負人のみを使用者とみなして取り扱わなければならない理由は乏しく、かえって、このような場合には、労働契約上使用者の地位にある下請負人に災害補償義務を課する方が災害防止の点からみても合理的であるので、同条二項の規定により、元請負人が下請負人に補償を引き受けさせることができることとした。

すなわち、労働基準法八七条の規定の適用上、使用者性は、元請負人及び下請負人につき資力十分な労災補償能力の有無を問うにある。元請負人と労働者との間に使用従属関係が存在するから元請負人を使用者とみなすというのではないことを、明確に理解すべきである。

⑧ 同9(二)(8)の事実は概ね認めるが、主張は争う。

建設業において、その事業が数次の請負契約によって行われるときは、数次の下請負業者の労働者に対する賃金支払いについて、労働基準法二四条の掲げる賃金の直接・全額支払いの原則の順守履行の要請が特に大きいものと考えられるのが一般的である(なお、建設業法二四条の六参照)。被告青木建設の設置・運営に係る協力会の目的事項に、下請負業者の資質向上がうたわれていることからもうかがわれるように、下請負業者の労働者に対する賃金支払状況いかんが元請負業者に及ぼす影響ないし利害関係は大きい。

そこで、三郎が従事していた工事に関する元請負会社である被告青木建設も、各下請負業者との請負契約の締結に際し、当該下請負業者の労働者に対する賃金支払いについては、その都度支払状況を報告するものとしているが、右取決めが労働者保護の理念に照らして合理的なものであることはいうまでもない。もちろん、被告青木建設と村田建設との間においてもその例外ではない。したがって、右取決めの必要性及び合理性を肯定する限り、村田建設の被告青木建設に対する右取決めの履行をとらえて、原告主張の使用従属関係の根拠とすることは、僻目もはなはだしいといわなければならない。

(2) 三郎の職務範囲について

① 三郎は、村田建設の現場作業所において、その作業所の所長という職に就き、被告青木建設に対する関係においては、村田建設の現場代理人の地位にあって当該作業所に常駐する者であった。すなわち、村田建設の「所長」としてその職務を担当する者であった。原告ら主張の「職長」という職名の仕事に従事したことはない。

② 村田建設の現場作業所の組織及び三郎の職務は、右(1)④で述べたとおりであるところ、三郎の右職務の執行過程において、三郎に対し、指揮監督を行う権限は、その使用者たる村田建設にあるといわなければならない。元請負会社である被告青木建設が、その下請負契約に係る施工につき下請負業者たる村田建設に対し必要に応じて協議を求める場合は格別、三郎に対しては、その場合においても、三郎の右職務の執行について何ら指揮監督の権限がないことはいうまでもない。すなわち、被告青木建設と村田建設の現場代理人たる三郎の間においては、いわゆる使用従属関係が存在しないからである。

(3) 結論―安全配慮義務違反の基礎となる法律関係の不存在

原告らの被告青木建設に対する請求は、その法的構成が債務不履行責任(民法四一五条)及び民法上の通常の不法行為(同法七〇九条)のいずれの場合であるとを問わず、いわゆる安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求として構成されている点で共通である(ただ、後者の場合において、安全配慮義務違反が通常の義務違反として問われるだけである。)。

まず、三郎と被告青木建設との間に形式的に雇用契約が存在しないことは当事者間に争いがなく、また、実質的に労働契約と目するべきものも存在しないことも明らかである。

そこで、原告らは、「使用従属の法律関係」なる概念を掲げ、これを学説上のいわゆる「使用従属関係」と等置して、原告らと被告青木建設との間に使用従属関係が存在するとしきりに主張する。

学説が一般に使用従属関係の存在を挙げて論じていることは、広く知られている。その内容は必ずしも同一ではないが、ただ、支配的見解は、労働組合法上の「労働者」ないし「使用者」を認識し、判断するに当たって、使用従属関係の存在が、その実質的なメルクマールであるとしている。

ところで、原告らが主張するように、三郎と被告青木建設との間に、使用従属関係が存在するといえるか。以下詳述するとおり、「否」である。

① 法的従属性の不存在

法的従属性、すなわち、三郎の労働力の処分(労務遂行)につき、被告青木建設の指揮命令ないし監督に服従すべき関係があるとはいえない。三郎は、村田建設の現場代理人たる労働者として、その労働力の処分につき、指揮命令ないし支配監督をする権限は村田建設にある。

したがって、元請負会社である被告青木建設と下請負会社である村田建設との力関係の下においても、被告青木建設と三郎との間に使用者対労働者の個別的労働関係が存在しない以上、その間に法的従属性からみた使用従属関係が存在しないことはいうまでもない。

② 経済的従属性の不存在

経済的従属性、すなわち、社会経済的弱者として使用者による労働条件の一方的決定を受容せざるを得ない立場にあるかどうかをみるに、村田建設と三郎との間の雇用契約に基づいて使用者対労働者の個別的労働契約関係が存在し、労務提供の対価として、村田建設が三郎に対して月額四五万円の報酬を支払っていたのであるから、経済的従属性が、村田建設と三郎との間に存在することは明白である。

これに対して、元請負会社である被告青木建設と三郎との間において、三郎が被告青木建設に対して労務を提供したり、被告青木建設が、三郎に対して、三郎の提供に係る労務の対価として、報酬を支払ったりした事実はない。したがって、経済的従属性からみた使用従属関係が三郎、被告青木建設間に存在しないことはいうまでもない。

右に述べたように、原告ら主張のいわゆる使用従属関係を、経済的従属性及びこれを基礎として生ずる法的(人的)従属性の二つの不可分的結合として理解する限り、原告らの主張する使用従属関係は、三郎、被告青木建設間に存在しないと判断すべきである。

③ 重畳的使用従属関係の不存在

三郎は、村田建設と労働契約を締結し、昭和四七年一月から昭和五九年七月までの間、元請負会社たる被告青木建設の事業場である中信平作業所ほか八作業所において、下請負会社村田建設の現場代理人ないし職長であったのであるから、右労働契約に基づき、村田建設と三郎との間に、使用従属の法律関係が存在したことは明らかである。

原告らは、一方で、右の法律関係と同一機会・同一場所において、被告青木建設と三郎との間においても、使用従属の法律関係が存在することを主張するものであるから、使用従属関係が重畳的に存在することを主張するものである。

しかし、三郎と被告青木建設との間に、法的及び経済的従属性が存在しないのであるから、使用従属関係が重畳的に成立する余地はない。

ただ、被告青木建設と村田建設との間の元請負会社対下請負会社の関係の下において、中信平ほか八作業所の各工事遂行に関し、被告青木建設が村田建設を指導して各工事を完成させることは、各工事の遂行に係る請負契約上の債権者である被告青木建設の債務者である村田建設に対する当然の権限事項にほかならない(建設業法二四条の六の規定は、このような指導を元請負会社の義務として明文化したものである。)。したがって、被告青木建設の村田建設に対する右指導をもって、使用従属関係における法的(人的)従属性、すなわち、個別的労働関係における労働力の処分に係る指揮命令ないし支配監督と同視するのは、失当も甚だしい。

(三) 同9(三)の主張は争う。

(四) 同9(四)の主張は争う。

(五)(1) 同9(五)(4)①のうち、粉じんが大量に発生したという点は否認する。

(2) 同9(五)(4)②のうち、換気が不十分であったとの点は否認する。

(3) 同9(五)(4)⑤のうち、じん肺教育がなかったとの点は否認する。

(六) 同9(六)の主張は争う。

別紙(一)の経歴表の工事名欄に掲げる一八の工事がいずれも粉じん作業を伴うものであったとしても、各工事ごとに、その就労期間(工期)及び就労場所(作業所)を異別にする限り、作業就労による粉じんばく露もまた一八の工事ごとにそれぞれ独自のものであって、原告ら主張の「一体不可分の粉じんばく露」は、想像の上でも存在しない。原告ら主張の共同不法行為が成立するためには、被告ら及び村上建設の事業者五社が、特定の工事、すなわち、同一の工期及び作業所の工事において、粉じんにばく露される作業に三郎を就労させた行為の共同が存在しなければならないところ、そのような行為の共同は、もとより存在しない。

すなわち、民法七一九条所定の要件である関連共同性は、主観的にも客観的にも存在しない。

7 同10は、10(二)(6)を除き、争う。同10(二)(6)は認める。

三  抗弁

1  (被告ら全員) 損益相殺

(一) 三郎は、じん肺罹患という、本件損害賠償請求の請求の原因と同一の原因によって、次の金額を受領しているから、これらの額は、損害額から控除されるべきである。

ア 昭和六二年九月から昭和六三年一二月までの傷病補償年金三八〇万二九五七円及び特別年金額の合計二五三万九五四一円

イ 傷病特別支給金一〇〇万円

ウ 昭和六〇年二月六日から昭和六二年八月三一日までの休業補償給付金一一〇八万四七一二円

エ 平成元年一月から平成三年三月までの傷病補償年金一一九八万三三五四円

(注) 調査嘱託に対する平成三年四月一〇日付の横浜西労働基準監督署長の回答書によれば、この時期の実支給額は、八七四万七八四九円(除特別年金一七〇万三二七五円)であるが、三郎は、昭和三年一二月二三日生れで昭和六三年一二月二三日に満六〇歳に達し、平成元年一月から厚生年金保険法による障害年金をも受領しているものと考えられる。その場合、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)一八条、別表第一、同法施行令二条により、労災保険法による傷病補償年金が減額支給となるが、減額率は0.73が適用されるので、実支給額をこの減額率で割って給付金額を算出した。

右の数字は、正確ではない可能性もあるが、社会保険業務センター業務部業務管理課長に対する調査嘱託(調査嘱託を求める事項・三郎が厚生年金保険法により給付を受けた金員の明細―受給年月日、受給金額、給付の種類)について、照会先から三郎本人の同意があれば回答する旨の回答を得ていたところ、三郎が、平成三年六月一〇日の本件口頭弁論期日で、同意を拒否したという経緯があり、訴訟上の信義則及び条理により、原告らは、これと異なる数字を主張できないというべきである。

(二) 右(一)は、平成三年三月までの損益相殺の対象となる金員であるが、平成三年四月一日以降もこれと同様な損益相殺の対象となる金員が口頭弁論終結時まで発生する

労災の年金額については、平成三年八月一日から、平成三年七月二五日労働省告示四七号によってスライドにより増額となるので、損益相殺の対象となる毎月分の給付額は、増額となって、基礎給付日額の算定に用いる率は一九パーセント増額となり、したがって、損益相殺の対象となる毎月の金員も、従来より増加する。

2  (被告前田建設、被告三井鉱山及び被告住友石炭) 過失相殺

(一) 被告前田建設、被告三井鉱山

三郎がじん肺に罹患するについては、三郎について重大な過失がある。

三郎は、昭和四六年、被告三井鉱山芦別鉱業所に就労し、じん肺予防のためにマスクを着用すること、その他粉じん予防措置についての教育を受けている。

三郎は、昭和四七年一月以降、被告青木建設の工事現場において職長としてその配下の坑夫のため、じん肺教育をし、注水削孔、散水による発じん防止、マスクの使用による吸じん防止の指導をする立場にありながら、そのような指導をしなかったことはもちろん、自らについても、じん肺防止の措置をとらなかった。

三郎が職長となった後、自らじん肺予防のため粉じんの吸入防止に努めていたならば、三郎は、平常の生活に支障を来すじん肺症にはかかっていなかったであろう。三郎が右自己責任を果たさなかった行為は、じん肺罹患についての三郎の過失であり、三郎の過失割合は九割をもって相当とする。

(二) 被告住友石炭

三郎は、三一歳又は三二歳のころから煙草を吸い出し、五一歳になるまで、一日平均一五本ないし一六本、多いときで二〇本位吸っていたというのであるから、その行為が原告自身のじん肺症状の悪化に大きく影響しているのは確実であり、相当割合で過失相殺されるべきである。

3  (被告前田建設) 債務不履行(安全配慮義務違反)による損害賠償請求権の消滅時効による消滅

(一) 三郎が、被告前田建設を退職し、その粉じん現場を離れた昭和二八年二月末日(以下「粉じん作業現場離脱時」という。)から起算して、昭和三三年三月一日には五年が経過した。被告前田建設は、平成三年三月一一日の本件口頭弁論期日において、右時効を援用する旨の意思表示をした(主位的主張)。

粉じん作業現場離脱時から起算して、昭和三八年三月一日には一〇年が経過した。被告前田建設は、平成元年九月一一日の本件口頭弁論期日において、右時効を援用する旨の意思表示をした(予備的主張)。

粉じん作業現場離脱時から起算して、昭和四八年三月一日に二〇年が経過した。被告前田建設は、平成四年一二月二一日の本件口頭弁論期日において、右時効(民法七二四条後段の規定の類推適用によるもの)を援用する旨の意思表示をした(予備的主張)。

レントゲン撮影の結果、三郎の胸に陰影が認められ、三郎のじん肺への罹患が客観的に明らかになった昭和五五年五月末日から起算して、昭和六〇年五月末日に五年が経過した。被告前田建設は、平成三年三月一一日の本件口頭弁論期日において、右時効を援用する旨の意思表示をした(予備的主張)。

(二) 消滅時効の起算点を一次的に粉じん作業現場離脱時と主張する理由は、以下のとおりである。

(1) 債務不履行に基づく損害賠償請求権は、本来の債権と同一性を有している(我妻栄・新訂債権総論[民法講義Ⅳ]一〇一頁、最判昭和三五年一一月一日民集一四巻一三号二七八一頁)。

したがって、仮に被告前田建設に安全配慮義務違反があったとしてもかかる債務不履行に基づく損害賠償請求権は、本来の債権である安全配慮義務の履行を請求する権利の内容が変更されたに止まり、その債権の同一性に変わりがないため、その損害賠償請求権の消滅時効も、本来の債権である安全配慮義務の履行を請求する権利を行使しうるときから進行を始め、時効期間の経過により消滅するものというべきである。

(2) 本件の安全配慮義務については、各粉じん作業現場ごとに考察すべきところ、三郎は被告前田建設の安全配慮義務に対応する安全配慮義務履行請求権を被告前田建設の粉じん作業現場離脱以前において有し、かつ、行使しうる。したがって、遅くとも、三郎において、被告前田建設の粉じん作業現場における具体的安全配慮義務の履行を請求する余地のなくなった、被告前田建設の粉じん作業現場離脱時から起算して、時効期間(商事による五年又は民事による一〇年)が経過することによって、当粉じん作業現場における安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権は時効により消滅するものである(東京高判昭和五八年二月二四日判時一〇七三号七九頁、星野雅紀「安全配慮義務と消滅時効」判タ四九五号二五頁)。

(3) 長崎地裁佐世保支部判昭和六〇年三月二五日判時一一五二号四四頁は、退職時を安全配慮義務の消滅時効の起算点とすると、「退職時から時効期間たる一〇年以上経過したるのちに発症したときは、損害賠償請求権の行使の機会は全く失われることになる。」として、じん肺についての最も重い行政決定の日又はその通知書の日付のいずれか遅い日をもって時効の起算点と解している。また、損害が客観的に現実化しこれを知ったときから時効が進行するという見解もある。

しかし、このような見解は、不法行為に基づく損害賠償との均衡を失する(前記東京高判昭和五八年二月二四日)上、二〇年の除斥期間の経過により不法行為に基づく損害賠償請求権が消滅した後も、なお安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権が存続することになり、法的安定性を著しく害することになる(山口和男「安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の消滅時効」現代民事裁判の課題⑦二二五頁)。また、じん肺健康管理区分決定は、罹患者の申請により行政庁が行うものであり、申請をするか否かは罹患者の任意で、三郎によって自由に左右することのできる事項であるから、法的安定のため一定期間の経過により権利を消滅させようとする債務不履行による損害賠償請求権の消滅時効の起算点としては、合理性が認められない。

なお、右長崎地裁佐世保支部判決は、同事件における原告らが被告の粉じん作業場において少なくとも三年以上粉じん作業に就労しており、また、被告以外の粉じん作業場において粉じん作業に就労した経験のある原告らについては、その就労した粉じん作業場の粉じんの程度、防じん対策の有無、程度を具体的に認定する資料が存在しない事例であるが、本件は、三郎の被告前田建設の粉じん作業場における就労はわずか四か月にすぎず、三郎のそれ以降の粉じん作業歴は長く、かつ、原告らの主張は、それ以降の粉じん作業場の粉じん発生は多量であり、粉じん対策は極めて不十分であった、とする事案である。

三郎が被告前田建設に対し、債務不履行に基づく損害賠償請求ができなかったのは、原告らが主張するように損害の事実を知りえなかったからではなく、被告前田建設における三郎の就労によって三郎がじん肺に罹患するおそれがなかったからである。

本件につき、債務不履行による損害賠償請求権の時効起算点を前記長崎地裁佐世保支部判決のように解すると、被告前田建設の粉じん作業場を三郎が離脱し、他の粉じん作業場に就労し、じん肺罹患原因の粉じん吸入をしている期間中、三郎がじん肺に罹患するまでは、三郎の被告前田建設に対する債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算日が到来しないことになり、不都合である。

(4) 右長崎地裁佐世保支部判決の考え方は、債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点について、原告を救済する必要から、不法行為に基づく損害賠償請求権について民法七二四条前段の規定と同様に解することになるが、これは誤りである。

すなわち、民法七二四条前段の規定が民法一六六条一項の規定の特則であることは疑いのないところであり、民法一六六条一項の規定の解釈に民法七二四条前段の規定の要素を持ち込むことは、原則規定を適用すべき事実に特別規定を適用したのと同一結果を招くことになる。

時効制度の存在理由として、長期間の経過により、証拠が散逸し、立証が困難になる事態(証拠保全の困難)を救済することが挙げられていることは争いがない。

本件については、三郎の粉じん作業現場離脱時から長期間を経過しているため、書類等が廃棄済みのものもあり、関係者が死亡したり、当時の記憶をなくしたりしており、三郎の就労事実の確認や、粉じん作業現場の状況、設備等についての証拠の収集が困難である。これら関係者の所在、記憶、書類等は、三郎の粉じん作業現場離脱時を基準として散逸の可能性が大きい。前述のように、消滅時効の起算点を三郎の「粉じん作業現場離脱時」とすることこそ、「証拠保全の困難」から債務者を救済するという時効制度の本旨に適合する。

(三) 消滅時効の起算点を二次的にレントゲン撮影の結果、三郎の胸に陰影が認められ、三郎のじん肺への罹患が客観的に明らかになった昭和五五年五月末日とする理由は、以下のとおりである。

民法一六六条一項の規定にいう「権利を行使することを得る時」の意味は、権利を行使するについて法律上の障害がなくなったときからという意味であり、仮に権利者において損害の発生を知らず、また、損害額が確定していないとしても、民法七二四条のような特定の規定がない限り、消滅時効の進行は妨げられない(大判昭和一二年九月一七日民集一六巻一四三五頁、東京高判昭和五八年四月二七日判時一〇七八号八二頁)。したがって、罹患者は、じん肺に客観的に罹患していれば、使用者たる安全配慮義務違反者に対して損害賠償請求をなしうるのであるから、時効の起算点をここに求めることに合理性があることになるのである。

(四) 時効期間に一次的に商法五二二条の規定を適用すべきであるとする理由は、以下のとおりである。

原告らの主張によれば、三郎と被告前田建設との間には、雇用契約が締結されているところ、商人たる被告前田建設がその事業のために三郎を雇用したのであるから、その雇用契約は商行為であり、商法の適用を受けることは明らかである(最判昭和三〇年九月二九日民集九巻一〇号一四八四頁、最判昭和五一年七月九日判例時報八一九号九一頁)。したがって、時効期間には、商法五二二条の規定が適用される。

(五) 債務不履行による損害賠償請求権の消滅時効について、民法七二四条後段の規定を類推適用すべきであるとする理由は、以下のとおりである。

民法七二四条前段の規定は、「被害者が損害及び加害者を知りたる時より三年」と、被害者の認識の時期をもって消滅時効の起算点を定めたので、同条後段において、被害者が損害及び加害者を認識しなかった場合においても、行為の時から二〇年を経過したとき不法行為に基づく損害賠償請求権が消滅することを定めた。

しかして、債務不履行に基づく損害賠償請求権については、民法一六六条の規定が権利行使をすることができる時をもって消滅時効の起算点と定めていることから、請求権者の認識と無関係に客観的に消滅時効の起算点が存在するため、不法行為における民法七二四条後段の規定と同旨の規定の必要がなかったのであるが、債務不履行に基づく損害賠償請求権について、請求権者が手続をするか否か、手続をする場合にも、その時期に制限のない労働基準局長によるじん肺管理区分決定をもって時効の認定時期など客観的に確定しえない事実を持って消滅時効の起算点と解する場合には、客観的に確定しうる債権関係終了時から二〇年の経過により権利が消滅するように、民法七二四条後段の規定を類推適用しなければ、債務不履行に基づく損害賠償請求権と時効制度上の均衡を欠くことになる。

4  (被告前田建設) 不法行為に基づく損害賠償請求権の除斥期間経過による消滅

三郎が、被告前田建設の粉じん作業現場を離脱した日の翌日から二〇年間を経過した。したがって、原告らの不法行為に基づく損害賠償請求権は、除斥期間の経過により消滅した。

民法七二四条後段所定の二〇年間の期間は、不法行為に基づく損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり(最判平成元年一二月二一日民集四三巻一二号二二〇九頁)、その起算点である「不法行為の時」の不法行為とは、安全配慮義務違反に該当する行為(不作為)を指すと考えられるが、粉じん作業現場における右義務違反行為は、三郎が被告前田建設の粉じん作業現場を離脱した後は考えられないから、仮に不法行為が認められたとしても、その行為の最終時期は、粉じん作業現場離脱時を指すことになる。

5  (被告前田建設) 安全配慮義務違反の主張に対し、帰責性の不存在

請求の原因に対する認否及び反論7(二)で指摘したとおり、被告前田建設には、三郎が管理区分四という重症のじん肺に罹患することについて、予見可能性がないから、過失がない。

6  (被告前田建設) 因果関係の全部又は一部の不存在

(一) 請求の原因に対する認否及び反論5で指摘したとおり、粉じん作業四か月の就労による粉じん吸入は、無作用レベルであり、じん肺の起因とならない。仮に少量の吸じん量でもじん肺の起因となりえたとしても、決して労働能力を失うまで症状が進行するものではない。

(二) また、先に指摘したとおり、じん肺発症までには長期のものでも一五年を要するとされている。

三郎は、被告前田建設の作業所離脱後、粉じん作業に従事しつつ一四年後も、レントゲン撮影に異常はなく、三郎がじん肺について自覚症状を主張する昭和五五年四月ごろまでは、健康上自覚すべき症状はなかった。これらの事実によれば、三郎のじん肺罹患は、右自覚症状から二八年以前の昭和二七年の被告前田建設の作業所における粉じん吸入が起因となったとは到底認め得ない。

仮に、被告前田建設における三郎のトンネル掘削作業就労が三郎の現在のじん肺症状に何らかの起因があったとしても、三郎の就労期間はわずか四か月間であり、また、吸じんから発症まで通常一五年のところ、三郎が被告前田建設の作業所から離職してから発症まで、その約二倍に相当する二八年を要したことは、吸入粉じん量がじん肺発症の起因として極めて少量であったことを示すものであり、かかる少量の吸じんによって発症するじん肺によって労働能力を喪失することは決してない。

(三) 昭和三〇年成立のけい肺保護法の八条は、次のように規定する。

「都道府県労働基準局長は、第五条一項、第六条三項(前条第二項において準用する場合も含む。)又は第三一条第二項の規定による症状の決定を受けた労働者で次の各号の一に該当するものが現に粉じん作業に従事しているときは、使用者に対して、その者を粉じん作業以外の作業に就かせることを勧告することができる。

一  けい肺第三症度のけい肺にかかっていると決定された者

二  けい肺第二症度のけい肺にかかっていると決定された者で、粉じん作業に従事した期間が五年以内であり、かつ、エックス線写真の像が第二型に該当するもの

三  けい肺第二症度のけい肺にかかっていると決定された者で、粉じん作業に従事した期間が十年以内であり、かつ、エックス線写真の像が第三型に該当するもの」

右条項の解説として、右条項は、その病勢の増悪を防止するため、一定の症度以上のけい肺にかかった者に対する作業の転換について規定したものである。すなわち、第四症度の重症のけい肺にかからせないよう、けい肺第三症度と決定された者及びけい肺第二症度と決定された者の一部の者のうちから、その必要があると認められた者について粉じん作業以外の作業に就かせるよう勧告処分をすることによって行われるものとしている。

昭和三五年四月には、旧じん肺法が成立し、右同趣旨の規定として二一条がおかれている。

右規定は、管理区分三の粉じん作業者は、粉じん作業より離職、転換することにより、管理区分四、すなわち、重症となり、労働不能となることを防止できるとする医学的見解を前提とするものであるところ、右規定に照らすと、三郎は、被告前田建設のトンネル作業を退職したときには健康であったし、また、仮に、被告前田建設において、三郎が被告前田建設の粉じん作業現場を離職した後粉じん作業に就労することを予見することができ、かつ、三郎が粉じん作業を継続したとしても、初期じん肺症状時粉じん作業から他の作業に配転さえすれば、じん肺管理区分四の重症には至らなかったものというべきである。

(四) 労働省安全衛生部労働衛生課編「粉じんによる疾病の防止」と題する粉じん作業特別教育用テキストの一四頁以下には「一方、ばく露量が非常に少ない場合には、はっきりした健康障害をおこさないことも知られており、『無作用レベル』と呼ばれることもある」との記載がある。つまり、一般的に、微量の粉じん吸入は、じん肺の起因とはならないのである。

また、「日本のじん肺と粉じん公害」八〇頁(〈書証番号略〉)には、じん肺を起こしやすい物質遊離けい酸を高率に含む粉じんによって罹患するけい肺について、「珪酸が三〇%以上も含まれている粉じんの吸入によっておこる。通常一〇年以上の吸じんで、二〇年以上たつと粉じん性塊状巣が発生する。」旨の記載があり、同書八一頁には、遊離珪酸が低率の粉じんの場合には、「珪酸分がほぼ二〇%以下の粉じん吸入でおこり、肺野の結節は前者よりも小さく、塊状巣の出来るのは三〇年以上たってからのものが多い。」旨の記載がある。

さらに、「鉱山保安ハンドブック」三八四頁2粉じん許容限度欄(〈書証番号略〉)には、「平均して、高濃度の含じん空気中で一〇年程度、低濃度で三〇〜一〇年程度で症状が発見されている。」との記載がある。

三郎の作業歴からみて、珪酸が二〇パーセント以下の粉じん作業による極めて低濃度の含じん空気中の就労による粉じん吸入のためのじん肺と推定されるが、被告前田建設の作業場における三郎の吸入粉じんが、じん肺の起因性となるための因子、つまり、科学的組成、粉じん粒径、三郎の体質を検討するまでもなく、原告ら主張の被告前田建設における作業就労中における請求の原因に対する認否及び反論3(二)(五)(六)で述べた作業内容、期間によって、三郎が吸入したとされる粉じんは極めて微量であるから、到底じん肺の起因とはなり得ない。

原告らは、じん肺の症状の特徴として、不可逆性、進行性を強調するが、一定の段階までの症状であれば、治療により健康上支障のない肺機能回復が可能であるし、抽象的には、いったん体内に進入した粉じんは、吸着した肺胞組織の線維化の起因となるが、具体的には、吸着量によっては線維化の起因となる場合も起因とならない場合もある。また、吸着によって肺胞が線維化したとしても、その症状が進行して、他の肺胞(粉じんが吸着していない)の線維化の起因となるものではないから、吸入粉じん量により線維化する肺胞の範囲は特定され、粉じん作業から離脱することにより、その時点で粉じんに汚染されていない肺胞が線維化することはない。

(五) 被告三井鉱山が請求の原因に対する認否及び反論6(五)(2)で引用する熊本医学会雑誌三三巻三号九七頁右欄第七表(〈書証番号略〉)によれば、トンネルの掘削作業と同種の鉱山掘削切羽作業の就労歴を有する一四九名の調査の結果、就労期間六年未満の者二一名のうちけい肺の疑いのある者(SX)が一名あるのみで、その他の者にはけい肺の患者が認められない。

(六) 被告三井鉱山が請求の原因に対する認否及び反論6(五)(2)で引用する医学研究二八巻一三号二九五頁第三表「自山のみの職歴のもの」(〈書証番号略〉)によれば、某筑豊炭田の粉じん作業従事者四五二四名のうち、自山のみの粉じん作業歴を有するけい肺有所見者一〇〇名のうちに、粉じん作業年数が三年未満の者は一名もなく、三年以上四年未満一名、四年以上五年未満一名、五年以上六年未満一名(いずれもけい肺症度としては最も軽い症度一)である。

同誌二九六頁第四表「他山の職歴あるもの」によれば、某筑豊炭田の粉じん作業従事者四五二四名のうち、他山においても粉じん作業歴を有するものでけい肺有所見者五八名のうち、粉じん作業年数八年未満の者は一名も存在しないことが認められる。

これらの統計事実により、三年未満の切羽作業を含め、その他坑内じん肺作業就労により、同就労者がじん肺に罹患することはない、といい得る。

7 (被告住友石炭) 因果関係の不存在

三郎は、被告住友石炭での就労を終えた後、被告三井鉱山での綿密な健康診断を受け、レントゲン検査その他諸検査の結果、すべて何らの異常もない健康体であったことにより、採用時の選別の厳しい最大手の被告三井鉱山に、坑内夫して採用されている。この事実から見ても、三郎の被告住友石炭における就労と三郎のじん肺罹患との間に因果関係がない。

8 (被告三井鉱山) 因果関係の不存在

請求の原因に対する認否及び反論6(五)(2)で指摘した事情からみて、三郎の被告三井鉱山における就労と三郎のじん肺罹患との間には、相当因果関係はない。

9 (被告三井鉱山) 割合的寄与率

仮に何らかの理由によって、被告らに損害賠償の責任があるとしても、被告三井鉱山についていえば、その寄与の割合によるべきである。

最近の西淀川大気汚染公害訴訟に関する大阪地判平成三年三月二九日判時一三八三号七五頁は、民法七一九条一項後段所定の共同不法行為について、「後段の共同不法行為は、共同行為を通じて各人の加害行為と損害の発生との因果関係を推定した規定であり、共同行為者各人は、全損害についての賠償責任を負うが、減免責の主張立証は許されると解されている。後段所定の共同不法行為についても、関連共同性のあることが必要であるが、この場合の関連共同性は、客観的関連性で足りる(いわゆる弱い関連共同性で足りる)と解すべきである。」と判示し、原告らの損害について寄与による分割責任を適用している。

学説では、野村好弘教授の提唱する、寄与度によって因果関係の割合的認定をしていこうとする割合的因果関係説が代表的なものであるが、寄与度減額説、過失相殺類推適用説、公平の原則・信義則などの一般条項援用説などその主張するところは様々であるが、要は、共同不法行為の場合、全部の損害について責任のない者に全部の損害について連帯責任を負わせることの不合理・不公平さを問題としているのであって(加藤新太郎「因果関係の割合的認定」判タ六三三号四六頁、東孝行「複合汚染と因果関係―因果関係の割合的認定―山口和男編『現代民事裁判の課題⑦』五四三頁以下)、従来の裁判例でも、寄与度による減責を認めた例が多い。

前述のとおり、三郎が被告三井鉱山において坑内作業に従事したのは、わずか七四日間にすぎないのであり、これを原告らの主張による粉じん作業に従事したという月数でみれば三か月であり、他の企業で粉じん作業に従事したという月数は、合計三〇五か月であるから、被告三井鉱山の寄与率は、一〇〇分の一にすぎない。

10 (被告三井鉱山) 大気汚染防止法二五条の二・水質汚濁防止法二〇条の規定の類推適用

大気汚染防止法二五条の二は、工場又は事業場における事業活動に伴う健康被害物質により、人の生命又は健康を害したときは、事業者に対して、無過失責任を負わせ、その責任について、民法七一九条一項の規定の適用がある場合において、損害の発生に関し、その原因となった程度が著しく小さいと認められる事業者があるときは、裁判所は、その者の損害賠償の額を定めるについて、その事情を斟酌することができる旨を定め、水質汚濁防止法二〇条も同趣旨を定める。結果に対して微少な寄与しかしていない事業者に対して、このような規定をおいた法を貫く公平の精神は、本件においても、尊重されるべきである。

11 (被告青木建設) 因果関係の不存在

請求の原因に対する認否及び反論3(三)で指摘したとおり、シールド工法は粉じんをほとんど発生させない工法であり、三郎がその作業に従事したことと三郎のじん肺罹患との間には、相当因果関係がない。

四  抗弁に対する認否及び反論

1  抗弁1の主張は争う。

(一) 労災保険法や厚生年金保険法による給付は、それ自体、直接損害の填補を目的とする制度ではない。

すなわち、労災保険制度は、労働者が人に値する生活を営むための必要性を充たすべき労働条件の最低基準を定立し、業務上であることを唯一の要件として、法定補償を行い、資本制生産の下で使用者に使用従属し、社会法則的にその犠牲者とされる労働者とその遺家族の生活を使用者に保護させることを目的とする労働基準法上の法定補償制度を、保険制度を利用することによって、集団としての使用者の責任の拡大・徹底を図り、被災者の生活確保を図るための保険制度である。

また、厚生年金保険は、「損害の填補という観点から離れて、生活補償を目的とする社会保険」(神戸地判昭和五〇年二月二〇日判時七九九号七四頁以下)である。

(二) 少なくとも、労災保険特別支給金は、労災保険法二三条の規定に基づき、労災保険の適用事業に係る労働者の福祉の増進を図るための社会復帰の促進、療養生活の援護など、労働福祉事業の一環として給付されるものであって、労働災害によって労働者が被った損害の填補を目的とするものではない(東京高判昭和五七年一〇月二七日判時一〇五九号七一頁、東京地判昭和六一年二月二八日交通民集一九巻一号二九八頁、大阪地判昭和六一年三月二五日交通民集一九巻二号四〇五頁)。

また、厚生年金の給付のうち、老齢厚生年金は、損害の填補の性質を有しない。厚生年金法三二条一号所定の老齢厚生年金が損害の填補の性質を有しないことは、老齢厚生年金の給付が、労働者の老齢につき労働者の生活の安定と福祉の向上に寄与する目的を有することからみて明らかである(東京地判平成二年三月二七日判時一三四二号六二頁等)。三郎は、昭和三年一二月二三日生れで、満六〇歳の平成元年から厚生年金の給付を受けているが、受給しているのは老齢厚生年金であって、被告ら主張の障害厚生年金や障害手当金ではない。

(三) 最判昭和六二年七月一〇日民集四一巻五号四二三頁が判示するとおり、少なくとも、入院雑費、付添看護費、通院交通費といった積極損害及び慰謝料は、労災保険給付がされても、損益相殺の対象とならない。

(四) なお、総損害額に対して労災保険等からの給付金が損益相殺の対象となりうるとしても、原告らの請求金額はこの損益相殺(損害填補)等を踏まえた残余の損害額である。

2(一)  同2(一)の主張は争う。

(二)  同2(二)の主張は争う。

3  同3の主張は争う。

(一) 債務不履行(安全配慮義務違反)に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点について

債務不履行(安全配慮義務違反)に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点を、被告前田建設の主張のように、粉じん作業現場離脱時とすることは、債務不履行時から長期間経過した後に、はじめて損害が顕在化し、しかも、日々症状が進行するじん肺の被害の特質からして、はなはだ不合理である。

被告前田建設の右のような考え方の根拠は、健康保持義務それ自体と、その義務違反による損害賠償債務との間の同一性を根拠とするもののようである。確かに、物の引渡が不能になったときに、損害賠償としてその物に代わる金銭の支払いを求めるような場合、あるいは、物の引渡しが遅れたときにその遅滞による損害賠償を求める場合には、本来の債務とその履行不能、履行遅滞による損害賠償債務との間には同一性を認めうる。しかし、本件では、被告前田建設の健康保持義務違反の結果生じた三郎の身体被害の損害の賠償を求めているのである。健康保持義務それ自体の内容とその違反による身体被害の損害賠償義務との間には、何の同一性もない。本件が同じ債務不履行責任でありながら、填補賠償、遅延賠償の場合と本質を異にするゆえんである。したがって、本件の損害賠償債務の時効の起算点を考える場合には、健康保持義務それ自体の履行時期を問題にすることなく、本件損害賠償請求権それ自体の性質から考えていくべきである。

福島地裁いわき支部判平成二年二月二八日判時一三四四号五三頁は、この点につき、「安全配慮義務は、それが認められる状況(危険)が存在する間継続して生じる義務であるとともに、そのような状況がなくなれば当然に消滅する性質のものであって、危険の存在する間に安全配慮義務違反による損害が発生した場合は、右損害の賠償を請求すると同時に安全配慮義務自体の履行を請求することができるし、危険がなくなった後に安全配慮義務違反による損害が発生した場合は、もはや安全配慮義務自体は消滅しており、それに代わるものとしての損害賠償債務が発生するわけではない(安全配慮義務がその違反に基づく損害賠償債務に転化するわけではない。)から、安全配慮義務違反に基づく損害賠償債務を、単純に安全配慮義務の内容が変更されたものとみることはできず、両者の間に本来的給付とそれに代わる填補賠償義務との間に認められるような債務の同一性を観念することはできない。」、「粉じん職場離脱日から時効が進行するものと解するならば、右時点後一〇年以上を経過してからじん肺が発生したものについては、じん肺罹患による損害賠償を請求する機会のないうちに右損害賠償請求権が時効により消滅するという極めて不合理な結果を招来することとなる。」と判示している。その他、前掲長崎地裁佐世保支部判決及びその控訴審である福岡高判平成元年三月三一日判時一三一一号三六頁も同旨であり、被告前田建設の議論が誤りであることは、判例上決着済みである。

それでは、起算点をどこに求めるのが適当であるか。

一般に、消滅時効は「権利を行使することを得る時」から進行するが、これは、債権を行使するについて単に法律上の障害がなくなったことを意味するのではなく、その行使が現実に期待しうるようになった時と解すべきである。

そして、本件じん肺症の被害のように、日々進行、増悪していく被害の場合は、全被害が確定し、進行が止んだ時から時効が進行すると解すべきである(鉱業法一一五条二項参照。宮崎地裁延岡支判昭和五八年三月二三日判時一〇七二号一八頁)。さもなくば、まだ被害が進行を続け、その被害の全体を把握できない時点で、既に出現している一部の被害についてのみの損害賠償の請求を被害者に強いることになって、被害者に酷な結果となるからである。交通事故による損害賠償、自賠責保険の時効の起算点が一般に後遺症の症状固定の時からとされているのも同様の趣旨からであり、本件の参考としうる。したがって、本件の場合、三郎の症状はいまだ固定せず、日々悪化しているのであるから、時効は進行していない。

また、百歩譲ったとしても、昭和六〇年二月一四日のじん肺管理区分四の決定通知を受けたときを時効の起算点とすべきである。

(二) 債務不履行(安全配慮義務違反)に基づく損害賠償請求権の消滅時効の時効期間について

被告前田建設は、債務不履行(安全配慮義務違反)に基づく損害賠償請求権の消滅時効の時効期間について、商法五二二条の規定により五年となるとする。しかし、これは不当である。

商行為によって生じた債権について五年の消滅時効が定められているのは、企業取引が本来的に迅速な決済を要求するものであることを基礎としているのである。その基礎を欠く場合には、商行為法の適用はない。

本件は、被告らの安全配慮義務、健康保持義務違反の債務不履行によって発生した身体被害について損害賠償を求めるものであるが、健康保持義務は、労働者の就労場所の危険性との関連で客観的に決定されるもので、企業取引による迅速な決済が問題となる場面ではない。その不履行に基づく損害賠償請求権も、企業取引によって生じた債権ではないことは明白である。したがって、本件に商事時効適用の余地はない。

前記福島地裁いわき支部判決も、「安全配慮義務は雇用契約に付随して信義則上認められる義務であって、その違反に基づく本件損害賠償債務は、雇用契約に基づく本来の給付義務とはその法的性質を異にし、商事取引関係の迅速な決済のための短期消滅時効に服するものではない」とするし、企業の健康保持義務、安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求権の消滅時効に商法五二二条の規定を適用した裁判例はなく、この点は決着済みである。

4  同4の主張は争う。

民法七二四条所定の期間を消滅時効と解しようが、除斥期間と解しようが、そこにいう「不法行為の時」を加害行為の行われた時、すなわち、被告前田建設の主張によれば、粉じん作業現場離脱時から二〇年と解するならば、行為後一定期間を経て損害が発生する場合は、損害賠償請求権が発生する前にその消滅時効(もしくは、除斥期間)が進行を開始するという矛盾が生じ、被害者の救済がなおざりにされてしまうおそれがある。殊に、退職後二〇年以上を経てから症状が発生することが稀れではないじん肺被害のような場合は、それについて被害者が全く救済されないという不当な事態を招くことになる。したがって、「不法行為の時」とは、不法行為の成立要件が充足された時、すなわち、加害行為があり、かつ、それによる損害が発生した時を意味すると解すべきである。

民法七二九条後段は、「不法行為の時より」と規定しているが、これは、不法行為に関する規定であるから「不法行為の時」と規定しただけのことであって、これを「加害行為の時」と解するべきではなく、損害発生を含めた不法行為の成立要件を充足し、損害賠償請求権が成立した時と考えるべきである。

前記福島地裁いわき支部判決も、「じん肺被害のように加害行為後長期間を経て初めて損害が顕在化するという場合には、被害者の救済に悖ること甚だしく、時には被害者が全く救済を受けられないという不当な事態さえ生ずることにもなる。」ので、民法七二四条後段の「不法行為の時」については、『不法行為の構成要件が充足された時』とする解釈をもって基本的に正当であるとすべきことになろう。」と判示している(同趣旨の裁判例として、前掲宮崎地裁延岡支部判決。学説も同様に解する(法学研究四四巻四号一五八頁内池慶四郎、金融商事判例六二二号五三頁柳澤秀吉、松久三四彦「判例評釈」判評三二三号二〇二頁))。

なお、最判平成元年一二月二一日民集四三巻一二号二二〇九頁は、この二〇年の期間を除斥期間と解したが、その理由は、「同条前段の三年の時効は損害及び加害者の認識という被害者側の主観的事情によってその完成が左右されるが、同条後段の二〇年の期間は被害者側の認識いかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であるからである。」というところにあるところ、起算点を被害者の主観にかかわらない客観的な「損害の発生」という時点に求めたとしても、この最高裁判決と矛盾するわけではなく、その意味では、二〇年の期間を消滅時効と考えようと、除斥期間と考えようと、この判決と矛盾するものではない。

更に、二〇年間の期間の起算点について「加害行為時説」(本件では、被告前田建設を退職した時)に従ったとしても、本件では不法行為とともに債務不履行をも請求原因としているのであるから、不法行為に基づく損害賠償請求権が時効又は除斥期間の経過によって消滅したとしても、右3でみたように、債務不履行責任が時効消滅していない以上、被告前田建設に対する請求権は認容されるべきである。不法行為責任と債務不履行責任を並立させない請求権競合的な考えをとったとしても、時効(除斥)期間については、被害者に有利な方をとる(四宮「請求権競合論」)とされるので、この点、結論に差はない。

5  同5の主張は争う。請求の原因6にみるように、じん肺が古くから知られていたこと、同7にみられるように、トンネル工事におけるじん肺の発生が戦前から知られていたことからして、被告前田建設が、じん肺罹患を予見できないはずがない。

6  同6ないし8の主張は争う。

7  同9の主張は争う。民法七一九条一項後段の規定を類推適用する以上、「寄与度が明らかなときは分割責任が生ずる」という考え方は、実定法上の根拠を欠く。寄与度が明らかなときも、明らかでないときも、連帯責任が生ずると解すべきである(浜上・前掲論文六頁)。

8  抗弁10及び11の主張は争う。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一三郎の従事した作業と粉じんの発生

1  被告前田建設

〈書証番号略〉、右証言、右本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。〈証拠判断略〉

(一)  三郎と被告前田建設の雇用契約

三郎は、昭和二七年五月ごろ、被告前田建設の下請である木下班の名義人である木下鹿造が、北陸電力株式会社(以下「北陸電力」という。)から被告前田建設に対して発注した、富山県姉請郡細入村における神通川第一発電所建設工事第二工区の工事の一部(調圧水槽の設置のための掘削工事及びその付属工事。以下「木下班担当工事」という。)を請負ったのに伴い、その工事のための人員として、被告前田建設に雇用された。

なお、右工事における被告前田建設の請負形態は、「木下班」、「柳沢班」などの被告前田建設の下請に直接の施工を任せるものであり、被告前田建設は、北陸電力に対して請負工事の完成義務を全面的に負担すると同時に、各班所属の作業員に対し、直接雇用契約上の義務を負うが、各班は、会計上は独立の収支勘定に基づいて運営されていた。すなわち、下請が会社との間に取り決めた施工範囲を、社内における見積予算により施工し、見積予算内において工事完成した場合、その差益を当工事実施班に還元する方式であった。

(二)  木下班担当工事の概要

木下班担当工事のうち、調圧水槽設置のための掘削工事は、昭和二七年四月二三日に開始し、昭和二八年五月に完了した。

調圧水槽は、ダムから送水された水の圧力を一定にして発電所に送るためのものであって、導水トンネルと水圧鉄管路との間の神通川に面した山の斜面中腹に設置されるものである。その設置のための掘削工事の施工の手順は、大略以下のとおりである。

(1) 作業員宿舎の建設、立木の伐採や進入道路の建設、ずり運搬のための軌道の建設、コンプレッサーやウインチなどの機械装置の設置など、準備工事をする。なお、準備工事は、後記(2)以下の作業が行われるようになってからも、必要に応じ随時行われる。

(2) 斜面表土を掘削する。

(3) 調圧水槽設置のための掘削工事のうちの上部の工事(以下「上部掘削工事」という。)の際発生する掘削土砂を運搬するための作業用横坑一本及び竪坑二本(以下、これらをそれぞれ「上部横坑」「上部竪坑」という。)を掘削する。

(4) 上部掘削工事をする。この際発生した掘削土砂は、上部竪坑に落とされ、上部竪穴下でトロッコに積み替えられ、上部横坑を通ってずり捨て場まで運搬される。

(5) 調圧水槽設置のための掘削工事のうちの下部の工事(以下「下部掘削工事」という。)の際発生する掘削土砂を運搬するための作業用横坑一本及び竪坑四本(以下、これらをそれぞれ「下部横坑」、「下部竪坑」という。)を掘削する。

(6) 下部掘削工事をする。この際発生した掘削土砂は、上部掘削工事の場合と同様、下部竪坑及び下部横坑を用いて処理された。

また、下部掘削工事は、下部竪坑のうち二本が完成しないうちに行われたので、下部掘削工事と下部竪坑の掘削工事とが並行して行われていた時期がある。

木下班担当工事のうち、調圧水槽設置のための掘削工事の付属工事としては、調圧水槽への導水のための、柳沢班、寺田班が掘削担当した導水路と調圧水槽との接続工事と、調圧水槽の水を発電所(発電機)へ導くための、斎藤班、山本班が担当完成した水圧鉄管路と調圧水槽との接続工事とがある。

なお、三郎はじめ木下班に所属する者は、他の班の担当する工事現場が、休んだ者がいるなどの事情で多忙であるときは、代番でその応援に行くこともあった。被告前田建設は、各班が、会計上は独立の収支勘定に基づいて運営されている事情の下では、そのようなことはあり得ない旨主張し、〈書証番号略〉にはこれに沿う記載もあるが、各班が会計上独立していることと、ある班に属する者が他の班の工事を手伝うことがあることとは、必ずしも矛盾するものではなく、右記載は、採用しない。

(三)  三郎が被告前田建設において従事した作業と粉じんの発生

三郎が被告前田建設において従事した作業は、昭和二七年五月から同年一〇月までは、右(二)(1)にみたとおりの準備工事が中心であり、これは粉じん作業ではなかったが、三郎は、この時期においても、水圧鉄管路設置のための斜坑掘削工事や右斜坑の清掃など、粉じん作業を伴う工事に代番で行くこともあった。同年一一月から昭和二八年二月までは、右(二)(6)の下部掘削工事が中心であり、このほか、下部掘削工事が開始した時点でまだ未完成であった二本の下部竪坑の掘削工事に代番で行き、更に、調圧水槽設置のための掘削工事の付属工事にも従事したが、これらは、いずれも粉じんが発生するものであった。

右各作業のうち、粉じん作業であるものの具体的な内容と粉じんの発生状況は、以下のとおりである。

(1) 水圧鉄管路設置のための斜坑掘削工事、調圧水槽設置のための掘削工事の付属工事

当時の一般的な方式である底設坑先進掘削方式である。

トンネルないしずい道の底部をまず掘削し(導坑)、上部(中割、次いで、その上の頂設)、側部(大背、次いで、その下の土平)を順次掘削するものである。各部分ごとに以下の作業が行われる。

① 削岩。削岩機による、ダイナマイト装填用の小穴の穿孔である。

削岩機には乾式と湿式があるが、被告前田建設では、前者が使用された。乾式削岩機は、空ぐりとも呼ばれ、のみの先端から圧搾空気を噴出させ、削岩によって生じた岩粉(くり粉)を吹き飛ばす構造になっており、削岩に際して、大量の粉じんが、坑夫の顔面や身体に向かって降りかかった。

② ダイナマイト装填。

③ 発破。ダイナマイトによる爆破によって、導坑断面の岩石を破砕させることである。

発破直後は、粉じんと火薬の油煙が充満した。

④ 換気。発破後、エアホースと呼ばれる硬質ゴムの送気管から、圧搾機(コンプレッサー)による圧縮空気を、発破断面(切羽)に吹き付け、粉じんと発破によって発生した煙を後方に送り出し、又は拡散させることである。

この換気作業は、発破後わずか五分ないし八分で行われた。また、この換気も、単に圧搾空気を発破断面に吹き付けるだけであったので、トンネル内の粉じんを若干薄めることができたものの、粉じんの相当部分は、換気後もトンネル内に浮遊していた。

⑤ ずり出し。破砕した砕石(ずり)を坑外に搬出することである。

被告前田建設においては、人力でスコップを使用し、ずりをトロッコに積み込み、トロッコが一杯になると、一〇〇メートル先の捨場まで二人で押していって捨てていた。この作業においても、粉じんが発生し、力仕事で呼吸が激しくなることもあり、粉じん吸入の危険は大きかった。

また、切羽周囲の浮き石を落とす作業が行われ、ここでも粉じんが発生した。

⑥ 支保工建込。完全覆土までの間、地山のゆるみを防止するための仮設の構造物である支保工を組み立てることである。

この作業の段階でも、右①ないし⑤の作業で発生した微細な粉じんが坑内に浮遊していた。なお、被告前田建設においては、支保工の材料には丸太が用いられていた。

(2) 斜坑の清掃

斜坑の清掃の際、凹凸があると、一〇センチメートルから一五センチメートルの穴を開けて、発破して形を整えた。

その際、右(1)①ないし⑤と同様の作業が行われ、同様に粉じんが発生した。

(3) 下部掘削工事

下部掘削工事は、上方から掘り下げる形をとった。

このうち、土砂及び軟岩層の掘削は、人力で行われた。

一方、硬岩の掘削は、右(1)①ないし③と同様の作業を行った後、粉じんが自然の通風により目立たなくなるまで退避し(したがって、同④の換気作業は行わない。)、ずり出しについては、ずりを竪坑からずりビンまで落とし、横坑をトロッコで搬出することになっていた。ただし、ずり出しのうち、横坑をトロッコで搬出する作業は、下部掘削工事の掘り下げ担当作業員とは別個の班が担当した。

下部掘削工事は、上方から掘り下げる形をとっているため、発破によって生じる粉じんは、トンネルないしずい道の掘削の場合ほど高密度に充満するわけではないが、基本的には同様に粉じんが発生し、また、自然の通風による粉じんの排除も完全とはいえず、粉じん発生を抑制する措置が必要な状態であった。

(4) 下部掘削工事が開始した時点でまだ未完成であった二本の下部竪坑の掘削工事(代番)

三郎は、下部掘削工事が開始した時点でまだ未完成であった二本の下部竪坑の掘削工事には代番として従事した。この工事は、断面の大きさ二メートル×三メートルの竪坑(なお、その内部は、ずり落とし用部分と作業員昇降用部分に区分した。)を掘削するもので、三郎がこれに従事した時点では、下から掘り上がる作業が行われていた。

その作業は、基本的には右(1)①ないし⑥と同様であり、粉じんの発生状況も同様であったが、ずり出しについては、水平なトンネルの掘削の場合と異なり、爆破されたずりは竪坑下のずりビンに堆積するので、直ちにずり出しをする必要はなく、ずりが溜まったころを見計らって、ずり運搬員(土工又は坑内夫)がトロッコをずりビン下に持ってきて、ずり抜き褌板を操作してずりを積み込み、横坑を通ってずり捨て場に搬出した。

〈書証番号略〉には、右作業は危険であるので、経験のない三郎をこれに従事させるはずがない旨の記載があるが、右記載は、三郎本人尋問の結果に照らし直ちに採用することができない。

2  村上建設

〈書証番号略〉及び三郎本人尋問の結果によれば、以下の事実を認めることができる。

(一)  三郎と村上建設の雇用契約

三郎は、昭和二八年三月、村上建設の前身である大和土建株式会社の下請である国本組に入り、別紙(一)の経歴表記載の期間及び作業所において、村上建設に勤務した。

(二)  三郎が村上建設において従事した作業と粉じんの発生

(1) 村上建設におけるトンネルないしずい道掘削工事の方式は、当初は、被告前田建設と同様、トンネル断面の一部ずつ掘削する底設先進導坑掘削方式であったが、後に技術の進歩に伴い、全断面掘削方式となった。

(2) 三郎の村上建設における作業内容及び粉じん発生状況は、前記1(三)(1)①ないし⑥とほぼ同様であるが、技術の進歩に伴い、若干の変化がみられた。

削岩機については、昭和三三年ごろから、湿式が使用された。湿式削岩機は、のみの先端から水を噴出させ、粉じんを泥状にして流れ出させる構造であり、粉じん抑制率は八〇パーセントないし九〇パーセントであるが、あまり多量の水を用いた場合は、激しい水流によって粉じんを空気中に飛散させる危険がある。また、のみの先を岩盤に当て、孔を開けるときは、湿式で行うと坑夫及び先手の顔や目に水がかかるので、五センチメートルないし一〇センチメートル位穴ができるまでは、乾式で削孔が行われ、大量の粉じんが発生した。

ずりの積込みには、大型の機械であるロッカーショベルが用いられたが、ずりを積み込み、バケットに乗せて作業員の頭上を高速で反転させ、ベルトコンベヤーに乗せて、ずり積込み車に積み込むという作業であるため、粉じんが発生した。

3  被告住友石炭

三郎が、別紙(一)の経歴表記載の期間(ただし、始期は昭和三九年六月)、その主張する作業所で勤務したこと、三郎がその間坑内夫であったこと、三郎の勤務していた炭坑が地下八〇〇メートルから一二〇〇メートルの位置にあったことから、高温(三〇度ないし三八度)の部分もあり、また、多湿(七〇パーセントないし八〇パーセント)であったこと、坑道掘進はトンネル断面の一部分ずつではなく、全断面で掘進する方式となったこと、支保工建込は、鉄製の支柱が使用されるようになったこと、石炭採掘現場においては、坑道切羽からガスが発生し、突出することがあること、被告住友石炭において、削岩機に機械として湿式のものが用意されていたことは、原告らと被告住友石炭との間で争いがなく、右争いのない事実に、〈書証番号略〉、右証言(ただし、一部)に三郎本人尋問の結果(ただし、一部)を総合すれば、以下の事実を認めることができる。〈証拠判断略〉

(一)  三郎と被告住友石炭の雇用契約

三郎は、昭和三八年六月、試用掘進夫として被告住友石炭に採用され、昭和三九年六月、本鉱員となった。

(二)  三郎が被告住友石炭において従事した作業と粉じんの発生

三郎が被告住友石炭において従事した作業は、住友石炭弥生鉱業所(昭和四五年九月ごろまで)及び奔別鉱業所における沿層掘進作業であった。その深度は、地下八〇〇メートルないし一三〇〇メートルであった。

坑内は、深度が増すにつれ、地熱の影響により、坑内の温度が高くなり、更に、空気の圧縮熱等の影響によって温度が上昇することもあった。坑内における掘進切羽の作業場の平均温度は、昭和三八年二月末現在で20.5度、四〇年七月末現在で25.0度という測定値が得られていたが、場所によっては三〇度を超えることもあった。湿度については、湧き水や散水の影響で、七〇パーセントないし八〇パーセントと多湿であった。

沿層掘進作業は、炭層に沿って掘削することをいい、その坑道断面(高さ約2.6メートル、坑道幅約2.8メートル、断面積約八平方メートル)は、全断面が炭層の場合もあれば、炭層の両側に岩石層が存在する場合もあり、後者については、所定の断面を保つため、この岩石部分も同時に掘削することとされていた。なお、被告住友石炭においては、全断面掘削方式が採用されていた。

作業の具体的内容は、以下のとおりである。

(1) ダイナマイト装填のための穿孔。

岩石層については、削岩機で、炭層については、オーガーで、穿孔がされた。

この穴は、直径約三六ミリメートル、深さは一メートル二〇センチメートルから一メートル八〇センチメートル位までであり、一断面に二五本から三〇本穿孔された。

被告住友石炭においては、湿式削岩機が用意されていたが、湿式で使用すると作業効率が下がることから、乾式で使用されることもあり(湿式削岩機を乾式で使用することを「空ぐり」という。)、特に、被告住友石炭において、岩石に遊離けい酸分が少ないと判断した部分については、空ぐりが行われた。

オーガーは、回転式のドリルであり、切削した繰り粉がノミの螺旋に沿って外に排出されるというものであり、粉じんの排出は、乾式削岩機に比べれば多くはないが、完全に抑制されるわけではない。

(2) ダイナマイト装填。

(3) 発破。なお、三郎は、村上建設時代に火薬取扱技能士の資格を取得していたが、坑内保安係員及び発破係員の資格を有していなかったので、当初は、炭坑内での火薬の取扱いはできなかったのであるが、昭和四四年ごろ、炭則三八条に規定する作業を実施する「発破有資格者」(以下「有資格者」という。)の資格を取得し、これにより、発破係員の補助として、ダイナマイトへの点火を除く火薬取扱作業(運搬、火薬の装填、導火線の結線接続作業)をすることができるようになった。

被告住友石炭においては、後述のとおり、火薬を装填した後の込め物に水タンパーを用い、また、シャワー発破を実施したので、このような措置がとられない場合に比べれば、発破の際の粉じんの発生は抑制されたが、それでも、発破後は、粉じん及び噴煙の量は、決して少なくはなく、作業員が退避したところ(切羽から三〇メートルないし五〇メートル)まで達するほどであった。

(4) 天盤補強及び矢板かけ並びに換気。天盤が崩落する危険があるため、発破後数分すると、先山(作業員のリーダー。三郎は、昭和四三年後半から、この地位にあった。)及び坑内保安係員の資格を持った係員が、切羽の点検に向かった。規則の上では、発破直後の点検は坑内保安係員の資格を有する者だけに許されていたものの、右のような危険を防止するため、粉じんが十分薄まらないうちから、先山も点検に向かった。先山は、まず、発破地点の天盤を囲って補強し、浮き石を鉄棒を使って落とすなどした。その後、発破前から設置してある局部扇風機と風管による切羽に向けた空気の放出などで換気をした。

浮き石を落とす際、粉じんが発生し、また、右の換気によっても、発破の際の粉じんを完全に排出することはできなかった。

(5) ずり積み。破砕したずりを、ロッカーショベル(積込機)を使用し、グランピー(積込車、容積二トン)に積み込み搬出する。

ロッカーショベルによる積込みの際粉じんが発生することは、村上建設の場合と同様であった。

以上の通常の作業のほか、石炭を採掘した跡に坑外から持ち込んだずりを充填する作業があり、その際も粉じんが発生した。

また、堆積炭じんが舞い上がる際には爆発の危険があるので、岩粉を散布して堆積炭じんの濃度を薄めることが行われ、この岩粉は、堆積炭じんと共に舞い上がることがあったが、この岩粉は遊離けい酸分が低いものであった。

4  被告三井鉱山

三郎が、被告三井鉱山との間において、昭和四六年一〇月から同年一二月まで労働契約を締結し、芦別鉱業所で就労していたこと、被告三井鉱山における採炭の手順が、①発破後の天盤崩落を防止する作業のための材料の用意、②石炭層の穿孔(オーガーによる火薬装填用の小穴の穿孔)、③火薬装填、④発破、⑤天盤崩落を防止する作業、⑥石炭積込みというものであったこと、被告三井鉱山の作業所で石灰が散布されたこと、オーガーが乾式であったことは、三郎と被告三井鉱山との間において争いがなく、右争いのない事実に、〈書証番号略〉、右証言(ただし、一部)、三郎本人尋問の結果(ただし、一部)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができる。〈証拠判断略〉

(一)  三郎と被告三井鉱山の雇用契約

三郎は、昭和四六年八月、被告三井鉱山の炭鉱夫の募集に応じて、同被告の採用面接を受け、同月三一日の健康診断で異常がなかったので、同年九月二三日試用員として採用され、五日間にわたり、坑外で学科教育、実技教育を受け、その後現場教育を経て、同年一〇月七日に本採用となり、被告三井鉱山芦別鉱業所に勤務した。

当時は、石炭から石油へのエネルギー革命を背景にして、炭鉱は、効率の悪いものは廃止し、効率のよいものを残してこれについて増産体制に入るというスクラップアンドビルド政策がとられていた。被告三井鉱山の芦別鉱業所は、ビルド、すなわち、増産体制にある炭鉱であり、また、炭層に約四〇度の傾斜があるため、機械化が困難であったこと、また、後述のとおり欠口払いという人手を必要とする採炭方式がとられていたことなどから、従業員が不足し、常時人員を募集しているような状態であった。特に、坑内労働の経験者は、作業内容を熟知していること、芦別鉱業所において炭鉱特有の資格を必要とする、有資格者や指定鉱山労働者(炭則三九条に規定する作業を実施する鉱山労働者)の資格を要する業務があることから、歓迎された。坑内労働の未経験者が、試用員となって三か月以上たって本採用となるのに対し、経験者は、早くて二週間で本採用となった。

(二)  三郎が被告三井鉱山において従事した作業と粉じんの発生

三郎が被告三井鉱山において従事した作業は、主として、芦別鉱業所における採炭作業であった。被告三井鉱山は、この点を争い、三郎は、採炭、掘進、運搬等の作業につき、採炭担当者が休んだ場合などにその代替要員として採炭作業についたことがあるにすぎないと主張し、〈書証番号略〉及び証人梅津の証言にはこれに沿う部分もあるが、これらは、右(一)で認定した、被告三井鉱山における量産体制を背景とする従業員不足と坑内経験の有無による新採用者の取扱いの差異に照らし、直ちに採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三郎の被告三井鉱山における坑内作業は、合計七四日であった。

被告三井鉱山芦別鉱業所は、北海道芦別市の南部に位置し、石狩炭田空知地区の東翼部に鉱区を保有しており、第一坑と第二坑の二坑口で採炭していた。この二坑口は、坑内では繋がっており、別紙(五)の図面のとおりの構造であったが、芦別立坑とその立坑に連絡しているマイナス一八〇メートルレベル大立入坑道を起点として、南側をS1パネルからS2パネルと呼称し、北側は、N1パネルないしN6パネルと呼称していた。三郎が勤務していたのは第一坑であるが、これは、「南部」と「北部」と称する二つの採掘部内からなっており、南部部内はN3パネルとN4パネルを、北部部内はN5パネルとN6パネルを担当し、三郎はN6パネルにおいて作業していた。当時の採掘深度は、海抜プラス一〇メートルからマイナス四一〇メートルの区域であったところ、N6パネルの採掘深度は、海抜プラス一〇メートルからマイナス一八〇メートルの区域である。

採炭方式は、芦別鉱業所における炭層が約六〇度あるので、石炭層の中に約三〇度の偽傾斜の坑道を掘削し、これを採炭切羽面として炭層に沿い、切羽面を前進させるもので、切羽面を前進させる際の小さな作業場を「欠口」といい、切羽面の後方である採掘跡を充填することから、「卸向全充填欠口払」と呼ばれるものであった。

作業の具体的内容は、以下のとおりである。

(1) 発破後の天盤崩落を防止する作業(被告三井鉱山では、これを「山固め」と称していた。)のための材料の用意。

(2) 石炭層の穿孔(オーガーによる火薬装填用の小穴の穿孔)。

オーガーによる穿孔の基本的な仕組み、粉じんの排出は、乾式削岩機に比べれば多くはないが、完全に抑制されるわけではないことは、被告住友石炭の場合と同様である。

(3) 火薬装填。

被告三井鉱山においては、ダイナマイトではなく、硝酸アンモニウム系統の火薬を使用していた。

(4) 発破。

被告三井鉱山においても、後述のとおり、火薬を装填した後の込め物に水タンパーを用い、発破前に炭壁注水を行い、発破時に散水を行うなどしていたので、このような措置がとられない場合に比べれば、発破の際の粉じんの発生は抑制されたが、それでも、発破後は、粉じん及び噴煙の量は、決して少なくはなかった。

(5) 山固め。

天盤崩落を防止するため、木で枠をつけて天盤を押さえていく。

(6) 石炭積み込み

発破後一、二分の後には、石炭積込み作業が開始された。発破により破砕された石炭は、トラフ(鉄板を加工して作ったものであり、石炭を流すのに用いられる。幅0.45メートルの受け皿をつなげたような形状であって、採炭現場である偽傾斜の坑道の上から下まで続いている。)の上を流れて石炭積込み車両が待機する海抜マイナス八五メートルの坑道に達する(これを「炭流し」という。)。この坑道において、石炭のうち大きいものは小割にしたうえ、石炭積込み車両に積み込む。

採炭現場である偽傾斜の坑道の長さは一五〇メートルに及ぶものであり、炭流しの過程で、大量の粉じんが発生した。また、ガス爆発防止のための通風は、発破や炭流しの際に発生する粉じんを希釈・排出した反面、採炭切羽で働く従業員がこれを吸い込む危険を生じさせた。

5  被告青木建設(被告青木建設が三郎に対し安全配慮義務を負うかどうかについては争いがあるが、村田建設が、被告青木建設の下請会社として被告青木建設の施工した工事の施工に当たったこと、三郎が村田建設の現場代理人としてこれらの工事にかかわったことは、原告らと被告青木建設との間において争いがない。そこで、以下それらの施工現場における作業内容、粉じん発生状況について検討する。)。

被告青木建設がずい道工事を施工したこと、村田建設が被告青木建設の下請会社としてこれらの工事の施工に当たったこと、三郎が村田建設の現場代理人としてこれらの工事にかかわっていたこと、三郎と直接の労働契約を締結したのが村田建設であること、村田建設の現場代理人の職務内容が、各作業所において人員配置、作業指示、資材・機械の注文及び現場への設置、元請会社である被告青木建設との打合せなどを行うことであったことは、原告らと被告青木建設との間に争いがなく、右争いのない事実に、〈書証番号略〉、右証言(ただし、一部)及び本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。〈証拠判断略〉

(一)  三郎の村田建設との雇用契約と被告青木建設の施工現場への参加

三郎は、昭和四七年一月、ずい道掘削工事及び巻立事業、一般土木請負業並びにこれらに附帯する一切の事業を目的とする村田建設との間で雇用契約を締結した。

村田建設は、当時、専ら、被告青木建設が請負った工事の下請をしており、三郎は、被告青木建設が別紙(三)の表Aのとおり施工したずい道工事について、別紙(三)の表Bの配置期間の欄の記載のとおり、村田建設の現場代理人としてこれらの工事にかかわった。

(二)  三郎が被告青木建設の施工現場において従事した作業と粉じんの発生

(1) 通常のトンネル工事の場合

三郎が関与した被告青木建設の施工現場のうち、通常のトンネル工事に関するものは、別紙(三)の表A1、3及び4の施工現場であり、別紙(三)の表B1、3及び4の期間であった。

三郎の村田建設現場代理人としての基本的な職務は、各作業所において人員配置、作業指示、資材・機械の注文及び現場への設置、元請会社である被告青木建設との打合せなどを行うこと、給与計算などであった。しかし、作業員に欠員が生じた場合(中でも、工期が迫っている場合)には、代番として坑内に入り、後述の作業に従事し、このほか、安全でない場所がないかどうか点検したり、防護、掘削状況を確認したりするために、一日三、四時間は坑内で過ごした。この点について、被告青木建設は、三郎の基本的な職務が右のとおりのものであることを理由に、坑内に入ることは三郎の職務に属さないと主張し、〈書証番号略〉及び証人近藤の証言にはこれに沿う部分がある。しかしながら、三郎は、これまでに認定したとおり、被告青木建設の施工現場に来るまでに四つの会社において掘削の経験を有する者であり、単なる事務職としてではなく、必要に応じて現場作業もすることができるものとして被告青木建設の施工現場に配置されたものと推認されるところであり、また、下請会社の現場代理人という地位は、工事の進捗に利害関係を有するものであるから、三郎が、作業員に欠員が生じた場合(中でも、工期が迫っている場合)に、代番をしたり、その他、作業状況を監督するために坑内に入ることはごく自然なことであり、右各記載部分及び右証言は、採用することができない。

作業の具体的な内容は、以下のとおりである(ただし、別紙(三)のA4の工事においては、発破を用いないという点で、他の二か所と基本的に施工方法が異なる。)。なお、被告青木建設の施工現場においても、全断面掘削方式が採用されていた。

① 削孔。

被告青木建設においては、湿式削岩機が使用されたが、のみの先を岩盤に当て、穴を開けるときは、湿式で行うと坑夫及び先手の顔や目に水がかかるので、五センチメートルないし一〇センチメートル位穴ができるまでは、乾式で削孔が行われ、粉じんが発生した。乾式による作業は、一つの穴について一分程度であったが、一つの断面につき二〇ないし三〇の穴を削孔するため、発生する粉じんの量は、大量であった。

② ドレンパイプによるくり粉排除

ダイナマイトをスムーズに挿入するために、削孔穴の中に残ったくり粉を、ドレンパイプ(径約二〇ミリメートル、長さ約二メートルの中空鉄管で、L字型にできている。)を使用して、エアーを送りながら、吹き飛ばす。このとき、削孔穴の中が乾燥していると、くり粉が粉じんとなって飛散する。

③ ダイナマイト装填。

④ 発破。

発破直後の切羽は、油煙と粉じんが立ちこめる。

⑤ 換気。

発破後三分ないし五分位して、ずり積み機に使う直径八センチメートル位のエアーホースを、一人が切羽に吹き付け、もう一人が照明をともし足下を確認しながら切羽に前進する。エアーホースを、番線でレールに固定し、強力にエアーを噴出させると、五、六分のうちに油煙と粉じんが見えなくなり、視界がきくようになった。

しかし、この換気によっても、粉じんを完全に排出することはできず、微細な粉じんは坑内に残存していた。

⑥ ずり出し。

ずりを搬出する作業である。この時、浮き石落としも行われる。

ずり積み機は、レール式ロッカーショベルが使用された。これは、坑内のずり運搬用トロッコのレールを切羽付近まで延長敷設して、延長したレールの上を切羽まで進み、切羽でずりをバケットですくい取ってホッパーに入れ、ホッパーからベルトコンベアーまで運搬するショベルカーであり、車体にバケットとホッパー、ベルトコンベアーを備えている。

バケットの反転の際や浮き石落としの際、粉じんが発生した。

⑦ 支保工建込

トンネルの二次覆工(コンクリート巻立)まで地山を保持する作業であり、一次覆工と位置付けられる。R型の鋼製枠を組み立て、その回りを矢板と丸太及び継ぎボールトを使用し、一メートルから1.3メートル間隔で建て込む。

作業そのものから粉じんは発生しないが、それまでの作業によって発生した粉じんは、坑内に浮遊している。

以上が一工程の作業であり、昼勤及び夜勤のそれぞれにつき、二工程の作業がされた。このほか、最終的に、二次覆工として、トンネルを永久に保持するためにコンクリートを巻き立てる作業が行われた。

なお、別紙(三)の表A4の作業所においては、発破によらず、ロードヘッダーにより掘削された。ロードヘッダーは、車体上に設置された伸縮できるシリンダーの先端に、高速回転して掘削する多数の刃を装備した頭部(ヘッダー)で土砂を掘削して進む機械である。掘削した土砂は、ギャザリング(かき寄せ方式。ヘッダーのシリンダー下部に設置されている。)で自動的に集めて車体内に積み込み、車体からベルトコンベヤーで後方に移動搬送する。掘削に火薬による発破を必要としない。ずり積み作業の人手も不要である。動力は、油圧式、あるいは、それを介した油圧駆動式である。このようなものであることから、別紙(三)の表A4の作業所における粉じんの発生は、他の二か所のトンネル工事に比べれば格段に少なかった。

(2) シールド工法の場合

三郎が関与した被告青木建設の施工現場のうち、シールド工法が用いられたものは、別紙(三)の表A2、5ないし9の施工現場であり、別紙(三)の表B2、5ないし9の期間であった。

シールド工法を用いる工事は、主として都市部で行われた。そのおおまかな手順は、元請である被告青木建設が、町の中に作業基地を確保し、その中の一定の場所に深さ一五メートルから三〇メートルの立坑を掘削築造したうえで、本工事である横式のトンネルを掘削しながら、一次覆工、二次覆工と進み、最後に立坑内に四角又は円形型のマンホールを構築するというものであった。

三郎は、村田建設現場代理人としての基本的な職務のほか、作業員に欠員が生じた場合(中でも、工期が迫っている場合)に、代番として坑内に入り、作業員同様の作業に従事し(もっとも、村田建設は、シールド工事の掘削そのものは行わなかった。)、このほか、安全でない場所がないかどうかを点検したり、防護、掘削状況を確認したりするために、一日三、四時間は坑内で過ごしたことは、トンネル工事の場合と同様であった。

三郎が代番として従事した作業のうち、立坑の掘削築造作業の概要は、機械による掘削、H鋼枠の組立、土止壁防護、階段の設置、開口部墜落防止柵の設置、立坑底コンクリート巻立及び排水設備、トンネル掘削シールド機設備があり、このほか、地上にずり搬出用の配管設備又は門型クレーンを設置する作業があった。これらの作業を行う過程で、電気溶接や酸素アセチレンガスにより鉄骨を切断する必要が生じ、特に、掘削が深くなるに従い、作業場所が狭窄となるため、溶接や切断の中で発生した煙を吸い込む危険が増大した。

シールド工法の内容は、施工現場によって異なり、分説すると以下のとおりである。

① 別紙(三)の表A2、A5

手掘り式シールド工法。シールドの全面が開放され、切羽掘削やずりの積込み作業を、ピック(ノミとそれを叩くハンマー、すなわち、ピストンを一体化した打撃式破砕機)やスコップ、ハンマーなどを用い、人力により施工する方法である。

② 別紙(三)の表A6、A9

半機械掘り式シールド工法。土砂の掘削、積込みに動力掘削機を使用し、手掘り式シールド工法の掘削能率を改善したものである。一般には、掘削・積込み併用機が使用され、掘削機の形式によりバックホーム式、ブームカッター式に分けられるが、別紙(三)の表A6、A9作業現場では、ブームカッター式が用いられた。ブームカッター式は、掘削機にロードヘッダーを用いるものである。

③ 別紙(三)の表A7

ブラインド式シールド工法。非常に軟弱な粘土やシルト(砂と粘土の中間の粒子)質地盤など、切羽の土質が悪く、流動性が大きい場合に、切羽前面を隔壁で密閉し、推進ジャッキでシールドを推進させると同時に、土圧を発生させ、隔壁の一部に取り付けた土砂取込み口から土砂をシールド内部に取り込み、排土する。排土は、トコロテン式に土砂取出し口から出てくる土砂を、ベルトコンベヤーに乗るように、一人の作業員がスコップでカットする方法。

④ 別紙(三)の表A8

泥水加圧式シールド工法。開放型とは異なり、掘削により開放された土圧と水圧に対抗させるためシールド機全部のカッター(掘削機)の跡に隔壁を設け、カッターと隔壁の間にチャンバ(部屋)を作り、チャンバ内に泥水を加圧して送泥することにより、切羽の安定を図りながら掘進する。掘削土砂は、地上に設置された泥水処理プラントまで、ポンプで排泥され、そこで泥水と土砂に分離される。そして、泥水は、再び切羽に戻され、以後循環される。掘削土を泥水とともにパイプ輸送するため、作業員がシールド坑内に入って排土をする作業がない。

シールド工法による作業は、湿潤な土層の掘削が多く、①から④の順に粉じんの発生量は減少した。ことに、④の工法については、掘削土を泥水とともにパイプ輸送することから、ほとんど粉じんは発生しなかった。反面、①、②の工法においては、粉じんの量は、発破を行う場合ほどではないにしても、少ないとはいえないものであった。また、①ないし④のいずれの工法をとるかにかかわらず、トンネルが延長するにつれ、空気が流れずに汚れていき、粉じんが漂う状態となった。

このように、シールド工法による掘削作業そのものでは粉じんの発生は少なかったが、それに付帯する作業、例えば、シールド工事用資材(鉄筋鉄骨が多い。)の溶接・溶断作業、シールド機械の解体作業では、これらに、油圧式であるシールド機械に用いられる油が付着していることから、高濃度の煙が発生した。三郎は、この作業に代番で従事し、あるいは、監督のために坑内に入った。

また、シールド工法においては、掘削が終了した後、二次覆工(永久にトンネルを保持するために、セグメント支保工の下面に鋼製のアーチ型枠をリング型にセットし、コンクリートを打設する作業)があり、その手順は、型枠組立、コンクリート打設、型枠脱臼(型枠を縮めること)、型枠ケイレン(付着しているモルタル又はコンクリートを取り除くこと)と整備、型枠セットと油噴霧というものである。このうち、型枠ケイレンは、仕上がったコンクリート表面の凹凸(この凹凸発生の防止のため、型枠をセットする段階で油を塗布するが、それによって型枠ケイレンが不要となるものではない。)をなくし、商品価値を高めるためのものであり、動力回転ブラシを用いて行われ、粉じんが発生し、現場が狭窄した場所であるため、吸入の危険も大きかった。三郎は、この作業にも代番で従事し、あるいは、監督のために坑内に入った。

このほか、トンネル内部のコンクリート巻立後、クラックが生じた際に専門会社がクラック部分をV字型に削って塗り固める作業があり、このときに微細な粉じんが発生し、浮遊した。また、コンクリート巻立後の坑内清掃をするとき、硬化熱によって乾いているところは、セメントの粉じんが舞い上がった。三郎は、これらの作業に直接従事したわけではないが、これらの作業は、一本のトンネル内で作業が行われているので、坑内にいる者は粉じんを自然に吸い込む状態になる。

二じん肺の基本的な病像

〈書証番号略〉に弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

1  じん肺の定義

じん肺法二条一項一号は、じん肺について「粉じんを吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病をいう。」と定義している。臨床病理学的には、「じん肺とは各種の粉じんの吸入によって胸部X線に異常粒状影、線状影があらわれ、進行にともなって肺機能低下をきたし、肺性心にまでいたる。剖検すると粉じん性線維化巣、気管支炎、肺気腫を認め血管変化をも伴う肺疾患である。」(佐野辰雄「日本のじん肺と粉じん公害」七七頁)と定義されている。

2  じん肺の発生機序

じん肺の発生機序、すなわち、粉じんの身体への吸入とそれによる疾病のあらましは、以下のとおりである。

粉じんの侵入経路は、主に経気道であり、呼吸の過程で空気に混じって吸入される。

吸入された空気は、鼻腔、喉頭、気管、気管支、肺胞の順で入ってきて、肺胞で空気中の酸素と血液中の炭酸ガスが交換され(これを「ガス交換」という。)、逆の経路で空気は体外に吐き出される。粉じんが浮遊している空気を吸い込んだ場合、その粉じんが気道(鼻腔から気管支までの空気の通路)の壁又は肺胞の壁にいったん接触すると、そこに沈着する。このうち、血液等に溶けやすい成分は、血液等の体液に溶け込み身体の各部に運ばれ、じん肺の問題とはならない。

粒径の大きい粉じんは、大部分は鼻腔に沈着して取り除かれる。除去されなかった粉じん(五ミリミクロン以下のものが多い。)のうち、一部は気道に付着し、気道粘膜の上皮細胞の線毛の働きで痰に混じって再喀出される(気道に付着したものの八〇パーセントないし九〇パーセントにも達するといわれる。)が、吸入される量が多いと、気管支を通じて肺胞内に到達する。このうち、一ミリミクロンより小さい粒径のものの多くは、呼気と共に体外に排出され、その残りを肺胞から出てくる喰細胞が体内に取り込んでしまう。

粉じんにけい酸が多いと、粉じんをとった喰細胞は、リンパ腺に運ばれて、ここに蓄積される。けい酸を多く含む粉じんは、リンパ腺にたまってリンパ腺の細胞を増殖させ、その結果、細胞がこわれて、膠原線維が増加する。膠原線維が増加すると、それによって置き換えられたリンパ腺は、本来のリンパ腺の機能であるリンパ球の生産、害物の解毒、免疫体生産は、もはや行われない。リンパ腺がこのように閉塞されてしまうと、その後吸収された粉じんは、どんどん肺胞腔内に蓄積することになるが、こうなると肺胞壁がこわれてきて、そこから線維芽細胞という線維を作る細胞ができ、肺胞腔内にも線維ができ、固い結節ができてくる。これがけい肺結節である。

これに対して、けい酸分が少ない粉じんの場合、リンパ腺には行きにくく、喰細胞によって取り除かれなかったものは、始めから肺胞腔内に蓄積され、以後同様に結節を形成する。これをじん肺結節という。

これら結節の大きさは、0.5ミリメートルないし五ミリメートル以上にわたるが、吸じん量が増加するほど、大きさも数も増えていき、最後には融合して手拳大の塊状巣を作ることになる。結節が増大するということは、その領域の肺胞壁が閉塞することであり、塊状巣の中では、かなり大きな気管支や血管も、最後には狭窄したり、閉塞したりする。

このような粉じん変化の進行につれて、気管支変化も必至である。臨床的に気管支炎がなくても、細小気管支腔は狭くなって、呼吸時気道の抵抗が大きくなって、末梢の肺胞壁に負担がかかり、次第に壁が破れて、肺胞腔は拡大する。これが肺気腫であって、正常の肺胞の直径は0.3ミリメートルないし0.5ミリメートルであるのに、一ミリメートルを超え、一〇ミリメートル以上、時には一〇〇ミリメートルにも達する。

気腫肺には、ほとんど血管を欠いているから、空気が入って来てもガス交換を行いえない。つまり、機能のない肺胞である。

3  じん肺の特徴

じん肺の右臨床病理学上の基本的病変のうち、慢性気管支炎は軽いうちには可逆的な変化であるが、粉じん性線維化巣、気管支炎、肺気腫は、治すことのできない不可逆性の変化である。

4  じん肺の種類

じん肺は、起因物質や症状により、いくつかに分類される。ただし、その分類も、一定の起因物質のみを継続的に吸入した患者を想定した、いわば理念的なものであり、複数の起因物質を吸入する者が少なくない現状では、これを絶対視することはできない。

以下、三郎に関連すると思われるものを挙げる。

(一)  けい肺

リンパ腺の変化が著しいので、リンパ型と称される。

(1) 典型けい肺

けい酸を三〇パーセント以上含んだ粉じんの吸入によって起こる。通常、一〇年以上の吸じんで、二〇年以上たつと粉じん性塊状巣が発生する。結節は、どのじん肺より線維化が強くて固いので、エックス線によく現れる。線維化が強く起こり、ある量以上は、容易に塊状巣を形成するので、有害度は高度とされる。

(2) 非典型けい肺

けい酸分が二〇パーセント以下の粉じん吸入で起こり、肺野の結節は典型けい肺より小さく、塊状巣のできるのは三〇年以上たってからのものが多い。有害度は中度とされる。

(二)  溶接工肺

溶接時に、酸化鉄じんを吸入することによって起こる。リンパ腺の線維化がないか、あってもけい酸に比べればはるかに少ないので、肺胞型と称される。

有害度は、中度とされる。

(三)  炭鉱夫じん肺

炭鉱夫が作業をする中で粉じんを吸入することによって起こる。粉じんは、炭粉が中心であるが、それに限られない。溶接工肺同様、肺胞型である。

他のじん肺に比べ、線維化も変性も強くないので、有害度は、軽度とされる。

5  じん肺の有害性に関する考え方

溶接工肺や炭鉱夫じん肺を始めとする炭素系じん肺については、かつて無害なじん肺、すなわち、良性じん肺とする研究もあったが(〈書証番号略〉)、ほぼ同時期に、じん肺発生産業として石炭山、金属山、石切場をはじめ、トンネル工事、道路など一五の産業をじん肺発生産業とする研究もあり(石川知福「塵埃衛生の理論と実際」昭和一三年〈一九三八〉)、評価は一定していなかった。現在では、じん肺発生の基本共通の因子は、粉じんが不溶性あるいは難溶性であって、組織内及び肺胞内に長く滞留しうるという物理的性質、すなわち、異物性にあるとされ、これらのじん肺も有害なじん肺に発展するものとする見解が有力である。

すなわち、肺の中に入って溶けない粉じんで、多量に吸入しても有害なじん肺を起こさないものはなく、反面、どのような粉じんでも、少量の吸じんにとどまる限り、肺機能は余裕の大きいものであるから、無害に等しいともいえる。

6  じん肺の発症を左右する要因

じん肺の発症を左右する要因としては、粉じんの化学的組成、粉じんの粒径、粉じんの吸入量、人体側の要因があげられている。

(一)  粉じんの化学的組成

粉じんに含まれる化学物質の種類と量の問題であり、特有の中毒を起こす化学物質の量が多いと、発症の危険が大きい。

(二)  粉じんの粒径

粉じんの粒径によって沈着する部位が異なり、沈着する部位によって健康障害の質も異なるということで、問題となる。

(三)  粉じんの吸入量

健康障害を起こす有害因子の場合には、一般的に、ばく露量が増加するに従って健康障害の程度も重くなるといわれている(これは「量―反応関係」、「量―影響関係」と呼ばれる。)。

ばく露量は、「ばく露濃度×ばく露時間」で表すことができる。このことから、同じばく露時間であれば、ばく露濃度が高いほど、同じばく露濃度であれば、ばく露時間が長いほど、一般により重篤な健康障害を起こすことになる。

一方、ばく露量が非常に少なく場合には、はっきりした(医学的検査で発見することができる)健康障害を起こさないことも知られており、「無作用レベル」と呼ばれることもある。

けい肺の場合には、吸入した粉じん量だけでなく、遊離けい酸の含有率が高いほど重篤化することが知られている。

(四)  人体側の要因

同じようなばく露条件下であっても、人間の側の要因によって、健康障害の病像や程度が異なってくることが知られている。これらの要因としては、性、年齢、体質、習慣、健康状態等種々の要因があげられる。

じん肺の場合、ほぼ同じようなばく露条件下でも、粉じんにばく露する年齢が高いほど、粉じんばく露開始からエックス線写真でじん肺の第一型の陰影を認めるまでの期間が短くなるとの報告もあり、じん肺罹患と加齢との間の何らかの関連性を示唆しているとされる。

三じん肺に対する社会の認識

〈書証番号略〉に弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事案が認められる。

じん肺は、古くから「よろけ」と呼ばれ、鉱山等粉じんが多く発生する作業に従事する労働者が多く罹患する疾病として知られていた。

昭和五年には、鉱夫についてけい肺が業務上疾病とされ、昭和一一年には、これが鉱夫以外の一般のけい肺にも拡張された。

昭和二二年、労働基準法が公布されると、じん肺対策に本格的に取り組むことになり、昭和二三年には、労働省が、けい肺対策協議会を設置し、また、けい肺巡回検診を開始した。

昭和二七年、労働省は、けい肺罹患のおそれのある労働者数を推定したが、その内容は、金属鉱業一四万三三〇〇人のうち七万一六五〇人(五〇パーセント)、窯業及び土石業二二万六八〇〇人のうち六万四〇四〇人(三〇パーセント)、石炭鉱業四七万七六〇〇人のうち一四万三二八〇人(三〇パーセント)、鋳物業八万五三〇〇人のうち六万八二四〇人(八〇パーセント)というものであった。

昭和二九年、けい肺対策審議会は、けい肺患者推定数を四万〇六〇六人とした。これを産業別にみると、金属鉱業七二〇〇人(一八パーセント)、石炭一万一七三〇人(二九パーセント)、鋳物業八〇一五人(二〇パーセント)、窯業六三九六人(一六パーセント)、ずい道工事二三〇七人(六パーセント)、土石工事一五三〇人(四パーセント)とされている。

昭和三〇年、けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法が制定され、昭和三五年、旧じん肺法が制定された。旧じん肺法になると、使用者に、防じん対策を講じ、粉じん作業に従事する労働者に対するじん肺教育、健康診断を行う義務が課された。

昭和五三年、改正じん肺法が制定された。じん肺の定義が改正され(粉じんの種類を限定しない。)、じん肺に係る健康管理区分が改正され、粉じんばく露の低減ないし中止等、健康管理のための措置が充実されたのが主要な眼目である。

四労働者を粉じんを発生させる業務に従事させる者の安全配慮義務の内容

安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきものであって、その社会的接触の関係を認めるには、必ずしも直接の契約関係(例えば雇用契約)を必要としないものである(最判昭和五〇年二月二五日民集二九巻二号一四三頁、最判平成三年四月一一日判例時報一三九一号三頁)。

前記一で認定した被告らの作業現場における粉じんの発生状況、前記二で認定したじん肺の基本的な病像及び前記三で認定したじん肺に対する社会の認識を前提にすると、被告らは、自己の作業現場において、自己の定めた工程により、自己が作業用機械を提供して労働者を粉じんを発生させる業務に従事させていたのであるから、労働者がじん肺に罹患しないようにするため、以下のような安全配慮義務を負うものというべきである。

1  粉じんの発生を防止、制御するために、

(一)  削孔に際しては湿式削岩機を用い、これを湿式本来の使用法に則って使用するよう労働者を指導、監督する。

(二)  粉じんが発生する作業現場で、十分な散水、噴霧を行う。

(三)  発破後は、粉じんが希釈されるまで、労働者を退避させ、切羽に近付けない。発破後は十分な換気がされるように配慮する。

2  右1の粉じんの発生の防止・抑制策を実効的に行うため、労働者が作業に従事する現場において粉じんの量を測定する。

3  粉じんの労働者の体内への侵入を防止するため、

(一)  効果的なマスクなどの保護具等及び交換部品を支給する。

(二)  労働者の賃金水準を確保しながら、労働時間を短縮したり、休日、休暇、休憩を保証するなど粉じん等のばく露時間を短くする。

4  罹患者を早期に発見し、適切な処置をとることができるよう、エックス線検査を含む健康診断を行う。特に、旧じん肺法施行以後は、じん肺健康診断を行う。

じん肺罹患者を発見した場合には、これを直ちに本人に通知し、非粉じん作業現場に配置転換する。

5  労働者に対し、粉じんの恐ろしさ、防止方法などについての安全教育を徹底する。このことは、右3(一)の粉じんの侵入防止策や、4第二段の配置転換を実効的ならしめるためにも不可欠である。すなわち、マスクの使用が息苦しさを伴い、特に肉体労働において顕著であって、労働者がこれを外しがちであることや、非粉じん作業現場への配置転換が賃金の低下を伴いがちであることから、労働者がこれを避けようとすることを考慮すれば、じん肺が重篤な病気であることやその発症のメカニズムについて、労働者が理解できるように、十分な指導をしなければならない。

五被告青木建設の安全配慮義務

被告青木建設は、同被告が三郎に対する安全配慮義務を負っていたことを全面的に争うので、以下検討する。

1  被告青木建設が建築業、建築の設計、工事監理に関する事業等を目的とし、昭和二二年五月に設立された株式会社で、その資本金額が昭和六三年七月末日現在四一八億二〇三七万六三一八円であること、被告青木建設が、昭和四九年、被告青木建設の施工工事に係る下請負業者が当該下請負契約の締結及び工事終了と同時にそれぞれ自動的に入会及び退会する組織で、会員及び下請負業者の資質向上及び発展を目的とする協力会(被告青木建設は、特別会員としてこれに加入する。)を発足させ、村田建設が昭和四九年四月から昭和五九年七月までこれに加入していたこと、被告青木建設が、協力会を通じ、村田建設を含む会員相互の労災互助事業、会員の労務、安全衛生監理に関する指導及び援助、会員の基幹要員及び作業員に対する教育、研修を行っていたこと、被告青木建設が村田建設に施工に要する機械、器具及び工具類の供与、木材、鉄パイプ、セメント等の資材の供給をしたこと、被告青木建設が村田建設に事務所及び宿舎を提供し、その保安責任者が三郎であること、安全教育については、被告青木建設の安全課の職員が、月一回、約一時間、現場事務所でこれを行っていたほか、工事現場、宿舎等を随時点検していたこと、各種資格を取得するための技能講習については、被告青木建設においてこれを行ったこともあり、また、各種協会が行う技能講習会への派遣の指示は被告青木建設が行ったこと、労災保険上の使用者が被告青木建設であり、労災保険料は被告青木建設が納付していたこと、被告青木建設が毎日村田建設の賃金支払状況を点検していたことは原告らと被告青木建設との間において争いがなく、右争いのない事実に、〈書証番号略〉(なお、同号証について、原告らは、三郎の署名及び印影を否認するが、右証言によれば、三郎は、村田建設の関係者が三郎名義でした署名押印を追認したものと認められる。)、右証言、右本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

(一)  被告青木建設と村田建設の基本的な関係

(1) 被告青木建設は、建築業、建築の設計、工事監理に関する事業等を目的として昭和二二年五月に設立された株式会社であり、その資本金額は、昭和六三年七月末日現在四一八億二〇三七万六三一八円である。

村田建設は、ずい道掘削工事及び巻立事業、一般土木建築請負業等を目的として昭和四六年二月一六日に設立された株式会社であり、その資本金額は、設立当初二〇〇万円、昭和五八年二月一五日八〇〇万円、昭和五八年五月二二日二〇〇〇万円となった。

(2) 村田建設は、被告青木建設が請負った工事の下請工事施工業者として、トンネル部門を担当していた。

三郎が村田建設に入社したころは、村田建設には、被告青木建設以外には元請会社はほとんどなかった。

村田建設は、三郎が作業に従事した別紙(三)の表Aの工事現場では、被告青木建設のトンネル部門をほぼ専属的に担当していた。

(3) 被告青木建設と村田建設は、一定の期間を区切って下請基本契約を締結し、これに定める条項は、その期間内の個別的な工事請負契約に適用されるものとされた。

昭和五六年九月三〇日に締結された下請基本契約(存続期間同年一〇月一日から昭和五七年三月三一日まで)には、以下のような条項が含まれている。なお、右下請基本契約において、被告青木建設は甲、村田建設は乙と表示されている。

第五条(関連工事との調整)

1  甲は、元請工事を円滑に完成するため、この工事と施工上関連する工事(以下「関連工事」という。)との調整を図り、乙はその指示に従う。

2  乙は、関連工事の施工者と緊密に連絡調整を図り、元請工事の円滑な完成に協力する。

第六条(法令等遵守の義務)

1  甲及び乙は、施工にあたり、建設業法、その他施工・労働者の使用等に関する法令及びこれらの法令に基づく監督官公庁の行政指導を遵守する。

2  甲は、乙に対し、前項に規定する法令及びこれらの法令に基づく監督官公庁の行政指導に基づく、必要な指示・指導を行い、乙はこれに従う。

第九条(安全・衛生の確保等)

1  乙は、施工にあたり、事業者として工事従事者の災害の防止に万全を期する。

2  乙は、この契約締結に際し、就業管理及び安全衛生管理に関する誓約書を甲に提出し、これを遵守する。なお、乙は災害防止のため、甲の安全衛生管理の方針及び安全衛生管理計画を遵守するとともに、自ら作業基準を確立し、かつ責任体制を明確にする。

3  乙は、その被用者及び乙の下請負人の被用者の業務上の災害補償について、労働基準法第八七条第二項に定める使用者として補償引受の責を負う。労働者災害補償保険(以下「労災保険」という。)の取扱いについては、注文書・注文請書において次のいずれによるかを定めるものとする。

ⅰ  甲が加入する労災保険による。ただし、乙もしくはその被用者又は乙の下請負人もしくはその被用者の責による労災保険に定める不正支給、故意又は重大な過失による事故などにかかわる徴収金の事業主負担分については、乙がこれを負担する。

ⅱ  労働保険の保険料の徴収等に関する法律第八条第二項の定めにより、労災保険法による補償について、乙を事業主とする許可を受けた場合は、乙が加入する労災保険による。

第一六条(関係事項の通知)

1  乙は、甲に対して、個別工事に関し、次の各号に掲げる事項を個別契約締結後、遅滞なく書面をもって通知する。

(1)  建設業の許可業種及び番号

(2)  現場代理人をおくときはその氏名及び主任技術者の氏名

(3)  雇用管理責任者及び安全管理者の氏名

(4)  その他施工上法律でおくことを義務づけられた有資格者などの氏名

(5)  工事現場において使用する一日当たり平均作業員数

(6)  工事現場において使用する作業員に対する賃金支払の方法

(7)  その他甲が工事の適正な施行を確保するため必要と認めて指示する事項

第一八条(作業所長)

1  甲は、自己に代って工事現場を総括し、乙を指揮・監督するとともに関連工事との調整を図って元請工事を円滑に完成するため、作業所長をおくときは、その氏名を乙に通知する。

2  乙が、この約款に基づく指示・検査・立会・承認などを求めたときは、作業所長はすみやかにこれに応ずる。

3  作業所長は、この約款に基づく検査・立会などのため、現場監督員をおくときは、その氏名及び権限を乙に通知する。

第一九条(現場代理人及び主任技術者)

1  乙は、原則として工事現場に常駐し、個別契約にかかわるいっさいの事項を処理する。ただし、乙は予め甲に通知して現場代理人を定め、自己に代りその職務を行わせることができる。

2  現場代理人は、乙に代って工事現場いっさいの事項を処理し、その責を負う。ただし、工事現場の取締・安全衛生・災害防止又は就業時間など工事現場の運営に関する重要な事項については、作業所長の指示に従う。

3  主任技術者は、施工の技術上の管理をつかさどる。

4  現場代理人と主任技術者はこれを兼ねることができる。

第二一条(工事材料、工事用機器)

1  乙は作業所長の検査(試験を含む)に合格した工事材料を使用する。作業所長は工事用機器について適当でないと認めたものがあるときは、乙に対してその交換を求めることができる。

2  前項の検査に直接必要な費用は乙の負担とする。

3  乙は、工事現場に搬入した工事材料又は工事用機器を工事現場外に持ち出すときは、作業所長の承諾をうける。

4  第一項による不合格工事材料又は適当でないと認めた工事用機器は、作業所長の指図によって乙がこれを引き取る。

5  工事材料のうち設計図書にその品質が明示されていないものについては、作業所長の指示による。

第二二条(立会)

1  乙は、地中又は水中の工事・その他施工後外から見ることのできない工事を施工するときは、作業所長の立会を求める。

2  乙は工事材料のうち調合を要するものについては、作業所長の立会を得て調合したものでなければ、これを使用してはならない。

(4) 被告青木建設は、昭和四九年、被告青木建設の施工工事に係る下請負業者が、当該下請負契約の締結及び工事終了と同時にそれぞれ自動的に入会及び退会する組織で、会員及び下請負業者の資質向上及び発展を目的とする協力会(被告青木建設は、特別会員としてこれに加入する。)を発足させ、村田建設は、昭和四九年四月から同五九年七月までこれに加入していた。

被告青木建設は、協力会を通じ、村田建設を含む会員相互の労災互助事業、会員の労務、安全衛生監理に関する指導及び援助、会員の基幹要員及び作業員に対する教育、研修を行っていた。

なお、被告青木建設と村田建設との個別的な工事請負契約の契約書には、不動文字で、「乙は、甲の組織する協力業者労災互助会に必ず加入すること」と記載されている。ここにいう甲は被告青木建設、乙は村田建設、協力業者労災互助会は協力会を指すものである。

(二) 村田建設が施工に要する機械、機具及び工具類の供与、木材、鉄パイプ、セメント等の資材の供給及び管理等

村田建設が施工に要する機械、機具及び工具類、木材、鉄パイプ、セメント等の資材については、被告青木建設が一括して注文した。

これらの物については、基本的には、被告青木建設が村田建設に供与、供給することになっていたが、現場によっては、一部村田建設が負担するものもあった。村田建設が負担する場合であっても、被告青木建設の方が村田建設より信用度及び資金力でまさっていることから、被告青木建設が注文した方が安くなる場合が多いため、村田建設の依頼に基づき、被告青木建設が注文主となって取り寄せた。

使用材料(コンクリートなど)、二次製品(ヒューム管などコンクリート製品で出来上がったもの)等の資材については、全体の管理責任は被告青木建設にあり、これを村田建設が使用するときは、村田建設から、被告青木建設に対し、その都度要求伝票を提出することになっていた。

その結果、被告青木建設の村田建設に対する注文金額は、勘定科目としては、外注労務費という分類となった。

また、被告青木建設は、村田建設が施工する現場の換気設備等の設置をすることになっていた。

(三) 村田建設の事務所及び宿舎

村田建設の事務所及び宿舎は、基本的には被告青木建設が提供したが、現場によっては、村田建設の負担で設置されることもあった。

これらの施設の管理権限は、基本的には、村田建設の現場代理人である三郎にあった(三郎が、事務室や宿舎の保安責任者とされていた。)が、被告青木建設も、対外的な管理責任を負い、火災等の災害防止設備について三郎に対する指導監督をする等、重畳的に管理権限を有していた。

(四) 工程等の管理

(1) 被告青木建設による村田建設の工程等についての基本的な管理

被告青木建設は、各作業所において、村田建設を含む各下請業者の分担する工事の工程、品質、安全について全体的な管理をした。また、労働時間についても、被告青木建設において決定し、各下請業者が統一的に同じように行うよう管理していた。

これらの管理の方法は、毎日一定の時間、当該作業所における被告青木建設の全職員と各下請業者の責任者とが集まるミーティングにおいて、被告青木建設から各下請業者に指示をするものであった。

被告青木建設は、このほか、工程については、被告青木建設が請負った元請工事の工期を各下請業者に示し、また、各下請業者に、それぞれの工程を提出させて全体的な工程管理を図った。

被告青木建設は、三郎に対し、作業日報を毎日作成し、提出するよう指示していた。

(2) 被告青木建設の元請負工事の工期が迫っている場合の管理

被告青木建設は、村田建設の当面の工事ないし作業工程の進捗状況からみて従前の人員配置及び作業方法では工期内に完成を期しがたいと認められる場合、前記ミーティングにおいて、村田建設の現場代理人であった三郎に対し、工期内に完成を期しうる要員及び作業体制を緊急に整備するよう要求するなどした。また、被告青木建設は、村田建設の工事が予定どおり進まず、工期に間に合いそうもないような場合には、村田建設の現場代理人であった三郎に対し、右(1)のとおり統一的に設定した労働時間を延長するよう指導した。

(五) 被告青木建設の村田建設を含む下請業者への安全指導

(1) 安全衛生管理規程の制定とそれに基づく安全協議会

被告青木建設は、「会社(注・被告青木建設)の安全衛生管理を推進するための基本的事項を定め、もって快適な作業環境を確立し、関係従業員の福祉を増進するとともに、工事の安全施工を図ることを目的とする」安全衛生管理規程を制定した。

安全衛生管理規程によれば、被告青木建設の職員は、下請企業及びその従業員に対し、安全衛生に関する法令その他の諸規程に定める基準を遵守するよう必要な指導、指示を行うべきものとされている。

また、被告青木建設は、安全衛生管理規程に基づき、作業所ごとに安全協議会という名称の、災害防止、衛生管理等作業環境整備のための協議会を設置、運営した。安全協議会は、被告青木建設の職員から構成された役員(その首位に立つ議長は、通常は被告青木建設の作業所長である。)と、会員(被告青木建設の職員及び下請業者)からなっており、毎月定期的に一回開催された。そこでの協議事項は、安全に施工を行うに当たっての役員全員からの注意点の指摘、作業環境の点検、その他安全に関する連絡事項の確認、施工中のデータ(発破時の坑内の振動、騒音による影響について等)の発表などである。

(2) 工事打合せ(安全ミーティング)

被告青木建設の職員と下請業者の責任者とが、毎日作業所の事務所内で工事の打合せを行ったのは右(四)(1)のとおりであるが、そこでは、工程の問題のほか、安全についても、被告青木建設側から下請業者に指示がされた。

そして、被告青木建設は、下請業者に対し、安全についての伝達が下請業者の作業員の末端までされるように要求し、これを徹底するため、「TBM―KY活動」を行った(TBM―KYとは、Tool Box Meeting―危険予知の略である。)。これは、①協議の内容について安全作業記録簿に記載され、出席者全員がこれを確認し、押印をする、②下請業者の責任者は、①で決められた事項を、被告青木建設から支給される「KYノート」に記入し、それに基づき同日の夕方に主要な作業員を集めてミーティングをし、更に、翌朝、各作業所において作業員全員とそれに基づく打合せをし、作業員は、伝達事項を確認したことを示すため、「KYノート」の所定欄に押印する、③下請業者の現場代理人か世話役が、「KYノート」を被告青木建設に提出する、というプロセスで行われる。

そして、被告青木建設は、安全対策が十分でないと判断した下請業者に対しては、これとは別に、安全ミーティングの席で、注意すべき事項を記載した安全指示書を交付し、下請業者の責任者には、その是正に努め、その過程を示す報告書を被告青木建設に提出することが求められた。

(3) 安全パトロール

安全パトロールとは、作業所等を巡回して安全体制をチェックするものであるが、被告青木建設の各支店の労務安全担当者が所管内の全作業所について行うものと、各作業所で被告青木建設の職員と下請業者の責任者が行うものとがあった。

前者を行うに際して、被告青木建設の職員への安全教育も行われたが、その中には、下請業者等に安全教育(例えば、不安全作業の状態を発見した場合には、直接作業員に注意するとともに、下請業者の現場代理人からも再教育するように頼むなど。)を行うべきことも含まれていた。

後者は、各工事現場で、被告青木建設の職員と下請業者の責任者(通常は現場代理人)とが、作業現場、倉庫、事務所及び宿舎等を、災害の防止、不安全作業の指導、環境の整備及び衛生状態の改善等の観点から見て回るものであり、その場で問題箇所を指摘し、改善を命じたり、見回り後事務所で対策の協議検討を行うなどした。

(4) 防災活動

被告青木建設では、作業所単位で自衛消防組織を作っているところ、その組織の構成は、被告青木建設の所長が隊長となり、以下消火班、救護班等を被告青木建設の職員と下請業者の作業員とにより編成した。

(5) 救護訓練

被告青木建設は、作業所に設置する自衛消防組織に基づいて、緊急体制で救護訓練を行い、救護用呼吸器の設置や取扱いの訓練と実際の救護活動訓練を実施していた。

(6) 作業所入場者教育

被告青木建設は、下請業者の従業員が下請業者に採用されて新たに作業所に来た時(入場時)は、第一日目、半日位をかけて会社の所長以下会社全職員によって、まず、雇入れ教育を行った。雇入れ教育は、作業所における工事の概略の説明をした上で、採用者の担当する作業や安全の教育と必要届出書類の作成とを行うものである。

(7) 協力業者表彰制度

被告青木建設は、下請業者のうちで特に会社の工事に協力し、業績・工期・品質・安全等に貢献し、あるいは、社会的善行で会社の名誉を高めた者に対して、その功績を讃え、労をねぎらうことを目的として、協力業者表彰制度を設けている。三郎に対しては、昭和五七年五月に安全優良賞、昭和五九年五月には安全努力賞が授与されている。

(六) 技能講習等

元請、下請を問わず、各種資格をとるための技能講習等については、被告青木建設が行ったこともあり、各種協会が行う技能講習会への作業員全員の参加の指示は、被告青木建設が行った。

(七) 労災保険上の使用者の地位と保険料の納付

三郎について、労災保険上の使用者は被告青木建設であり、労災保険料は、被告青木建設が納付していた。

(八) 賃金支払状況の報告

村田建設は、毎月、被告青木建設に対し、賃金支払明細書を提出し、被告青木建設は、その支払状況を点検していた。

(九) 三郎の村田建設における立場

(1) 給与

三郎は、村田建設から給与を支給されており、その額は最終的には一か月四五万円であった。

右給与は、一般の作業員が請負給だったのとは異なり、固定給であり、また、一般の作業員と違って、食費、布団代、仮渡金の控除などはない。

(2) 役員への就任

三郎は、一時期、村田建設の取締役の地位に就いていたことがある。

しかし、村田建設は、代表取締役である村田雅生の実弟やいとこなどを役員に配した同族会社であり、三郎が取締役であったといっても、それは、名目的なもので、三郎は、村田建設から役員報酬の支払いも受けていなかった。

(3) 作業現場での地位

三郎は、昭和四七年、村田建設に雇用され、被告青木建設の作業現場で就労を開始したころは、大世話役と呼ばれていた。

三郎は、その後、被告青木建設に指示されて、職長教育を受け、昭和四九年一〇月二〇日、これを修了した。その教育項目は、作業方法の決定に関すること、労働者の配置に関すること、労働者の指導監督の方法に関することが主なものであった。

三郎は、昭和五八年ごろから、職長と呼ばれるようになった。これは、公的に監督署に提出する書類に、責任者名をはっきりさせる必要が出てきたからである。

また、村田建設の作業員は、三郎を所長と呼ぶこともあった。

以上のとおり、三郎は、作業現場で様々な呼び方をされたが、その基本的職務は変わっておらず、村田建設の現場代理人として、被告青木建設と各種の折衝に当たるとともに、村田建設の作業員を監督することであった(なお、このことは、三郎自ら粉じん作業に従事する場合があることと矛盾するものではない。)。

(4) その他三郎が就いていた地位

この他、三郎は、労働安全衛生法一六条の規定による安全衛生責任者の地位に就いていた。安全衛生責任者の任務としては、元請側の統括安全衛生責任者(安全管理者、安全担当者、安全当番を含む。)との連携を密にし、連絡事項及び指示された事項を関係者に伝える等、工事災害及び事故の防止に努めること、毎日の工事の打合せをし、安全協議会に出席し、指示事項及び決定事項を関係作業員に周知させること、作業場を随時巡回し、作業員の作業環境や作業状態を巡視し、不安全な状態や不安全な行動を見付けたら直ちに是正すること、作業に当たっては、有資格者(がいること)、保護具の着用等を確認し作業に当たらせること、その他作業員の安全、衛生上必要な事項を管理することである。

また、三郎は、労働安全衛生法一四条の規定による作業主任者の地位にも就いていた。作業主任者の任務としては、作業員を直接指示して作業を実施すること、保護具、命綱等の使用状況を監視すること、女子、年少者、高齢者には高所作業を行わせないこと、その他規定に定められた任務を確実に守ること、作業主任者を変更したときは、その旨を統括安全衛生責任者に報告し、新しく選任した者を当該様式で届け出ることなどがある。

2  右1で認定した事実に基づき、被告青木建設が三郎に対して安全配慮義務を負っていたか否かについて以下検討する。

確かに、被告青木建設と村田建設とは、法形式上は、請負契約という対等者間の契約関係で結び付いていたものである。しかし、両者の資本金には隔絶した差があり、村田建設は村田雅生の個人企業にすぎないこと、村田建設には被告青木建設以外に元請となるものがほとんどないことからすると、村田建設は、経済的に青木建設に従属していたものといわなければならない。

そして、被告青木建設と村田建設との下請基本契約には、被告青木建設が様々な事項について、村田建設に対して指示することができる旨の定めがあり、また、被告青木建設の作業所長は、工事現場を総括し、村田建設を指揮、監督するとともに、関連工事の調整を図って元請工事を円滑に完成すべき立場にあることが定められている(作業所長の右権限は、建設業法二四条の六が規定する、特定建設業者の下請負人に対する指導より、はるかに包括的なものである。)。また、被告青木建設は、村田建設を含む下請業者の工程全体の統一を図り、工程表や作業日報の提出、作業人員数についての報告を受けてその内容を把握していたし、下請基本契約上、被告青木建設は、元請工事の円滑な完成のため必要があれば、他の下請工事との調整のため、村田建設に指示を出すことができ、村田建設はこれに従うべきことが定められ、現に、被告青木建設は、毎日のミーティングにおいて下請業者に指示を出すとともに、元請工事の工期が迫っているときなどには、村田建設に対して強く督促をしていた。また、労働時間についても、被告青木建設が統一的に定め、元請工事の工期が迫っているときには、村田建設に対し、労働時間の延長を強く求めていたのである。更に、被告青木建設は、作業所における安全に関しても、協力会を通じ、あるいは右1(五)に認定したようなかたちで、村田建設その他下請業者に対して指示を行い、下請業者はこれに従っていた。〈書証番号略〉及び証人近藤の証言には、これらの指示はあくまで契約上の対等関係におけるものであるとする部分もあるが、右に認定した被告青木建設に対する村田建設の経済的従属関係に照らし、採用することができない。

以上のとおり、被告青木建設が村田建設を含むその作業現場の下請業者に対し、工程・労働時間・安全などについて絶えず指示を出し、下請業者はその都度これに従っていたため、下請業者の従業員は、実質的には、被告青木建設が作り出した作業環境の下で労働に従事していたこと(作業現場の実質的内容の決定が被告青木建設によってされていたことは、村田建設の従業員が、被告青木建設の作業現場で、若干の例外があるとはいえ、基本的には、被告青木建設が提供する機械、機具及び工具類を使用し、被告青木建設が全体的な管理をする木材、鉄パイプ、セメント等の資材の支給を受け、被告青木建設が設置した換気設備のもとで労働に従事し、被告青木建設が用意した宿舎・寮に寝泊まりしていたことからも、間接的に裏付けられているところである。)、その他右1で認定した被告青木建設と村田建設との関係を示す各事実を総合すると、被告青木建設と村田建設の従業員は、極めて密接な社会的接触に入り、被告青木建設は、村田建設の従業員に対し、実質的に使用者に近い支配を及ぼしていたものであり、被告青木建設は、村田建設の従業員に対し、信義則上、安全配慮義務を負うものといわなければならない。

次に、三郎が、村田建設の取締役、現場代理人、安全衛生責任者あるいは作業主任者の地位に就いていたことが、被告青木建設が原告に対して安全配慮義務を負うとすることの障害となるか否かについて考察するに、そもそも村田建設自体、被告青木建設に経済的に従属した存在であることは前記のとおりであり、また、取締役といっても名目的なものにすぎず、下請基本契約によれば、現場代理人は、工事現場の取締・安全衛生・災害防止又は就業時間など工事現場の運営に関する重要な事項について作業所長の指示に従うべき立場にあるとされていることからすると、三郎がこれらの地位についていたことは、被告青木建設が三郎に対して安全配慮義務を負うことについて、何らの障害ともならないというべきである。

六被告らの安全配慮義務の不履行

1  被告前田建設

前記一1で認定した事実、〈書証番号略〉、証人広田の証言(ただし、一部)、右本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

(一)(1)  削岩機の湿式使用についてみると、被告前田建設は、調圧水槽工事について木下班に任せており、おおまかな工程やおおまかな工法について指導したのみであり、木下班に対し、いかなる削岩機をいかなるかたちで使用するかについては具体的な指導をせず、木下班においては、削岩機を乾式で使用していた。

(2) 散水、噴霧措置についてみると、被告前田建設は、粉じんの発生する作業現場で、散水、噴霧などの措置をとっていなかった。

(3) 換気についてみると、被告前田建設においては、発破の数分後、爆破が完了したことを確認した上、本来は削岩機の圧縮空気を供給するものであるエアホース(直径三センチメートルから五センチメートル、長さ三〇メートル)を用い、油煙及び粉じんを後方に排出し、換気をした。換気作業が行われる時点では油煙と粉じんが立ちこめていたし、この換気によって粉じんは拡散されるが、十分ではなく、微細な粉じんが切羽に浮遊していた。

また、下部掘削工事のうちの硬岩の掘削では、発破後、作業員を、粉じんが自然の通風により目立たなくなるまで退避させたが、特段の換気の措置は講じなかった。

(二)  粉じん濃度の測定についてみると、被告前田建設においては、粉じん濃度の測定は一切行っていなかった。

(三)(1)  粉じんの吸入を予防する保護具の給付についてみると、以下のとおりである。

被告前田建設においては、防じんマスクを正式の削岩夫の数だけは用意したが、その余の労働者のためには用意せず、また、防じんマスクの着用についての指導も十分に行わなかったので、実際上木下班で防じんマスクを使用している者はおらず、坑夫及び先手は、削岩機を使用している間は、各自、古い綿布をつなぎあわせて作った一枚の布を四角折りにして端にゴム紐を通したものを口に当てるか、又は、手拭いで口を覆ってそれを後頭部の帽子の上から縛って、粉じんの吸入の防止を図っていたが、粉じんの吸入防止にはほとんど効果がなかった。

(2) 粉じんにばく露する時間の短縮のための労働条件の整備状況についてみると、以下のとおりである。

被告前田建設においては、昼勤は午前七時から午後五時まで、夜勤は午後七時から午前五時まで昼夜二交替制で、一〇日ごとに昼夜勤を交替していた。休憩時間は、昼一時間、午前午後各一五分であった。

しかし、実際には、一か月に一五日程度は約二時間の残業が行われ、昼夜勤の交替も、夜勤者が次の日の一二時まで、昼勤者が午後一時から翌日午前七時までとなり、区切りのない作業が続いた。休日に作業をする場合も同様であり、休日・深夜の割増手当もなかった。

給与体系は出来高払制を原則としていたため、労働者は、出来高を稼ぐため長時間労働し、それだけ粉じんにばく露されることになった。

(四)  健康診断の実施についてみると、被告前田建設においては、ほとんど実施されていなかった。

(五)  安全衛生教育についてみると、被告前田建設においては、坑夫に対しては、作業現場を巡回する管理職が防じんマスクを着用するように注意することもあったが、労働者がじん肺の恐ろしさを理解できるような体系的な教育にはほど遠く、坑夫以外の者に対しては全く指導されていなかった。

(六)  結論

以上を要するに、被告前田建設における安全配慮義務は、ほとんど履行されていなかったものと認めざるを得ない。

2  被告住友石炭

被告住友石炭において、発破後、ずりに対する散水がされていたこと、各坑道の上部にビニール製風管を横につないで通し、電力式又はエアー式のブロアーで風を送って換気していたこと、浮遊粉じん濃度の測定をしていなかったこと、防じんマスクを支給していたこと、上がり発破が実施されていなかったこと、勤務形態が三交替制であり一週間ごとの交替であったこと(ただし、一週間ごとの交替については、原則そうであったという限度で)、その番方の労働時間は、一番方は午前七時から午後三時、二番方は午後三時から午後一一時、三番方は午後一一時から午前七時であったこと、掘進夫の賃金構成が固定給と出来高給であったこと(ただし、出来高払いが「ほとんど」なのではないという限度で)、六か月に一回一般健康診断が実施されたこと、防じんマスクの装着が指示されていたことは、原告らと被告住友石炭との間において争いがなく、右争いのない事実に、前記一3で認定した事実、〈書証番号略〉、証人梅津及び同森田の各証言、三郎本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

(一)(1)  削岩機等の湿式使用についてみると、以下のとおりである。

被告住友石炭では、岩石層の穿孔には湿式削岩機が用意されていたが、湿式で使用すると作業効率が下がることから、特に、被告住友石炭において遊離けい酸分が少ないと判断した部分については、いわゆる空ぐりが行われていた。

石炭層の穿孔のために使用されたのはオーガーであり、これによる粉じんの発生は、乾式削岩機よりは少ないものの、完全ではなく、必ずしも湿式削岩機ほど少ないというのでもなかった。そして、オーガーは湿式化を要求されていないが、これは、粉じん発生量が比較的少ないためばかりではなく、湿式化すると機械自体が非常に大きくなり、一人で持てる形の大きさにできないことも一因であった。他方、昭和三九年発行の通産省鉱山保安局編鉱山保安教本第三巻「坑内・坑外共通」(上)(なお、この編纂には、被告住友石炭の関係者も参加している。)には、「湿式ピック」が紹介されており、それによると、これは、器体に設けたノズルから噴霧を生じてビットの周囲を霧で囲むようにしたものであり、採炭又は軟式岩石の掘削に使用すると、条件のよいときは発じんを九〇パーセントも減少することができるとされていたのである。

(2) 散水、噴霧装置等についてみると、以下のとおりである。

被告住友石炭においては、発破前の切羽への散水、発破後の石炭の山、すなわち、ずりへの散水、ずり積み中のずりへの散水が行われた。発破後の石炭の山への散水は、炭塵と水を合わせたうちの水が三〇パーセントを超せば炭塵が爆発しないという知見に基づき、励行された。

被告住友石炭においては、いくつかの採炭現場において、高圧注水を行っていた。高圧注水は、石炭を軟化させ、粉じんの発生を抑制するために行われるもので、採炭切羽の炭壁に約一メートル五〇センチメートルから一メートル八〇センチメートルの深さの穴を削孔し、約一〇〇キログラム位の圧力の高圧の水を注水し、この作業を一メートル五〇センチメートル位の間隔で順次行うというものである。これは、粉じんの発生防止に相当の効果があるとされたものであった。

また、被告住友石炭においては、昭和三八年ごろから、発破の際に水タンパーが使用された。これは、穿孔穴に火薬を装填した後、水の入ったビニール袋を口元まで装填してから発破するものである。元来は、削孔した穴を塞ぎ発破効果を高めるためのものであり、また、爆発による気化熱を下げる働きもある。爆発後タンパー内の水は、相当蒸発するが、それでも、このような対策を講じない場合に比して、著しい粉じん抑制の効果があった。

被告住友石炭においては、シャワー発破(噴霧発破)も行われていた。シャワー発破は、坑道の枠に合わせて、約二メートルないし三メートルの長さの、例えば、馬蹄形の線に、細かい穴を開け、水を通して、圧縮空気の力で噴霧の状態にできるようにし、発破をかける直前に噴霧を出して、そのまま爆薬に点火するというものである。これは、発破が終わってから噴霧するよりも効果が大きいものであった。もっとも、被告住友石炭における噴霧は、右にみたとおり、必ずしも切羽全面に濃厚に噴霧を行うというものではなかったので、その効果は制約されていた。

被告住友石炭においては、ミリセコンド発破も実施されていた。これは、ミリセコンド雷管を用い、一〇ミリセコンドから一七、八ミリセコンド(一ミリセコンドは一〇〇〇分の一秒)の間隔で雷管を爆発させるというものである。これは、建築現場においてされたデシセコンド発破より、発じんは少ないものとされていた。

なお、被告住友石炭においては、炭じん爆発防止のため、岩粉を散布したが、これには散水していなかった。右岩粉は、坑内のある場所でガス(又は炭じん)爆発が生じた場合、その爆風が来ると瞬時に空中に舞い上がり、その場の炭じんと混合して炭じんの空気中における比率を薄めると同時に、不燃性岩粉の存在により、その場の炭じんが爆発限界に達して誘爆するのを防止するのが役目であり、その散布は法令上義務付けられていたのであるから、これら岩粉に散水しなかったことをもって、安全配慮義務違反とみることはできない。これは、被告三井鉱山についても同様である。

以上のとおり、被告住友石炭においては、散水、噴霧については相当に高度な処置がとられていたが、それでも、発破の際の粉じんを完全に抑制するには至らず、発破後作業員が退避した場所(切羽から三〇メートルから五〇メートル離れた場所)まで粉じんが達するほどであった。

(3) 発破後の切羽への接近及び換気についてみると、以下のとおりである。被告住友石炭においては、発破後数分で、先山及び坑内保安係員の資格をもった係員が切羽に入った。被告住友石炭においては、キャップランプで視界がきくようになれば切羽に入ることを認めており、そこでは、必ずしも、粉じんの量がどの程度になればじん肺の危険が少なくなるかという意識的な検討はされていなかった。

換気については、メタンガス、炭じんの排除による防爆を直接の目的として大がかりに行われていた。これには、坑内全体についての換気と掘進現場の換気とがあった。

坑内全体の換気は、主要扇風機を使用した対偶式の吸出式通気法であり、そのための主要扇風機の仕様は、三池軸流型二〇〇〇馬力であり、それによる通気量は、毎分一八〇〇立方メートルであった。その場合の空気の流れは、別紙(六)の図面でいうと、立入坑道(深)から沿層坑道(深)に入り、払を抜けて沿層坑道(肩)に行き、最終的には立入坑道(肩)に抜けていくというものであった。

掘進現場の換気については、局部扇風機を入気側の坑道の外に設置し、そこから風管を延長して、強制的に切羽の方に空気を送り込んでいた。これによって、粉じんは坑外に排出されたが、この方法によると、粉じんを含んだ空気が坑道に拡散される欠点があった。ところで、前掲「坑内・坑外共通」(上)、山田穰「鉱山保安ハンドブック」(朝倉書店、昭和三三年)、労働省じん肺予防研究班「昭和三八年度労働省労働衛生試験研究・ずい道建設工事における粉じん対策」及び鈴木俊夫・田尻昭英「坑内粉じんの発生状況とその抑制について」(北海道鉱山学会誌一六巻六号二一頁、昭和三五年一一月〜一二月)などには、掘進先の局部通気法として、吹出し通気(被告住友石炭が行っていたもの。)及び吸出し通気があるが、前者は、粉じんを急速に吹き飛ばすことができるという利点があるものの、坑道を汚染する危険があり、後者は、粉じんを坑道まで出さないという利点があるものの、切羽からの粉じん排除の効率が悪いという欠点があるとされ、両者の併用や集じん機の併用が望ましいという趣旨の記載がされている。

(二)  粉じん濃度の測定についてみると、以下のとおりである。

被告住友石炭においては、通産省告示に基づいて、決められた場所に皿を置いて、その中に溜まった堆積粉じんの量は測定していたが、浮遊粉じんの濃度は、試験的に測定したことはあるものの、恒常的には測定していなかったし、したがって、当然のことながら、浮遊粉じん濃度の目的値も設定していなかった。被告住友石炭は、浮遊粉じんの濃度を測定しなかった理由について、測定機器が当時未発達で確立していなかったこと、測定値が出ても、これを危険との度合いとの関連で意味付ける基準が確定していなかったこと、また、測定機器が坑内での使用に堪えるものでなかったことを挙げる。しかしながら、前掲「坑内・坑外共通」(上)、「鉱山保安ハンドブック」、「昭和三八年度労働省労働衛生試験研究・ずい道建設工事における粉じん対策」及び「坑内粉じんの発生状況とその抑制について」並びに三浦豊彦「粉塵対策について」(労働科学三六巻三号、一九六〇年)などの文献からみて、三郎が被告住友石炭に就労していたころには、浮遊粉じん濃度の安全目標値がいくつか設定され、その測定方法も種々のものが考案され、実施されており、簡単な測定器でも採取サンプルを多くすることで効果をあげることができるとの知見が広く示されていたものとみなければならない。もっとも、前掲「昭和三八年度労働省労働衛生試験研究・ずい道建設工事における粉じん対策」は、表題どおりずい道建設工事に関するもので直接の参考にはならないし、測定方法の中には高温多湿の場所には不適当なものもあるとされ(いわゆる「ろ過法」)、また、前掲「粉塵対策について」の粉じん濃度のデーターには、炭鉱のものが含まれていないけれども、これらの事実があるからといって、炭鉱においては浮遊粉じんの恒常的な濃度測定が無意味であるとはいえない。

(三)(1)  粉じんの吸入を予防する保護具の給付についてみると、以下のとおりである。

被告住友石炭においては、興進研究所製品であるサカイ式防じんマスクと重松製作所製品である重松式防じんマスクを使用していたが、その採用に当たり、装着性のよい防じんマスクを選択するため、教育班(安全係)等において、常に新しい防じんマスクの調査、研究や使用テストなどを実施し、その結果を労使の代表による保安委員会で検討した上で、防じんマスクの型式及び種類を決定するというシステムをとってきた。これら採用された防じんマスクは、国家検定合格品であり、日本工業規格に適合し、通商産業省告示に適合したものであった。

被告住友石炭は、粉じん作業者に対し、三か月に一回、防じんマスク及び部品を無料貸与し、貸与期間内でも防じんマスクの性能が低下したり、防じんマスクが破損したりしたときには、粉じん作業者の申し出があれば、新品との交換に応じていたが、その管理は各個人に委ねられていた。その装着についての指導としては、不携帯を防止するため、入坑時には防じんマスクを原則として首にかけるか、見やすい位置に携帯するように指示し、作業現場各所でも装着の指示を行った。ただし、被告住友石炭でのマスク装着の指示は、現に粉じんを発生させている作業(例えば削孔)が行われている場合に限られていた。防じんマスク使用後の実務教育指導として、面体、吸気弁、排気弁及び締め紐等に付着した粉じん等の汚れは乾燥した布又は軽く湿らせた布で取り除くこと、汚れが著しいときはろ過材を取り外した上で中性洗剤等により水洗いして日陰で乾かすことなどが考案されてはいたが、少なくとも、三郎が被告住友石炭に在籍していた当時は、右のような対策は、粉じん作業現場には周知徹底されてはいなかった。

支給されたマスクの装着性についてみると、被告住友石炭において支給されたものは、主として別紙(七)の型式による防じんマスクであり、吸気はろ過布によってろ過され(ここで粉じんが除去される。)、排気弁を通って呼気が排出されるというものである(なお、吸気のための吸気弁を備えた防じんマスクが支給されたかどうかは定かではない。証人森田は、三郎在籍当時、被告住友石炭が吸気弁を備えた防じんマスクの支給をしたことを否定するが、同人作成名義の〈書証番号略〉には、防じんマスクに吸気弁が存在することを前提とするかのような記載もある。)。この防じんマスクは、新しいうちは粉じん吸入防止に相当の効果をあげたが、使用するにつれ、装着性が低下し、ろ過布と顔面の間にすき間が生じ、顔面が黒く汚れるようになった。また、排気弁のところにあるねじ式の弁が粉じんで詰まることもあった。前記のとおり、被告住友石炭は、性能の低下した防じんマスクの交換には応じていたけれども、防じんマスクの管理は各個人に委ねられていたので、個人が古くなったと判断してから初めて交換を申し出るような状態であり、必ずしも適切な時期に交換がされていたわけではなかった。また、汗をかくと、ろ過布が濡れて、息苦しくなるので、作業員は、特に、現に粉じんを発生させる作業に従事していない場合は、防じんマスクを外すことも多かった。

被告住友石炭における防じんマスクによる粉じん吸入予防対策は、右のとおりかなり積極的にされていたが、当時の技術水準に照らしてもなお十分とはいえなかった。まず、三か月に一個という防じんマスクの支給期間であるが、與重治「防塵マスク」(労働の科学昭和四二年三月号)によれば、確かにマスクの寿命は三か月とされているが、これは、浮遊粉じん濃度が平均して一立方メートル当たり一〇ミリグラム以下であることを前提としているところ、被告住友石炭においては、浮遊粉じん濃度の測定をしていなかったこと前記のとおりである。また、マスク支給後の管理についてみると、前掲「昭和三八年度労働省労働衛生試験研究・ずい道建設工事における粉じん対策」によると、「防じんマスクは新品時においていかに効率が高く吸気抵抗が低いものであっても、使用中には粉じんが付着して吸気抵抗が高まり、また効率が低下するおそれがある。吸気抵抗が高くなると息苦しくなり、監督者の見えない所でこれを外すおそれが多くなる。したがって保守管理をきちんとし、使用後の手入れを励行しなければならない。なるべく専任の管理者を置き、使用後のマスクを受入れて正しい掃除を行い、ときにはろ過材の交換を行い、常に清潔な状態で労働者に再交付することが望ましい。ろ過材の交換は、一〇〇〇時間または五〜六か月を標準としている。専任の管理者を置き難い場合は、労働者に防じんマスクの取扱、掃除およびろ過材の交換について十分な知識を与えなければならない。」とされているが、被告住友石炭においては、防じんマスク着用の指示は、現に粉じんを発生させている作業に従事している場合に限られ、また、防じんマスクの管理のための専任の管理者を置いて、会社側でマスクを管理するような体制にはなっておらず、更に、作業員に対する防じんマスクの取扱い、掃除及びろ過材の交換についての指示も徹底していなかった。

(2) 粉じんにばく露する時間の短縮のための労働条件の整備状況についてみると、以下のとおりである。

被告住友石炭における勤務体制は、三交代勤務であり、一番方が七時から一五時、二番方が一五時から二三時、三番方が二三時から翌朝七時までという各七時間労働で、一週間で各番方を交代するというものであった。坑内労働の時間は、労働基準法により、特別に、実働時間ではなく拘束時間とされており、坑口から坑口までの時間であるため、坑口から作業現場までの往復時間や作業準備時間を差し引くと、正味の作業時間は平均約五時間程度となった。

他方、三郎のような坑道掘進をする者の場合、賃金形態は、基本的に日給制であり、請負給であった。請負給の場合は、一律の固定給と、実作業量に応じた出来高給により構成される。出来高給は、各職種の作業内容に応じて定められた標準作業量、その標準作業量に対する単価及び各作業員の実作業量によって算出される。具体的には、同一職場の各番方の実作業量を合計し、各々の標準作業量との比率に単価を乗じて賃金総額が計算され、それに各作業員の技量に応じた「歩建」と呼ばれる率を乗じて、各人の賃金が決定されるというものである。

請負給には、粉じん防止という観点からいうと、いくつかの問題点があった。第一に、掘削量が多ければ多いほど賃金が上がることから、労働過重を招きやすいことである。もちろん、請負給を「ノルマ」と呼ぶことは正確ではないが、右のような危険があることは明らかである。第二に、粉じん吸入防止に効果のある上がり発破(作業時間が全部終わってから、最後に発破をかけて帰ること)の実施が困難になることである。これは、上がり発破を行うと、発破が一連の作業(削孔、発破、ずり積み、支保工建込)の中途にすぎないので、賃金計算に問題が生じること、また、発破後規格に合っていなかったことが判明した場合に補助的な作業(再度小発破をかけたり、ピックで削り落としたりする作業)が必要となる場合があることなどにより、作業員に嫌われることによる。

被告住友石炭においては、一サイクルを完了して、二サイクル目の削孔をして、発破のときに昼食にするというかたちの昼食時発破が行われることもあったが、特に意識的にこれが励行されていたわけではなかった。

(四)  健康診断についてみると、旧じん肺法に基づくじん肺健康診断が行われ、坑内員については一般健康診断が半年に一回実施されていた。

(五)  安全衛生教育についてみると、被告住友石炭においては、防じんマスクの着用については指導したものの、その必要性、具体的にはじん肺の恐ろしさを労働者に理解させるような体系的な教育は行われていなかった。

(六) 以上の事実関係を総合すると、被告住友石炭においては、意識的にじん肺対策に取り組み、特に発破時の粉じんの発生の抑制については一定の成果をあげていたものの、その余の面については安全配慮義務を十分に履行したものとはいえず、殊に、末端の労働者に、じん肺の恐ろしさや発症メカニズムを理解できるような形で教育していなかったので、折角のじん肺防止のための措置も十分には機能しなかったことを認めるざるを得ない。

3  被告三井鉱山

被告三井鉱山において石炭積込み中に散水設備が作動し、水を噴霧したこと、通気用のファンを設置していたこと、穿孔機械にオーガーを用いたこと、炭壁注水が実施されたこと、発破の際の込め物に水タンパーが使用されたこと、堆積炭じんを測定していたこと、防じんマスクを支給し、その装着を指示したこと、発破後退避が行われていたこと、勤務形態が一般的には三交替制であり、一週間ごとの交替であったこと、その番方の労働時間は、一般的には、一番方は午前七時から午後三時、二番方は午後三時から午後一一時、三番方は午後一一時から午前七時であったこと、賃金の支払形態に、一部請負給が含まれていたこと、三郎が坑内勤務をする際、弁当を持参し、坑内で食事をしたこと、入社時に健康診断が一回行われ、就業規則付属諸規定の坑夫への交付や「保険館」の階段の踊り場においてじん肺のホルマリン漬けの標本の展示が行われていたことは、原告らと被告三井鉱山との間において争いがなく、右争いのない事実に、前記一4で認定した事実、〈書証番号略〉、右証言、三郎本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(一)(1)  削岩機等の湿式使用についてみると、以下のとおりである。

三郎の従事した石炭層の穿孔のために使用されたのはオーガーであり、これは、粉じんの発生は乾式削岩機よりは少ないものの、完全ではなく、必ずしも湿式削岩機ほど少ないものではなかった。一方、前掲「坑内・坑外共通」(上)(なお、この編纂には、被告三井鉱山の関係者も参加している。)には、「湿式ピック」が紹介されており、これが発じん防止に効果をあげるとされていたのは、右2(一)(1)のとおりである。

(2) 散水、噴霧装置等についてみると、以下のとおりである。

被告三井鉱山においては、オーガー使用前後や発破前後の散水、トラフの上に落ちた石炭を炭車に積み込む作業中の石炭への散水が行われた。また、トラフを石炭が一気に流れるのを防ぐために、トラフに二〇メートルから三〇メートルごとに設置された安全ネットが若干は粉じんの発生を抑制する効果を果たした。

被告三井鉱山においては、いくつかの採炭現場(三郎が就労していた採炭現場を含むかどうかは定かではない。)において、炭壁注水が行われていた。これは、炭じんの発生量を抑制するために行われるもので、採掘しようとする石炭層の前の区域に、二五メートルから三〇メートルの長さにわたって、五メートルおきに六五ミリ口径の穴を削孔し、これに散水管からホースをつないで水を押し込むというもので、粉じんの発生防止に相当の効果があるとされたものであった。

また、被告三井鉱山においても、被告住友石炭同様、発破の際に水タンパーが使用され、このような対策を講じない場合に比して、著しい粉じん抑制の効果をあげていた。

被告三井鉱山においては、発破時に、点火開始前から発破終了後まで爆薬物を装填した切羽面に散水を実施する散水発破を励行していた。これは、被告住友石炭におけるシャワー発破と同様、発破が終わってから噴霧するよりも効果が大きいものであった。もっとも、被告住友石炭における噴霧は、右にみたとおり、必ずしも切羽全面に濃厚に噴霧を行うというものではなかったので、その効果は制約されていた。

以上のとおり、被告三井鉱山においては、散水、噴霧については相当に高度な処置がとられていたが、それでも発破の際の粉じんを完全に抑制するには至らなかった。

(3) 発破後の切羽への接近及び換気についてみると、以下のとおりである。

被告三井鉱山においては、作業員は、発破後数分で切羽に入った。被告三井鉱山においては、発破の煙が流れれば切羽に入ることを認めており、そこでは、被告住友石炭の場合と同様、必ずしも、粉じんの量がどの程度になればじん肺の危険が少なくなるかという意識的な検討はされていなかった。

換気については、メタンガス、炭じんの排除による防爆を直接の目的とする坑内全体についての換気が行われていた。採炭切羽については、斜坑の長さが約一五〇メートル(垂直約一〇〇メートル)に及び、局部扇風機による送風が約一〇メートルしか届かないため、無意味であるという判断のもとに、特に行われていなかった。

坑内全体の換気の基本的システムは、排気立坑の上部に設置した四五〇キロワットのモーターの付いた扇風機により坑内の空気を吸い出すことにより坑内の気圧が低くなるため、入気立坑から新しい空気が入り、これが各切羽を洗って排気風道を通り、立坑から粉じん及びガスを排出するというものであった。このような通気により、坑内の粉じんは着実に減少する反面、作業員が粉じんを吸入する危険があった。

(二)  粉じん濃度の測定についてみると、以下のとおりである。

被告三井鉱山においては、被告住友石炭同様、通産省告示に基づいて、決められた場所に皿を置いて、その中に溜まった堆積粉じんの量は測定していたが、浮遊粉じんの濃度は、測定しておらず、浮遊粉じん濃度の目的値も設定していなかった。他方、三郎が被告三井鉱山に就労していたころには、浮遊粉じん濃度の安全目標値がいくつか設定され、その測定方法も種々のものが考案され、実施されており、簡単な測定器でも採取サンプルを多くすることで効果をあげることができるとの知見が広く示されていたとみられることは、右2(二)でみたとおりである。

(三)(1)  粉じんの吸入を予防する保護具の給付についてみると、以下のとおりである。

被告三井鉱山においては、昭和二〇年代の後半から、防じんマスクの試験導入を行い、粉じん作業に従事する者に貸与し、また、メーカーにその改良を働きかけていた。その後、防じんマスクの改良がされてきたため、昭和三五年には、芦別鉱業所において約二五〇〇個の防じんマスクを保有し、常時粉じん作業に従事する者にはほぼ貸与できる体制となっていた。

また、昭和四二年五月三一日に締結された被告三井鉱山と日本炭鉱労働組合及び全国三井炭鉱労働組合連合会との間のじん肺に関する協定書(以下「協定」という。)の第三条には、被告三井鉱山が粉じん作業に常時従事する鉱員に対して防じんマスクを貸与すること、防じんマスクを使用すべき粉じん作業場については別に定めること、右により定められた粉じん作業場における業務に常時従事する鉱員は防じんマスクを使用すべきことが定められている。

昭和三一年六月に取り決められ、昭和四六年に三回目の改訂がされた被告三井鉱山の防じんマスク貸与規定には、次のように定められている。

防じんマスクを必要とする職場は個人貸与とし、その他は都度貸与とする。

1  個人貸与

(1)  該当者

粉じん発生状態に応じ保安係長の判断で決定する。

(2)  貸与方法

個人貸与の該当者は、坑保安係長に申し出て現品を受領する。

(3)  保管

貸与を受けたものは紛失しないように大切に保管し、使用整備に関する取扱要領に従い、大切に使用すること。

(4)  部品

防じんマスクの一部部品が破損、脱落紛失したときは、坑保安係に申し出て部品の交換を行うことができる。

(5)  交換

防じんマスクが老朽して性能の落ちたものについては、坑保安係に現品を提出し、坑保安係の認定を受けて良品と交換することができる。

(6)  再交付

防じんマスクを破損又は紛失したときは、坑保安係の認定を受けて再交付を受けることができる。

(7)  管理

坑保安係は、貸与の都度管理台帳に記載し、貸与状況を明らかにしておくこと。

(8)  返納

退職、職変により防じんマスクを必要としなくなったときは、貸与を受けているものは、現品を坑保安係に返納しなければならない。

2  都度貸与

(1)  貸与方法

坑保安係は、臨時に使用する防じんマスクの必要量を常に貸出し場所に備えておく。

(2)  管理

常備防じんマスクは、返納後、洗滌、消毒、整備をして、次回貸出しに備えなければならない。

被告三井鉱山において使用されていた防じんマスクは、重松製作所製品であるDR―35型が主力であり、採用された防じんマスクは日本工業規格に適合し、通商産業省告示に適合していた。

被告三井鉱山は、粉じん作業者に対し、右のとおり防じんマスクを貸与するとともに、毎月一回開催される保安常会の席上や繰込み時、作業現場の保安巡回時等に防じんマスクの着用を指導していた。ただし、その指導は、防じんマスクを常時首からぶら下げておき、粉じんが発生したら装着するようにということであり、事実上、現に粉じんを発生させる作業に従事している場合の着用の指示に限られた。

支給されたマスクの装着性についてみると、被告三井鉱山において支給された防じんマスクは、新しいうちは粉じん吸入防止に相当の効果をあげたが、使用したり、水洗いしたりするにつれ、装着性が低下し、ろ過布と顔面の間にすき間が生じ、顔面が黒く汚れるようになった。また、通気孔が粉じんで詰まることもあった。前記のとおり、被告三井鉱山は、被告住友石炭同様、性能の低下した防じんマスクの交換には応じていたけれども、防じんマスクの管理は各個人に委ねられていたので、個人が古くなったと判断してから初めて交換を申し出るような状態であり、必ずしも適切な時期に交換がされていたわけではなかった。

被告三井鉱山における防じんマスクによる粉じん吸入予防対策は、積極的にされていたが、当時の技術水準に照らしてもなお十分とはいえなかった。マスク支給後の管理についてみると、前掲「昭和三八年度労働省労働衛生試験研究・ずい道建設工事における粉じん対策」において、防じんマスクの保守管理についてなるべく専任の管理者を置くべきこと、専任の管理者を置き難い場合は、労働者に防じんマスクの取扱い、掃除及びろ過材の交換について十分な知識を与えるべきことが記載されているところ、被告三井鉱山においては、被告住友石炭同様、防じんマスク着用の指示は、現に粉じんを発生させている作業に従事している場合に限られ、また、防じんマスクの管理のための専任の管理者を置いて、会社側でマスクを管理するような体制にはなっていなかったし、作業員に対する防じんマスクの取扱い、掃除及びろ過材の交換についての指示も十分なものではなかった。

(2)  粉じんにばく露する時間の短縮のための労働条件の整備状況についてみると、以下のとおりである。

被告三井鉱山における三郎の勤務体制は、三交代勤務であり、一番方が七時から、二番方が一五時から、三番方が二二時からというもので、一週間で各番方を交代するというものであった。正味の作業時間は平均約五時間程度となった。

他方、三郎のような採炭作業の場合、賃金形態は、基本的に日給制であり、請負給であった。請負給の場合は、一律の固定給と実作業量に応じた出来高給とにより構成される。出来高給のシステムは、被告住友石炭の場合と同様である。

請負給には、粉じん防止という観点からいうと、掘削量が多ければ多いほど賃金が上がることから、労働過重を招きやすいこと、粉じん吸入防止に効果のある上がり発破の実施が困難になるという問題点があったことも、被告住友石炭の場合と同様である。

(四) 健康診断についてみると、採用決定前にレントゲンの直接撮影を含む健康診断が行われ、一般健康診断が坑内勤務者及び三交替勤務者については半年に一回、坑外勤務者については年一回実施されていた。また、じん肺検診については、管理区分のない者については二年か三年に一回、管理区分のある者については毎年行われていた。

(五) 安全衛生教育についてみると、以下のとおりである。

協定は、鉱員がじん肺にかかることを予防し、既にかかった鉱員に対しては、必要な治療と保障を行うことによって鉱員の福祉の増進と労働生産意欲の向上を図ることを目的とするものとされ、その二条において、被告三井鉱山が粉じん作業に従事する鉱員にじん肺の予防に必要な知識を周知させるべきことを規定し、七条以下において、じん肺に罹った場合の配置転換、転換料等について規定している。そして、被告三井鉱山の就業規則には、協定を受けて、じん肺に罹った場合の配置転換、転換料等について規定していた。

被告三井鉱山においては、入社の際、二時間から三時間かけて、就業規則の条項の説明を行った。また、被告三井鉱山の事業所病院に隣接する建物で、そこで健康診断なども行われた「保険館」には、じん肺のホルマリン漬け標本が展示され、説明書も付けられていた。

しかしながら、これらの事実をもっては、安全教育が十分に行われたとみることはできない。入社時の就業規則の説明は、一般的な事項(採用、就業時間、賃金等)を含めて合計二、三時間ということであり、じん肺に関しては、就業規則には、直接的には、じん肺に罹患した場合の配置転換や転換料について記載されているにすぎず、じん肺がいかなるものか、この説明で理解せよというのは無理であるといわざるを得ない。また、じん肺のホルマリン漬け標本の展示だけでは「教育」とはいえないものであって、結局、じん肺の恐ろしさが労働者に理解できるようなかたちでの安全衛生教育は行われていなかったものというほかはない。

(六)  以上の事実関係を総合すると、被告三井鉱山においては、被告住友石炭と同様であって、意識的にじん肺対策に取り組み、特に発破時の粉じんの発生の制御については一定の成果をあげていたものの、その余の面については安全配慮義務を十分に履行したものとはいえず、殊に、末端の労働者に、じん肺の恐ろしさや発症メカニズムを理解できるような形で教育していなかったので、折角のじん肺防止のための措置も十分には機能しなかったことを認めざるを得ない。

4  被告青木建設

前記一5で認定した事実、〈書証番号略〉、右証言(ただし、一部)、三郎本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

(一)(1)  通常のトンネル工事現場における削岩機の湿式使用についてみると、被告青木建設は、湿式削岩機を用意していたが、削孔の際、穴が五センチメートルないし一〇センチメートルの深さになるまでは、これを乾式で使用していた。

(2) 通常のトンネル工事現場における散水についてみると、被告青木建設においては、散水は、ずり出しの時に行われたのみであった。

(3) 通常のトンネル工事現場及びシールド工事現場に共通する換気の基本的な仕組みについてみると、以下のとおりである。坑外にファンを置き、これに風管をつなぎ、坑外の空気を坑内に送って、坑内の換気を行った。使用したファンには、ターボ、軸流、多翼式等があり、使用目的、風量等により選択して使用され、最も多く使用されたのはターボブロアであった。ファンの向きを変えることにより、送気、吸気を切り換えることができた。風管は、条件によって鋼管、ビニール管、布製のものなどが用いられた。局所換気用には携帯用のファンが使用された。これらの換気設備は、空気の入れ換えにはある程度の効果を発揮したが、粉じんの除去に関しては、必ずしも十分ではなかった。

通常のトンネル工事現場における換気及び発破後の労働者の退避についてみると、被告青木建設においては、作業員は、発破のわずか三分ないし五分後、爆破が完了したことを確認した上、切羽に入り、本来はずり積み機に使用するものであるエアホースを切羽に吹き付け、油煙及び粉じんを後方に排出し、換気をした。換気作業が行われる時点では油煙と粉じんが立ちこめていたし、この換気によって粉じんは拡散されるが、十分ではなく、微細な粉じんが切羽に浮遊していた。

シールド掘削作業においては、切羽に直接送風することがなかった。

また、シールド工事及びこれに関連する工事の中の、油煙あるいは粉じんが発生する作業(立坑の掘削築造作業の中で行われる電気溶接及び酸素アセチレンガスにより鉄骨を切断する作業、シールド工事用資材の鉄筋・鉄骨の溶接・溶断、シールド機械の解体、型枠ケイレン、クラックをV字型に塗り固める作業、コンクリート巻立後の坑内清掃。以下「シールド工事関連粉じん作業」という。)についての換気についてみると、立坑の掘削築造作業の中で行われる各作業については、換気設備が設置されておらず、その他の作業については、風管による換気は行われていたが、粉じんの除去についての効果は十分ではなかったこと前述のとおりである。また、シールド工事関連粉じん作業のうち、シールド機械の解体作業に際しては、換気設備及び部分換気として、ブロア及びプロペラファンが使用されたが、油煙の量は多く(油煙が軽いため、すぐ上に昇るのは事実であるが)、坑内に滞留するのを防ぐことはできなかった。

(二)  粉じん濃度の測定についてみると、被告青木建設においては、粉じん濃度の測定は一切行っていなかった。

(三)(1)  粉じんの吸入を予防する保護具の給付についてみると、以下のとおりである。

被告青木建設においては、トンネル工事現場及びシールド工事関連粉じん作業のうち立坑の掘削築造作業の中で行われる電気溶接及び酸素アセチレンガスにより鉄骨を切断する作業、シールド工事用資材の鉄筋・鉄骨の溶接・溶断、シールド機械の解体、型枠ケイレンにおいて、作業所によっては被告青木建設が無償で防じんマスクを提供し、作業所によっては、村田建設の要求により、村田建設の費用負担において、被告青木建設が業者からマスクを購入した。

これらのマスクも、村上建設、被告住友石炭、被告三井鉱山と同様、使用中に詰まってしまい、キャップの廻りと内側を布切れで拭き、又は坑内に排水される送水で洗いながら使用する状態であった。また、古くなると、装着性は低下していった。

(2) 粉じんに、ばく露する時間の短縮のための労働条件の整備状況についてみると、以下のとおりである。

三郎は村田建設から給与を受け取っていたところ、村田建設は一般の作業員については出来高制をとっていたが、三郎は、固定給であったので、三郎自身は給与体系によって影響を受けることはなかった。

他方、被告青木建設の通常のトンネル作業場においては、昼勤・午前七時から午後七時まで、夜勤・午後七時から午前七時までとされ、シールド工事現場では昼勤・午前七時から午後六時までとされていたが、残業は珍しくなく、特に、元請の工期が迫っているときなどは、被告青木建設から強く督促されて、三郎ら村田建設の従業員は、事実上これに従わざるをえなかったため、粉じん吸入の危険にさらされることになった。

(四)  健康診断の実施についてみると、被告青木建設においては、昭和四〇年代にはほとんど実施されていなかったが、昭和五〇年代に至り、一つの工事現場の作業開始時点については、各個人が少なくとも六か月以内の健康診断書を持って入場することが原則になり、その現場が長い期間にわたる場合には、六か月に一回、一般健康診断が行われるようになった。また、現場によっては、じん肺健康診断も行われた。

しかしながら、他方、被告青木建設は、三郎が、健康診断において、肺の汚れを指摘されたり、「要注意」、「要精検」などとされても、三郎に対し、作業量の軽減や配置転換はおろか、精密検査の指示も含め、何の措置もとらなかった。

(五)  安全衛生教育についてみると、被告青木建設においては、社内に掲示される安全目標にじん肺に関するものはなく、また、安全衛生管理規定にじん肺対策を盛り込んでおらず、安全協議会、安全パトロールに際しての安全教育、安全ミーティング(それに基づくTBM―KY活動及び安全指示書)、作業所入場者教育のいずれにおいても、じん肺についての体系的かつわかりやすい教育や意識的な粉じん対策の指示は、ほとんどされていなかった。わずかに、安全協議会で防じんマスクの着用励行が指示されたり、現場における口頭による防じんマスク着用の指示があったが、これも、労働者にじん肺の恐ろしさを認識させるような配慮をしたうえのものではなかった。

(六)  結論

以上を要するに、被告青木建設における安全配慮義務は、ある程度は履行されていたものの、十分に履行されてはいなかったといわざるを得ない。

七被告らの過失

前記二でみたじん肺の基本的な病像、前記三でみたじん肺に対する社会の認識及びじん肺対策の進展からみて、前記六でみたとおり被告らが安全配慮義務を履行しなかったことについては、過失があると認めざるを得ない。

被告前田建設は、安全配慮義務違反に基づく請求について、予見可能性がなかった旨の抗弁を主張するが、採用することができない。

八三郎のじん肺罹患と労働能力喪失

三郎が平成五年一月一八日死亡したことは当事者間に争いがなく、三郎が昭和五六年一月一三日及び同年八月二五日に実施されたエックス線検査(間接撮影)の結果、要直接撮影と診断されたこと、昭和五八年一月一七日に実施されたエックス線検査(直接撮影)の結果、要注意と診断されたこと、三郎が昭和六〇年二月一四日、じん肺管理区分四の決定通知を受けたことは、原告らと被告青木建設との間において争いがなく、右争いのない事実に〈書証番号略〉、右本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、以下の1ないし3の事実を認められ、これらの事実と前記二3で認定した事実(いわゆるじん肺の不可逆性)を総合すれば、三郎が、遅くとも、じん肺管理区分四の決定通知を受けた昭和六〇年二月一四日に、日常生活に著しい制約を受ける症状に達しており、就労(ここでいう「就労」とは、社会生活上意味のある収入を得ることができるものを意味する。)しながらの療養が不可能な状態に至ったこと、すなわち、労働能力を喪失したことが認められる。

1  三郎のじん肺罹患

三郎は、昭和五五年、被告青木建設の阿久和作業所における工事中、深さ一八メートルの螺旋階段を一日に何回か昇降するとき息切れして、咳き込むようになり、同年五月の健康診断で胸に陰影があると指摘され、横浜市緑区の長津田厚生年金病院で診断を受け、その後、昭和五六年一月一三日及び同年八月二五日の健康診断においても、要直接撮影と診断された。更に、昭和五八年一月一七日、寒川病院で一般健康診断を受診した時も、肺の汚れを指摘され、要精検、要加療、要注意と診断された。そして、同年一〇月には、風邪をひいた際、朝方異常な咳が八日ほど続いた。三郎は、同年一二月上旬、風邪から二週間も寝込み(なお、風邪が治り難い状態は、以後も継続した。)、咳、痰、ぜんめいに苦しみ、黄色の濃痰が出、両指先の裏面の皮膚が剥げたので、東京のじん肺専門医の診断を受けたところ、じん肺との診断を受けた。

そして、三郎は、昭和六〇年二月一四日、じん肺管理区分四の決定通知を受けたのである(じん肺管理区分が四と決定された者は療養を要するものとされ、療養には休業して治療を受ける場合と、就業しながら治療を受ける場合とがあり、これは治療を行う医師の判断に委ねられる)。この時点で、エックス線写真の像は既に最大のC、肺機能はF+であり、医師の意見は、「じん肺症変化は、4Cと高度であり、肺機能も障害されている。管理四として十分な治療を要すると判断します。」というものであった。

2  三郎のその後の症状の推移

その後も、三郎の症状は、別紙(八)のとおり推移し、全体的に悪化していった。肺機能は、昭和六三年一月一三日にはF++となった。平成元年九月には、著明な肺気腫がみられ、平成四年九月には心臓の形状異常が生じた。昭和六二年一月以降は、平地をゆっくりした速度で一キロメートル程度以上歩くことや、盆栽の手入れをしたり、草花を育てたりするごく軽い趣味程度の仕事を一時間以上続けることも困難となり(平成三年一〇月に一時的に右趣味程度の仕事をすることが可能となっているが)、平成三年一〇月は、乗物や徒歩で病院に通ったり、自宅周囲や病院構内を散歩することが困難となり、平成四年九月には、坐ってテレビを見たり、新聞を読んだり、字を書いたりすることを一時間以上続けることが困難となった。主治医が必要とする治療の概要も、昭和六一年九月「気管支、去痰剤を主とした対症療法にて気道のクリーニングをはかり、肺機能障害の進行を防止する」、昭和六二年一月「対症療法、換気体操を続け、肺機能の維持、改善につとめる」、昭和六三年一月「対症療法とともに、換気体操等、運動療法を加え、高度のじん肺に対処していく」、昭和六四年一月「高度の珪肺で、かつ進行性も著明であり、十分な治療を要する」、平成元年九月「引き続き肺機能障害に対する充分な治療が不可欠である」、平成二年一〇月「換気機能の低下、高度の肺の線維化の進行は急激であり、充分な治療が不可欠である」、平成三年一〇月「高度の珪肺に対し、充分な呼吸管理が不可欠である」、平成四年九月「気拡剤、去痰剤の投与、ステロイド投与による喘息発作への対処、在室O2療法等が必要である」とされている。

三郎は、昭和六二年には、自転車に乗るのも困難となり、平成二年の時点で、早朝から明け方と、夕方暗くなる前後、激しい咳、痰、ぜんめいに悩まされ、特に梅雨どきや気候の変わり目に症状が悪化し、通院(当時二週間に一回)の翌日は体がだるく、一日のうち数時間布団の中で臥している状態であった。

3  三郎は、平成五年一月一八日死亡した。

九民法七一九条一項後段の規定の類推適用

被告らが、それぞれ粉じんを吸入させる作業に三郎を従事させ、三郎がじん肺に罹患したような本件のような事案では、被告らは、不法行為に基づく請求については、民法七一九条一項後段の規定の類推適用により、被告ら各自の職場における三郎の就労と損害の全部又は一部の因果関係の不存在を立証しない限り、三郎を相続した原告らに対し、全損害について連帯して賠償責任を負い、安全配慮義務に基づく請求についても、同様の賠償責任を負うものと解するのが相当である。

1  不法行為に基づく請求について

民法七一九条一項後段の規定は、複数の者が加害行為、すなわち、損害を発生させる危険のある行為をし、被害者に損害が発生した場合において、だれがその損害を与えたか不明であるときに、被害者保護の見地から、加害者各人の行為と損害の因果関係を推定し、被告ら各自が、自己の行為と損害の因果関係の不存在を立証しない限り、被告らに連帯責任を負わせるという、立証責任の転換規定である。

ここにおける連帯責任の根拠は、一個の損害に対し、複数の加害者の行為のどれが因果関係を有するのか容易に判断できない場合に、複数の加害行為のどれかが損害と因果関係を有することが明らかでありながら、被害者が損害と因果関係のある加害行為を特定し立証しない限り敗訴するということは不合理であり、むしろ、加害者の側に、自己の加害行為と損害の因果関係の不存在を立証させるのが公平に合致するということにある。そうであるとすれば、加害者各人の行為について重要なのは、損害を発生させる危険性であって、必ずしもそれらが時間的場所的に一体となってされることを要しないものというべきである。

そして、民法七一九条一項後段の規定は、加害者不明の共同不法行為と呼ばれるとおり、元来は、複数の加害行為者のだれかが加害者である場合、すなわち、複数の加害行為のどれかが全損害を発生させた場合の規定であるとみるべきであろうが、複数の加害行為のそれぞれが損害の全部又は一部を発生させる可能性があり、ただ、その全損害に対する割合が不明である場合にも類推適用されるとみるべきである。なぜならば、損害が発生したことは確実でありながら、その発生に寄与したと思われる加害行為が複数であるがために、各加害行為の全損害に対する割合を立証しない限り、被害者が敗訴するというのは不合理であり、民法七一九条一項後段の規定の本来の場合、加害者に因果関係の全部の不存在について立証責任を負わせることは、何ら背理ではないからである。

これを本件についてみるに、右一でみたとおり、被告らの行為は、それぞれ相当多量の粉じんを発生させるものであり、しかも、右六でみたとおり、被告らによる粉じんの発生防止や体内侵入防止等のための措置は不十分なものに終わったこと、また、右二でみた長期にわたる粉じんの吸入の累積によって発病するというじん肺発症のメカニズムからすると、どの被告の作業場における三郎の就労も、三郎のじん肺罹患との間に因果関係を有する可能性があることを否定できない反面、どの被告の作業場における三郎の就労が、三郎のじん肺罹患との間にどの程度の因果関係を有するかを原告側において確定することは困難であるから、民法七一九条一項後段の規定の類推適用により、被告らが三郎を粉じんを吸入する作業に就かせたことと三郎のじん肺罹患との間に因果関係を推定することは許されるものであり、被告らは、自己の職場における三郎の就労と損害の全部又は一部との間の因果関係の不存在を立証しない限り、三郎に発生した全損害について責任を負うものというべきである。

そして、被告らは、抗弁において、被告らの職場における三郎の就労と三郎のじん肺罹患との間に因果関係が存在しない旨主張するところ(この点についての被告らの主張にはあいまいなものがあるが、それらについてもあえて因果関係不存在の主張があるものと解した。なお、被告三井鉱山の割合的寄与率の抗弁、大気汚染防止法ないし水質汚濁防止法類推適用の抗弁は、結局は、因果関係の一部不存在の抗弁と同一に帰するから、独立に判断はしない。)、全証拠を総合しても、被告ら各自の職場における三郎の就労と三郎のじん肺罹患の全部又は一部との間に因果関係が存在しないと認めるには十分ではない。被告三井鉱山入社時において三郎が受診したレントゲンの直接撮影において、異常なしとの診断がされているが、発症まで長期を要するじん肺の特色からみて、それ以前の被告前田建設や被告住友石炭における三郎の就労と損害との間に因果関係がないとみることはできない。確かに、原告の被告前田建設及び同三井鉱山における就労は短期のものであり、その間における粉じんの吸入が三郎の全損害との間に因果関係を有するとは認められないが、加害者が因果関係の一部の不存在を主張立証する場合においては、因果関係の存在しない損害部分の割合まで主張立証することを要するというべきであるところ、被告前田建設は右割合を主張しないし、被告三井鉱山は一〇〇分の一との主張をするものの、三郎の被告三井鉱山における就労の際蓄積した粉じんと三郎の損害との因果関係がその程度にとどまることを認めるに足りる証拠はない。

2  安全配慮義務違反に基づく請求について

使用者は、労働者を粉じん作業に従事させる場合において、不法行為の一般原則に基づき、労働者が粉じん作業によりじん肺に罹患しないための措置をとるべき義務を負うほか、労働契約関係又はそれに近い密接な社会的接触に入ったことに基づき、信義則上、同様の義務を負うべきことになる(その内容は、前記四で述べたとおりである。)。両者の義務の内容は同一であり、ただ、後者については、使用者側で安全配慮義務不履行について帰責性がないことを立証することを要するものである。

そうであるとすれば、債務不履行構成をとったために、民法七一九条一項後段の規定の適用ないし類推適用がなくなり、労働者の側で複数の加害行為、すなわち、右の安全配慮義務に違反する行為のどれがどの程度損害の発生に寄与したかを主張立証しなければならないとするのは、安全配慮義務不履行の帰責性がないことの立証責任が使用者側にあることからみて背理であり、この場合も、民法七一九条一項後段の規定を類推適用し、使用者の側において、各自の安全配慮義務違反の行為(不作為)と損害の全部又は一部との間の因果関係の不存在を主張立証しない限り、使用者らは、全損害について連帯責任を負うものというべきである。

一〇安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の消滅時効について(被告前田建設の抗弁について)

1  時効期間

時効期間は、民法一六七条一項により一〇年と解すべきである(最判昭和五〇年二月二五日民集二九巻二号一四三頁。同判決は、国の安全配慮義務違反を理由とする国家公務員の国に対する損害賠償請求権の消滅時効期間に関するものであるが、私人間相互における安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求権の消滅時効期間も一〇年であることを当然の前提としているものと考えられる。)。

2  消滅時効の起算点

消滅時効の起算点は、損害賠償請求権成立の時、すなわち、損害が客観的に確定した時と解すべきである。

被告前田建設が引用する最判昭和三五年一一月一日民集一四巻一三号二七八一頁は、損害賠償債務は本来の債務の物体が変化したに止まり、その債務の同一性に変わりはないから、損害賠償債務の消滅時効は、本来の履行を請求しうる時から進行を始める旨判示している。しかし、右の事案は、本来の債務が契約解除に基づく原状回復義務としての物の返還請求権であり、それが、被告の物の喪失により履行不能となったというものである。本来の債務が、純粋の財産上の物件返還債務であって、その不履行による損害賠償債務との同一性を観念することができ、また、実質的にみても、損害賠償請求権が取引関係の清算という性質を有するものであるから、本来の債務の履行を請求しうる時を損害賠償請求権を含め消滅時効の起算点としても不当ではない。これに対して、安全配慮義務違反に基づく損害賠償債務については、安全配慮義務の内容に照らし、本来の債務の物体が変化しただけで債務としての同一性に変化はないとみることはできず、かえって、安全配慮義務は、損害が発生して初めて問題となる性格のものであって、損害発生前に損害賠償債務と同一性のある債務を特定し、その履行を請求するということはおよそ不可能であるといわざるをえない。本件のような安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権については、民法一六六条一項の規定にいう「権利を行使することを得る時」とは、損害賠償請求権自体が発生した時、すなわち、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の要件事実を充足した時と解すべきである。

そして、じん肺の場合の損害の客観的な確定は、原則として最も重い行政上の決定を受けた時に求めるのが相当である。被告前田建設の指摘するとおり、行政上の決定は、被害者の申請が後になればなるほど、後にずれこむことになるが、そのおそれは観念的なものにとどまり、通常は、最も重い行政上の決定が出される時期になって初めて、損害の発生が客観的に認識できるからである。

本件においては、三郎がじん肺の管理区分四の決定を受けたのは、前記のとおり、昭和六〇年二月一四日であるから、ここで損害が客観的に確定したとみるべきである。もっとも、〈書証番号略〉及び三郎本人尋問の結果によれば、三郎は、昭和五五年、被告青木建設の作業場において、深さ一八メートルの螺旋階段の昇降において息切れを感じるようになったことが認められ、また、三郎は、同年五月、昭和五六年一月一三日、昭和五八年一月一七日の三回にわたり、レントゲン検査で肺の陰影を指摘されているが、これらをもっては、かならずしも発症したのがじん肺であることの客観的な確定ということはできない。

被告前田建設に対する訴えの提起は、昭和六三年一二月一日であるから、いまだ消滅時効は完成していない。

一一不法行為に基づく損害賠償請求権の除斥期間の経過について(被告前田建設の抗弁について)

不法行為に基づく損害賠償請求権についての、民法七二四条後段所定の二〇年の期間は、除斥期間と解すべきである(最判平成元年一二月二一日民集四三巻一二号二二〇九頁)。その理由は、同条前段の三年の期間が、被害者が「損害及び加害者を知りたる時」という被害者の主観にかかるものであるのに対し、同条後段の二〇年の期間は、被害者の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するところにある。

その起算点については、単なる加害行為がされた時を意味すると解するべきではなく、不法行為の全要件を充足した時と解するのが相当である。なぜならば、不法行為とは、損害の発生を含むその全要件を充足したものを意味するところ、民法七二四条後段の規定は、「不法行為の時より」と定めているからである。

もっとも、そうすると、じん肺のように、加害行為後二〇年以上たって損害が発生することが珍しくないような事案については、加害者が忘れたころに損害賠償を請求されることになり、不都合であるという考えもありうるところである。しかしながら、そうであるからといって、加害行為時に消滅時効起算点を求めると、その後、例えば二五年たって損害が発生したような場合には、被害者は、損害賠償請求権の権利行使をすることが不可能である間に、二〇年がたってしまい、もはや権利行使の道が閉ざされることになり、不都合はより大きいものというべきであり、また、理論的にも、発生もしていない権利が絶対的に消滅することになっておかしいことになる。損害発生時に起算点を求めると、確かに、その時点で、被害者が損害を知っていることは多いであろうが、加害者を知っているとは限らないし、また、除斥期間である以上中断はなく、援用も不要なのであるから、民法七二四条前段と後段の区別や権利関係早期確定の要請を無にすることにもならない。

そして、民法七一九条の規定の適用ないし類推適用があるときは、この「不法行為の時」は、損害発生を含めた「共同不法行為の時」ということになる。

本件において損害発生が客観的に確定したのが前記のとおり昭和六〇年二月一四日であり、被告前田建設に対する訴えの提起が昭和六三年一二月一日であるから、訴え提起時において除斥期間は未だ経過していないというべきである。

一二損害

1  逸失利益

(一)  三郎の逸失利益

〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、三郎は、昭和五九年六月まで村田建設から一か月四五万円の給与その他年六三〇万円の支払いを受けていたことが認められる。

問題は、これを基礎として、就労可能年齢までの逸失利益を算定することができるか否かであるが(就労可能年齢を六七歳とした場合に、単に肉体労働のみを行う労働者の場合、能力の減退に伴い、収入が低減することは明らかである。他方、〈書証番号略〉によれば、三郎は、村田建設退職後、昭和六〇年一月一一日から同年二月五日まで、一般土工として一日一万円の日当を得ていたにすぎないことが認められる。)、前記一5で認定した事実に弁論の全趣旨を総合すれば、右村田建設における年収は、単に現場での肉体労働のみの対価としての性格を有するものではなく、坑内作業の豊富な経験を有する者として、他の労働者の指導等の管理もできる者に対する給与としての性格を有するものであると認められ、他方、右土工としての日当は、労働能力を喪失する直前のものにすぎないのであるから、右村田建設における年収を基礎として逸失利益を算定することができるものというべきである。

そうすると、三郎の逸失利益は、

(6300000×1.00×8.306×9÷11)+(6300000×0.6×8.306×2÷11)=4852万2141(円)

注 昭和六〇年二月一四日(五六歳時)労働能力喪失、六七歳まで就労可能、8.306は五六歳から六七歳までの一一年のライプニッツ係数、0.6は、平成五年一月一八日死亡(六五歳時)後の生活費(四割)控除を表す。

(二)  損益相殺

〈書証番号略〉によれば、三郎が、昭和六二年九月から昭和六三年一二月まで傷病補償年金として三八〇万二九五七円、特別年金二五三万九五四一円、昭和六二年一〇月二日に傷病特別支給金として一〇〇万円、昭和六〇年二月六日から昭和六二年八月三一日までの休業補償給付金一一〇八万四七一二円(特別支給金を含む。)、平成元年一月から平成三年三月までの傷病補償年金八七四万七八四九円を受領していることが認められる。被告らは、これら受領した金員(なお、右平成元年一月から平成三年三月までの傷病補償年金八七四万七八四九円については、右金額が、三郎が満六〇歳に達した平成元年一月から厚生年金保険法による障害年金を受領していることから労災保険法一八条、別表第一、同法施行令二条により減額されたものであるから、これに減額率0.73を除した額を控除すべきであると主張する。)及び平成三年四月以降口頭弁論終結時までに三郎が給付された傷病補償年金を控除すべきであると主張するので、以下検討する。

まず、昭和六二年九月から昭和六三年一二月までの傷病補償年金、特別年金及び傷病特別支給金並びに昭和六〇年二月六日から昭和六二年八月三一日までの休業補償給付金についてみる。政府が労災保険法に基づく保険給付をしたときは、被害者が使用者又は第三者に対して取得した損害賠償請求権は、右保険給付と同一の事由(労働基準法八四条二項、労災保険法一二条の四、厚生年金保険法四〇条参照)については、その給付の価額の限度において損害が填補されることになり、また、その填補される損害は財産的損害のうちの消極損害のみであるところ(最判昭和五二年五月二七日民集三一巻三号四二七頁、最判昭和五二年一〇月二五日民集三一巻六号八三六頁、最判昭和六二年七月一〇日民集四一巻五号一二〇二頁)、傷病補償年金及び特別支給金を除く休業補償給付は、右のとおり損害を填補するものであるが、傷病補償特別年金、傷病特別支給金及び休業補償給付金のうち特別支給金の給付(以下これらを一括して「特別支給金」という。)は、損害を填補するものではないというべきである。なぜならば、特別支給金の給付は、労災保険法第三章の保険給付ではなく、同法第三章の二の労働福祉事業の一環として行われるもので損害の填補を目的とせず、また、特別支給金には、それを給付した場合に、政府が加害者に対する損害賠償請求権を代位取得する旨の規定(労災保険法一二条の四、厚生年金保険法四〇条参照)が存在しないからである。そうすると、ここで控除の対象となるのは、傷病補償年金三八〇万二九五七円、休業補償給付金のうち七三八万九八〇八円であるということになる。

次に、右平成元年一月から平成三年三月までの傷病補償年金八七四万七八四九円については、右金額が、三郎が満六〇歳に達した平成元年一月から厚生年金保険法による障害年金を受領していることから労災保険法一八条、別表第一、同法施行令二条により減額されたものであるから、これに減額率0.73を除した額を控除すべきであるとの主張であるが、右障害年金が支給されたと認めるに足りる証拠はないから、ここで損害から控除するべき額は八七四万七八四九円にとどまるものというべきである。

最後に、平成三年四月以降口頭弁論終結時までに三郎が給付された傷病補償年金であるが、〈書証番号略〉によると、三郎は、平成二年一一月に、平成二年八月一日から同年一〇月三一日までを給付期間とする傷病補償年金として一〇二万七三五〇円を、平成三年二月に、平成二年一一月一日から平成三年一月三一日までを給付期間とする傷病補償年金として一〇二万七三五〇円を受領していることが認められ、〈書証番号略〉によれば、平成三年八月一日以降、給付基礎日額の算定に用いる率が一九パーセント増額となったことが認められる。そうすると、特段の事情のない限り、三郎は、少なくとも、平成三年五月に、同年二月一日から同年四月三〇日を給付期間とする傷病補償年金として一〇二万七三五〇円を、同年八月に、同年五月一日から同年七月三一日を給付期間とする傷病補償年金として一〇二万七三五〇円を、同年一一月に、同年八月一日から同年一〇月三一日を給付期間とする傷病補償年金として一二二万二五四六円を、平成四年二月に、平成三年一一月一日から平成四年一月三一日を給付期間とする傷病補償年金として一二二万二五四六円を、同年五月に、同年二月一日から同年四月三〇日を給付期間とする傷病補償年金として一二二万二五四六円を、同年八月に、同年五月一日から同年七月三一日を給付期間とする傷病補償年金として一二二万二五四六円を、同年一一月に、平成三年八月一日から同年一〇月三一日を給付期間とする傷病補償年金として一二二万二五四六円を受領したことを推認することができ、この合計八一六万七四三〇円の分だけ消極損害が填補されたことになる。

そうすると、以上を合計した二八一〇万八〇四四円を消極損害から控除し、二〇四一万四〇九七円が賠償されるべき消極損害、すなわち、逸失利益ということになる。

2  慰謝料

前記三でみたじん肺の特徴及び前記八でみた三郎の症状、三郎がついに死亡したことからみて、じん肺罹患による三郎の精神的損害を慰謝するには二〇〇〇万円をもって相当とする。

3  通院交通費

〈書証番号略〉によれば、三郎が通院交通費として一九万一六八〇円を支出したことを認めることができる。

4  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、三郎は、原告訴訟代理人らに対し、被告三井鉱山を除くその余の被告らとの間の昭和六三年(ワ)一六七〇号事件の関係では五〇〇万円を、被告三井鉱山との間の平成元年(ワ)第八八一号事件の関係では三〇〇万円を弁護士費用として支払うことを約したことを認めることができるところ、本件事案の性質、難易、審理の経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると、昭和六三年(ワ)第一六七〇号事件の関係では三〇〇万円を、平成元年(ワ)第八八一号事件の関係では一〇〇万円を、それぞれ本件債務不履行又は不法行為と相当因果関係にある損害と認めるのが相当である。

5  過失相殺について

(一) 被告前田建設及び被告三井鉱山は、三郎が、被告三井鉱山の芦別鉱業所で、じん肺予防のためにマスクを着用することその他粉じん予防措置について教育を受けているにもかかわらず、被告青木建設で職長となった後も、じん肺防止のための措置(注水削孔、散水による発じん防止、マスクの使用による吸じん防止等)をとらなかったとし、これを根拠に九割の過失相殺を主張する。しかし、被告三井鉱山における粉じん予防措置についての教育が、実質的にはマスクの着用の励行のみであり、じん肺の恐ろしさや発症メカニズムまで視野にいれた実効的なものではなかったことは前記六3認定のとおりであるから、所論は前提を欠くものである。

(二)  被告住友石炭は、三郎の喫煙を理由に相当割合の過失相殺を主張する。

確かに、三郎本人尋問の結果によれば、三郎が三一歳ないし三二歳から喫煙を始め、五〇歳ごろまで続けており、その間一日一五本ないし一六本、多いときで一日二〇本位の割合でたばこを吸っていたことが認められるものの、前記一でみたとおり被告らの作業場において大量の粉じんが発生していること及び前記六でみたとおり被告らの安全配慮義務の履行が不十分であったことからみれば、損害発生の主因は被告らの作業場における粉じんの吸入とみるのが相当であり、三郎が喫煙をしていたとしても、それが損害の発生あるいは拡大に対する因果関係の程度は不明というよりほかないから、これをもって過失相殺の事由と評価するのは相当ではない。

6  相続

三郎が平成五年一月一八日死亡したこと、原告佐藤壽恵子が三郎の妻、原告佐藤晃一が三郎の子であることは、当事者間に争いがない。

一三結論

そうすると、原告らの請求は、原告それぞれに対し、昭和六三年(ワ)第一六七〇号事件の被告三井鉱山を除く被告らには二一八〇万二八八八円、平成元年(ワ)第八八一号事件の被告三井鉱山には一六五〇万円及び右各金員に対する不法行為成立時である昭和六〇年二月一四日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条一項本文を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を適用して(被告青木建設の仮執行免脱宣言の申立は、相当でないから、これを却下し)、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官清永利亮 裁判官清水信雄 裁判官本吉弘行は、転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官清永利亮)

別紙(四)シールド工法の概要と様式〈省略〉

別紙(五)(その一)芦別坑坑内概念図(四六年度末)

別紙(五)(その二)芦別坑N6パネル+10ML〜−180ML通気説明図〈省略〉

別紙(六)採戻〜沿層関係図〈省略〉

別紙(七)〈省略〉

別紙

(一) 粉じん作業経歴表

使用者(元請)

期間

(昭和.年.月)

作業所

(就労場所)

工事名等

職位

作業内容

前田建設工業(株)

27.10~28.2

(5ケ月)

北陸電力神通川作業所

(富山県婦負郡細入村)

発電所導入路トンネル

工事

坑夫

掘削、ダイナマイト装填、発破、ずり搬出、支保工建込み(すべて粉じん作業)

大和土建(株)

(村上建設の前身)

(34年商号変更)

村上建設(株)

(合計9年11ケ月)

(42年倒産)

28.3~28.7

(5ケ月)

東京電力(株)

高知作業所

(群馬県水上町藤原)

同上

同上

同上(28.3~28.7の5ケ月粉じん作業)

28.10~33.9

(5年)

電源開発(株)

西吉野作業所

(奈良県五条市)

同上

職長

同上(28.10~32.12の4年3ケ月粉じん作業)

33.10~34.10

(1年1ケ月)

中国電力(株)

水内作業所

(広島県湯来町水内)

同上

同上(33.10~34.6の9ケ月粉じん作業)

34.11~35.3

(5ケ月)

電源開発(株)

熊野川作業所

(和歌山県熊野川町)

同上

同上(すべて粉じん作業)

35.4~36.8

(1年5ケ月)

伊豆急行(株)

伊東作業所

(静岡県伊東市鎌田)

私鉄用トンネル

工事

同上

(但、粘土質である関東ローム層の掘削であり、粉じんは少ないが、粉じん作業もある)

36.9~38.3

(1年7ケ月)

阪神上水道(企業団)

奥山作業所

(兵庫県芦屋市)

上水道トンネル

工事

同上(但、軟岩の掘削であり粉じんは少ないが、粉じん作業もある)

住友石炭鉱業(株)

(合計8年4ケ月)

38.6~45.9

(7年4ケ月)

住友石炭鉱業

弥生鉱業所

(北海道三笠市)

石炭採炭用トンネル

掘削

坑夫

同上(すべて粉じん作業)

45.10~46.9

(1年)

住友石炭鉱業

奔別鉱業所

(北海道三笠市)

同上

同上

被告三井鉱山(株)

46.10~46.12

(3ケ月)

三井鉱山芦別鉱業所

(北海道芦別市)

石炭採掘作業

採炭夫

坑内採炭

(石炭層の穿孔、ダイナマイト装填、発破、山止め、石炭積込み、すべて粉じん作業)

(株)青木建設

(合計8年10ケ月)

47.1~48.1.11

(1年1ケ月)

中信平作業所

(長野県豊科町)

農業用導水路トンネル

工事

職長

1.職長として、人員配置、作業指示、資材機械の注文、設置、元請との打合せ等ならびに現場作業員欠番時の代番と不安全個所の点検、防護、掘削進行状況の確認等の坑内作業など。

但、保土ケ谷作業所は事務職(骨折の後遺症のため)であったが、時々坑内にも入って(丙第3号証、2枚目)粉じんに暴露されている。

2.シールド工法以外のトンネル工事は、被告前田建設と同様。

3.シールド工法によるトンネル工事は、シールド機械による掘削、円筒(セグメント)の構築、酸素ガスによる切断、電気溶接、シールド機械の解体、コンクリート打設など。

49.10~51.10

(1年1ケ月)

保土ケ谷作業所

(横浜市保土ケ谷区)

下水道シールド工事

52.5~52.10

(6ケ月)

西山作業所

(長崎市西山町)

下水道トンネル工事

53.1~53.12

(1年)

有馬幹線作業所

(神奈川県藤沢市)

上水道トンネル工事

54.1~55.3

(1年3ケ月)

恩田幹線作業所

(横浜市緑区)

下水道シールド工事

55.4~56.3

(1年)

阿久和幹線作業所

(横浜市瀬谷区)

同上

56.4~57.3

(1年)

青井幹線作業所

(東京都足立区)

同上

57.9~59.3

(1年7ケ月)

相模川幹線作業所

(神奈川県寒川町)

同上

59.4~59.7

(4ケ月)

東川島幹線作業所

(横浜市保土ケ谷区)

同上

(注1)期間は、始期は月始から、終期は月末までとしたから概算である。

(注2)原告のじん肺罹患との因果関係で問題となるのは粉じん作業であるから、被告各社については作業経歴ではなく、そのうちの粉じん作業経歴に限定し、非粉じん作業経歴については(注2)に記載した。その結果、例えば被告青木建設の答弁書末尾別表Bの1および3の配置期間とのくい違いが生じる(甲第五号証の一の陳述書の経歴表ではうかつにも被告青木建設の別表Bに合わせてしまったが誤り)のみで、作業経歴としては、いずれの被告会社との間でもほとんど争いはないことになる。

(注3)「作業経歴」に記載のない期間について

① 27.5〜27.9(5ケ月)−前田建設における非粉じん作業(雑工としての準備作業)

② 28.8〜28.10(3ケ月)−8月中旬まで休業し、その余は他社に勤務した。

③ 38.4〜38.5(2ケ月)−休職、失業保険受給。

④ 48.1(12日)〜49.10(中旬)−左足膝骨骨折のため入院、通院をくり返した。

⑤ 51.11〜52.4(6ケ月)−青木建設における非粉じん作業(茨城県筑波町の学園都市作業所)

⑥ 52.11〜52.12(2ケ月)−青木建設における非粉じん作業(有馬作業所のトンネル掘削前の準備作業)

⑦ 57.4〜57.8(5ケ月)−休職、失業保険受給(うち2ケ月)

(注4)かけもち作業期間について

青木建設時代には、以下の各かけもち作業時間があるが、本一覧表では、便宜上、主たる作業のみ掲げた。

① 53.1〜53.3(2ケ月)−西山作業所と有馬作業所

② 56.1〜56.9(3ケ月)−阿久和作業所と青井作業所

③ 58.8〜59.6(11ケ月)−厚木作業所(神奈川県厚木市)における作業もあった。

別紙(二)

年度西暦・月

書証甲

大陰影の区分四型

(付加記載事項)

呼吸困難度

努力肺活量(ℓ)

一秒量

一秒率

パーセント肺活量

V25/身長

八六・九

(S六一)

一五

C

1.76

1.42

80.7

59.9

0.44

八七・一

(S六二)

一六

C

1.95

1.23

63.1

59.3

0.18

八八・一

(S六三)

C

1.82

1.30

71.4

66.1

0.69

八九・一

(S六四)

一七

C

Ⅲ?Ⅳ

1.84

0.97

52.7

55.5

0.15

八九・九

一八

C(em)

1.64

0.75

45.7

58.3

0.12

九〇・一〇

(H二)

二三

C(em)

1.76

0.79

44.9

54.7

0.11

九一・九

(H三)

二四

C(em)

1.79

0.77

43.0

56.1

0.14

九二・九

(H四)

二五

C(em

co)

1.38

0.70

50.7

42.3

0.06

別紙

(三)表A

工事名称

作業所所在地

工期

1

中信平左岸幹線第3号隧道工事

長野県豊科町

46.11―48.3

2

保土ヶ谷桜木幹線下水道整備工事

横浜市保土ヶ谷区

49.2―52.2

3

西山団地汚水トンネル築造工事

長崎市西山町

52.2―53.2

4

送水管有馬系布設工事

神奈川県藤沢市

52.9―54.3

5

恩田右岸幹線下水道整備工事

横浜市緑区

52.10―55.3

6

阿久和幹線下水道整備工事

横浜市瀬谷区

54.8―56.11

7

青井幹線工事

東京都足立区

53.1―57.3

8

相模川流域下水道整備工事

神奈川県寒川町

56.6―59.3

9

東川島雨水幹線下水道整備工事

横浜市保土ヶ谷区

58.10―60.3

表B

工事名称

作業所所在地

配置期間

1

中信平左岸幹線第3号隧道工事

長野県豊科町

47.1―48.3

2

保土ヶ谷桜木幹線下水道整備工事

横浜市保土ヶ谷区

49.10―51.10

3

西山団地汚水トンネル築造工事

長崎市西山町

52.5―52.12

4

送水管有馬系布設工事

神奈川県藤沢市

53.1―53.12

5

恩田右岸幹線下水道整備工事

横浜市緑区

54.1―55.3

6

阿久和幹線下水道整備工事

横浜市瀬谷区

55.4―56.3

7

青井幹線工事

東京都足立区

56.4―57.3

8

相模川流域下水道整備工事

神奈川県寒川町

57.9―59.3

9

東川島雨水幹線下水道整備工事

横浜市保土ヶ谷区

59.4―59.7

別紙(八)

年度西暦・月

書証甲

大陰影の区分四型

(付加記載事項)

呼吸困難度

努力肺活量(ℓ)

一秒量

一秒率

パーセント肺活量

V25/身長

八六・九

(S六一)

一五

C

1.76

1.42

80.7

59.9

0.44

八七・一

(S六二)

一六

C

1.95

1.23

63.1

59.3

0.18

八八・一

(S六三)

C

1.82

1.30

71.4

66.1

0.69

八九・一

(S六四)

一七

C

Ⅲ~Ⅳ

1.84

0.97

52.7

55.5

0.15

八九・九

一八

C(em)

1.64

0.75

45.7

58.3

0.12

九〇・一〇

(H二)

二三

C(em)

1.76

0.79

44.9

54.7

0.11

九一・九

(H三)

二四

C(em)

1.79

0.77

43.0

56.1

0.14

九二・九

(H四)

二五

C(em

co)

1.38

0.70

50.7

42.3

0.06

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